幕間 女勇者の魔王不在生活 7日目 その2
そこは見渡す限り白い空間だった。
空も地面も空気すらも存在しない、物質という縛りから解き放たれた『神の座』。
風太が女神リィンュフォルェスに異世界転移を打診、というか懇願された場所である。
本来なら、ここ波練世界を構成する情報が閲覧できる場所として機能するのだが、女神が球群世界へと転移した事で空席となり、本当に何も無い空間と化していた。
その神域と呼ぶべき場所に、小さな黒点が生み出された。中空に浮かぶそれは白い空間を食い破って徐々に広がってゆく。
やがて直径1メートルほどの大きさを得た黒い球体は拡大を止めた。
白に浮かぶ、のっぺりとした黒。
……ピシッ。
ひび割れる音が響く。
ピシッ、ピシピシッ。
続けて何度も音が響く。
やがて一際強い音を鳴らし、つかの間の静寂が訪れる。
卵を割るように黒い球体が崩れた。
どろり、と中から何かが産み落とされる。
ぐずぐずに溶けた原形質の如きそれが有機的に蠢き、名状し難い形状を創り出す。
……気がつくと、それは裸の男性に成っていた。
厚い胸板、引き締まった腹筋、高い身長。すらりと伸びた手足と小さな頭部が相まって、彫像のように完璧な比率を形成している。
その作り物のような身体に加えて、透き通る銀髪も、白磁のような肌も、精緻な顔の造形も、総じて非の打ち所がない。
ただ、
「先住神は不在か。つまらん」
皮肉に歪んだ表情と、右目周辺に彫られた禍々しい入れ墨が、それらの造形美を台無しにしていた。
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「我が名は『ロヴァルホト』。 神である」
その啓示は波練世界の遍く存在に対して降り注いだ。
「数多の世界を渡り歩き、その全てを喰らい尽くす侵略神である」
執務官たちは顔を見合わせ、
「相対する神なきこの世界に長居はせぬが、」
神官、いや親衛隊たちは茫然とし、
「行き掛けの駄賃に『根源』を貰っていくぞ」
研究者たちですら作業の手を止めている。
見知らぬ神からの大規模な啓示。
不穏当な言葉の数々。
波練世界の住人たちは混乱をきたしていた。
一体何が起きているのか。
侵略神を名乗るこの存在は何者なのか。
……そして、『根源』とは何を指すのか。
ーーーーズズッ!
唐突に聞き覚えのない音が耳朶を打つ。
人々が一様に身をこわばらせる中、魔王討伐の経験者だけは何が起こるかを予感していた。
あ、魔力を吸う音だ。
そう理解したと同時、世界中の魔力が奪い取られ始める。体内に満ちている事が当然の、己の一部と言うべきエネルギーが抜けてゆく。
血を失うかの様な脱力感に、あらゆる生物が膝をつき倒れ伏す。
厄災の神が降り立った。 この世の終わりだ。 世紀末だ。 と人々が絶望に駆られる。誰もが困惑の渦に沈んでいた。
ただ一人を除いて。
「きたきたきたきたー!!!!」
女勇者ヴィレイァだった。
それはもう満面の笑みである。
一度も勝利する事の叶わなかった魔王よりも、明らかに高次元の魔力吸収を扱う侵略神。
そんな理不尽の襲来を心底喜んでいる。
「魔王なんて目じゃないよ! 最ッ高!!」
ちょっと、いやかなり勇者としての自覚に欠ける発言をしているが、元々はここまで残念ではない。
魔王を打ち倒す為にひた向きな努力を続けていたし、一般人を助ける為の討伐任務も盛んに行っていたし、力を持つ者の義務として清廉に振る舞う良識もあった。
今は魔王という目標が突如消えて、ちょっと人生に迷っているのだ。
そんな折に現れた侵略神。
もう、居ても立ってもいられない。
魔力の吸収されてゆく先、丁度王宮のある方角に向けて走り出す。
……が、戻ってきた。
肌着一枚の状態だった事を思い出し、いそいそと鎧と剣を纏って今度こそ王宮へ駆け出した。
そんな彼女の姿を、兵士達は頼もしさと呆れが混ざった表情で見送った。
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赤と金を基調とした、絢爛豪華な謁見の間。
その煌びやかな装飾が財力を、赤絨毯の傍を固める兵士達が戦力を、それらの先に悠然と座すことで国王の権威を。
それら潤沢な国力を謁見相手に見せ付ける、この大広間は国王のちょっとした自慢であった。
が、今やその機能は一切働いていなかった。
兵士達は崩折れ、魔力により輝く照明設備は光を失い、そして王座には侵略神が腰を下ろしていた。
その長い脚を目の前で蹲るおっさんに乗せて、悠々と寛いでいる。
屈辱に震えるそのおっさんは、王族の証であるマントを羽織っていた。というか国王だ。
フットレストの代わりにされながら、魔力不足で動く事もままならない。
そんな彼に欠片も意識を向けず、魔力吸収を行いつつ王座で欠伸する侵略神。
そんな、そのままの意味で王の上に神を戴いた謁見の間に、さらなる混沌が王座の背後から壁をぶち破って飛び込んできた。
「先手必勝ー!!!!」
勇者だ。
壁の向こうに強者の気配を感じ取り、迷う事なく突撃したのだ。
驚愕の奇襲作戦。大胆かつ大雑把。アホである。
しかし攻撃自体は、恐ろしい程に正確だった。
飛び散る瓦礫に紛れつつ、敵の頭を真っ二つにするべく高速の一閃を放つ。
「ふむ、威勢が良いな」
しかし。
余裕の一言を残し、侵略神の姿が消える。
「なに!?」
勢い止まらず、そのまま王座を唐竹割り。床に伏せる国王の脇腹すれすれに剣先が突き刺さる。
「あらら、国王陛下。大丈夫ですか?」
桁外れの戦力をもつ彼女でなければ、即打ち首になるような対応に、魔力不足で口すらきけない国王は全力で睨みを利かせた。
「うん。それだけ睨む力があれば問題無いですね」
その一言にブチ切れた国王の顔が壮絶な人相になっているが、完全無視。
元々、王族よりも力無き民草を優先する彼女にとっては、本当にどうでもいい。
それよりも、この奇襲を回避した侵略神が問題だった。今は謁見の間中央で悠然と立ち、興味深そうにこちらを見つめている。
ふと、こういう場合の手順を思い出した勇者は、剣を構え直して一応勧告した。
「侵略神ロヴァルホト、魔力吸収を止めなさい!」
奇襲してから対話、という滅茶苦茶をやらかす彼女。
しかし絶対の存在である彼は気にしなかった。
創造物の行いよりも自らの関心事のほうが重要だったからだ。
「ふむ……おまえ、何故に『根源』を保持し続けている」
「まず私の質問に答えろ!」
その要求を黙殺して虚空を見つめる侵略神。
「……」
「無視すんなよ!」
無視したのではなく、『神の座』へとアクセスして勇者のパラメーターを確認している最中なのだが、彼女には知る由もない。
「むぅ……じゃあ沈黙がその回答と受け取った! 覚悟しろ!!」
言うや否や一瞬で神の懐に入ると同時、逆袈裟に切り上げる。
が、空を斬った。
彼もまた距離を取るように瞬間移動していたのだ。
しかし諦めることなく二度三度と斬撃を繰り出す。
「ふむ。魔力親和性、五十三万か……酷いバグだな」
目にも留まらぬ斬撃を回避しながら、ぽつりと呟く侵略神。その余裕を崩すべく、勇者が必死に剣を振る。
更に倒れ伏している兵士や国王を、素早く拾って室外へと投げ飛ばしてゆく。
その動きに感じる物があったのだろうか、ここで初めて勇者の目を見て話し掛けた。
「なかなかどうして器用なものだな。人間にしては良い動きだ」
称賛を贈り、そして少し両手を広げた。
瞬間、謁見の間に残っていた人間が全て外へと吹き飛ぶ。そして出入り口に分厚い土壁がせり上がった。
吸収した『根源』を風と土に変換して使用したのだ。
「これで心置きなく闘えよう。さあ、私を愉しませるがいい」
こいつも戦闘狂だ。
それを察した勇者の口角が少し上がる。
「それは私のセリフだ!」
言うや否や、強力な踏み込み。
超高速で距離を詰める。
空気抵抗が衝撃波を生む。
石畳が割れ、窓硝子が砕け散る。
「うおお!!」
本気のスピードを前に、それでも平然と勇者に合わせて距離をとってくる。
だが、想定内。
どれほど吸収されようと関係なし、とばかりに膨大な魔力を剣に注ぎ込む。
半分以上を吸い取られながら、それでも残った分が柄に仕込まれた魔方陣を起動させた。
剣身が紅い輝きを放ち、異常な量の魔力が全て刃に変換される。一瞬のうちに刃から幾本も刃が生えその先にまた刃が生まれる。どこまでも増殖を繰り返すそれは最早、
刃の濁流だった。
「避けてみろやぁああ!!」
その殺傷力の塊を、超高速で無理やり振り抜いた。
全てを根刮ぎ破壊する刃の群れが全てを飲み込み、突き進む。
間違いなく一撃を浴びせることに成功した。
が、
「っ!?」
手応えがあり過ぎる。
まるで剣を受け止められた時のような、
「ふむ。この程度か」
刹那、刃の群れが砕け散る。
その奥には傷一つない侵略神の姿が。
「そんな!?」
対魔王用に開発した奥の手を潰され、驚愕に目を見開いた。瞬間、姿を見失う。
気付けば、顔面にそっと手の平が被せられていた。
「戯れは終いだ」
振り切られる右腕。机のゴミを払い除けるが如く、無慈悲に吹き飛ばされ叩きつけられる。
「がっ!?」
速さも、力も、何もかも。
全くもって届かない。
敗北感に溺れる中で、それでも立ち上がる勇者を尻目に、侵略神はもう彼女に目もくれない。
その視線は謁見の間にすら向いていなかった。
戦闘によって砕けた壁の先、宮殿内の礼拝堂が姿を見せていたのだ。
室中には魔力不足で倒れ伏す神官、いや親衛隊たち。
それらには、やはり興味を示さない。
しかし最奥に位置する祭壇を射抜くように見詰める。
「ふん、転移門の始末も不十分とは。ここの神はさぞかし無能だったと見える」
独り言と共に祭壇へ登る。
そして虚空を一撫。
すると捻れるように空間が歪み、一枚の扉が露わとなった。
「なんと!神である事を捨てたか」
それは神が持てる力の全てを使う事で生み出せる、最上位の転移門だった。
異世界間を繋ぎ、凡ゆる存在を相互に転送可能な全能の扉。
「これは丁度良い」
次なる侵略の標的が定まったようだ。
邪悪に微笑むと扉に手をかけて、
「まて!!」
少し遠くから声がかかる。
満身創痍ながら必死に剣を構える勇者だった。
「……」
ちらりと肩越しに姿を認める。
しかし、構う事なく扉の向こうへと消えていった。
「ぐっ……。 くそ!!」
膝をつき、悔しげに床を殴りつける。
そんな彼女を緑の光が包み込む。
回復魔法だ。
「大丈夫かい、嬢ちゃん」
「あ、親衛隊長のおっちゃん」
光が湧き出すたびに、見る見るダメージが癒えてゆく。
「おっちゃんも動けたんだ」
「まあな。……とはいえ、あんな戦いに交じる勇気はなかったが」
「勿体無いよね。結構強いのに」
転移者である彼は、肉体の強さが異世界人の比ではない。そこに魔力強化が加わっているため、かなりの猛者として知られていた。
「おれの力はリィンさんの為にあるからな」
「おっちゃんらしいね」
「あぁ……だからおれは今から門を潜ろうと思う」
軽く笑う親衛隊長。
侵略神の口ぶりでは、門の向こうに女神リィンフォルェスがいる風だった。
「親衛隊のみんなは?」
「『女神を追っていった』って伝えといてくれ。俺の回復魔法が終わる頃にはみんな起きてくるだろ」
驚くべき速度で癒えてゆく勇者のダメージは、それでもまだ万全には程遠い。
あと数十分はかかるだろう。
「どうせお前も行くんだろ?」
「うん、もちろん! 侵略神もそうだけど、アイツも門の向こうにいる気がするんだ」
その眼は長年のライバルだった魔王を幻視していた。
「嬢ちゃんが消えたら、こっちの世界が混乱するぞ? 特に王宮はえらい騒ぎだろ」
「にひひ、そんなの知ったこっちゃないね」
その返答に一頻り笑いあう二人。
王宮付きの人材として、お互い思うところがあったらしい。
「さて、行くか」
強く膝を叩き門へと向かう親衛隊長。
その背へと、真顔になった勇者が声をかけた。
「気をつけてね。向こうで侵略神が待ち構えてるかもしんないよ」
「ああ、分かってる。それでも……いや寧ろ行くしかないんだよ」
彼は聴き逃していない。
敬愛する女神を無能呼ばわりされた事を。
「……おっちゃん、やっぱ強いよ」
「へへ、あんがとよ」
照れ臭そうに笑いながら、彼は門をくぐった。
そして一人残った彼女も、小さく笑う。
「ま、私の方が強いけどね」
大敗を喫したばかりでありながら、勝気な瞳は戦意に燃えていた。
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球群世界のとある森の中。
滅多に人の入らぬその場所にゆらりと陽炎が立ち登り、扉が露わとなる。
独特な雰囲気を醸し出すその扉から、一柱の存在が現れた。
「さあ、新たな侵略を始……っ!?」
一歩踏み出した瞬間、表情が驚愕に染まる。
何故なら、その世界には神が大量に存在し、それぞれが世界に異なる影響力を、いわゆる『根源』を及ぼし合っていたからだ。
一対一なら話は簡単。倒せば世界を奪える。
さらに言えば、今回は世界移動に『根源』を使わずに済んでいる為、波練世界の分が丸々残っている。
はっきり言って楽勝だろう。
しかしこの状況では、いくら倒してもキリがない。
侵略を完遂する方法があるとすれば……
「この世界に対する影響力を増加させ、他の神々を支配下に置くしか無いのであろうな」
その為には奪った『根源』ではなく、自らの『根源』を増加させなくてはならない。
「さて、どうしたものか」
悩ましげな言葉を吐いて、
しかし彼は、心底楽しそうに嗤った。
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10分後。
侵略神が去った森の中。
例の扉から、一人のおっさんが出てくる。
「今度はどんな世界かなぁ……お!?」
目前に広がる見知った木々たち。
嗅いだ覚えのある、懐かしい空気。
確証はない。
それでも、身体中の細胞が憶えていた。
「ひ、久々の地球だー!」
異世界では特に不自由がなかったとはいえ、それでも馴れ親しんだ故郷は恋しかったようだ。
異様にテンションが上がっている。
「いやぁ、堪んないね! お醤油ぺろぺろしたい」
ちょっと気持ち悪いテンションの上がり方だった。
「まぁ、日本食にありつくにしても……まずはバイトでも探すか」
そんな一言を残し、彼はとてもお気楽な様子で森を去った。
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その30分後。
「もう一戦だ、侵略神!!」
騒がしい口上と共に勇者ヴィレイァが登場し、
「うぉおおお!」
騒がしく走り去った。
彼らが球群世界に降り立ったこの日が、風太や商店街を巻き込んだ大騒動へと繋がってゆくのだが……そのことを今はまだ、誰も知らない。
更新がかなり遅れました。すみません。
これからは元のペースに戻れる筈なので、見捨てないで!