マオちゃんの異世界生活 9日目 その2
ぽつぽつと見栄えしない家屋が建つ住宅地を進んで行く。
背後にはダンゴムシをころころするマオと勇者。
それを尻目に、籐子と顔を見合わせた。
なんというか釈然としない。何だろう、この微妙な感じ。二人で少し眉を下げる。
四六時中スマホを触る孫を見つめるお爺ちゃんって、こんな気分なんだろうか。
そんな詮無いことを考えているうちに商店街の入り口が、「和やか商店街」と書かれたアーチが見えてくる。
新築など一軒もない住宅地の真ん中に現れた、そこそこ活気のある商店街。
物静かだった空気を押し流して、明るい喧騒が降りかかる。
今時では珍しく、シャッターはほとんど降りていない盛況っぷり。アーチの向こうでは年季の入った店々が軒を連ね、30〜50代のおっちゃんおばちゃんが呼び込みの声を張っていた。
「っ」
怯えるような声が聞こえた。
瞬間、黒い帯が視界をかすめる。
やばい。
「マオ!」
振り返ると今にも魔獣を生成しそうなマオの姿が。
両手は硬く握り拳を作り、まるで氷のよう。
なんとかしなきゃ。
でもどうすれば、
「大丈夫だよ、マオちゃん」
気が付けば籐子がそっとマオの手を握っていた。
優しく微笑むと「はい、忘れ物」と言ってジャーキーをその手に握らせる。
幼い瞳にあった怯えが、少し和らいだ。
「ほら、ふーたも来る」
はっ、いけない。
満ち満ちる姉力を前に、つい呆けてしまった。
いそいそと俺も反対側の手を握る。
籐子が改めてマオに笑顔を向けた。
「ほら ダンゴムシがなくても大丈夫」
「っ、うん!」
握った拳はまだ硬く、けれど閉ざされた冷たさではなかった。そこには確かな熱があった。
そんな彼女の姿に思うところでもあったのか、
「私も魔力だけに縋っている場合ではないな!」
ダンゴムシを放り出したヴィレイァさんは、スクワットを開始する。
流石は脳金勇者だ。
当然ながら、一瞬で筋肉痛に襲われた。
ダンゴムシと共に地面を転げ回る。
なにしてんだか。
何はともあれ、気合い十分なマオと気◯い十割のアホを連れて、俺たちは商店街のゲートをくぐった。
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「やすいよやすいよ!」「寄ってらっしゃい見てらっしゃい」「今日は秋刀魚がオススメだよ奥さん!」「コロッケ揚げ立てー! 美味しいよ!」
いつもと同じ、優しい色のアーケード天井。車二台がすれ違えるほどの広いレンガ通り。その両側から威勢の良い声が飛び込んでくる。
始めはおっかなびっくり肩を強張らせていたマオも、暫く歩くうちに慣れてきたみたい。
今ではお肉屋さんのコロッケに目が釘付けだ。
現金だなぁ。
と思っていたら、通りの向こうから聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「いらっしゃいませぇ」
優しいピンク色のエプロンを着たその人は、いつものゆるふわな雰囲気を振りまきながら接客していた。
「あ、女神だ」
いち早く気づいた勇者ヴィレイァさん。
良いこと思い付いた! みたいな表情をした。
ろくな事じゃないんだろうなぁ。
「リィンさーん! マジ女神ー!!」
ん? え、なにそれ!?
いきなり変な事を叫ばないでもらえますか? めちゃくちゃ視線が集まってるんですけど!? ちょっと距離取ってくれませんかね??
と思った矢先、
「はぁーい! 皆んなの信仰対象、リィンフォルェスでっすよぉ〜!!」
当の女神がキレッキレの決めポースを返してきた。
こちらに向いていた視線の全てを、女神リィンフォルェスが掻っ攫う。
「あっ! つ、つい癖で……はぅぅ〜!!」
それら視線に耐えきれなくなったのだろう。
頬を真っ赤にして、和菓子屋の店内へと走り去っていった。
いや、どないな癖やねん。
謎の事態を前に、籐子とアイコンタクトを取ろうと振り返る。
そこには「安山電機」と書かれたエプロンを身に付けるおっさんが。
「恥らうリィンさんのお淑やかさ、GOOD!! マジで嬢ちゃんグッジョブ」
「あ、親衛隊のおっちゃん!」
勇者の知り合いの人? もしかして、同時期にこっちへ来たっていう元転移者さんかな。
昨日、その辺の話は一応聞いたんだよね。
確か名前は……、
「黄桜 円だ。どうやら嬢ちゃんが世話になってるみたいだな。俺が言うのも変な話だが、ありがとよ」
「いえ、大した事では」
視界の端でこくこくと頷くアホ勇者。
お前は気にしろ。
「俺は柳 風太といいます」
「おお、あんたが! じゃあ、そのちっこいのが魔王か」
目線を向けられ、さっと籐子の陰に隠れるマオ。
自分を魔王だと知っている人間を、幼いながらに警戒したみたいだね。
「なるほど、こっちの世界ならただのガキだもんな。この手は思い付かなかった」
それをスルーして、一頻り感心する黄桜さん。
マイペースだなぁ。
そんな彼のもとに二人のおじさんが寄ってくる。
「良い画が撮れましたよ、隊長!」
「3Dプリンター用のプログラムも、明日中には完成させるんだな」
黄桜さんに負けず劣らず、こいつらも濃ゆいなぁ。
あまりにも「それっぽい」から籐子が音も無く移動してマオを後ろに隠しちゃったよ。
まぁ、オタクってこういう扱い受けるよね。
当の本人たちは気付かない様子で、女神の写真やフィギア化について盛り上がっている。
黄桜さん、こっちに戻ってきたばっかだよな? とんでもないコミュ力というか、カリスマ性というか。とりあえず凄いおっさんだって事は分かった。
……マオが柳家に来て、一週間と少し。
何てことなかった日々が急に、騒がしくて楽しいものになった。
そんなうねりが、ここにも来ている。
元々活気のあった「和やか商店街」だけど、それでもあくまでそこそこだった。
けれど女神や黄桜さんを中心にして、もう一段階大きく盛り上がりを見せそうな予感をひしひしと感じる。
ただの田舎に来た、変調の兆し。
柄にも無く少し胸が踊った。
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和やか商店街の脇にある細い山道。樹々の生い茂る仄暗いそこを進んで約1キロ。山の中腹にあたるそこには、大きな棚地がつい最近までは広がっていた。
今もその筈だった。
しかし、いつの間にかそこにはひっそりと瀟洒な洋館が建っていた。
白塗りの外壁、小さな庭園、金色に縁取られた窓枠。どれを取っても非の打ち所がない造形美を誇っている。
しかしながら、全ての窓枠に施された暗幕がそれら好印象を180度反転させていた。
格式高い美が、底なしの不気味さを煽る。
鴉の嗄れた鳴き声が木々を揺らし、黒猫が不満げに喉を鳴らす。
子供が迷い込めば泣き喚くこと間違いなし、そんな妖しい館の一室。
暗く閉ざされた書斎にて、恰幅のいい男性と黒衣をまとった人物が見つめ合っていた。
怪しげな黒衣の表情はフードに隠れて見えないが、相対する男性は熱に浮かされたかように頬が赤い。
彼は熱い眼差しで黒衣を見据えたまま、何かを決意するように言った。
「スーパーマーケットを出店する。何故なら私がそうしたいからだ」
黒衣が軽く震える。それは首を振ったようにも、あるいは笑いを堪えたようにも見えた。