Parallelines
この世界がこれほどまでに色鮮やかなのだということを教えてくれたのは彼女だ。
俺には特別な人がいる。
満開だった桜の木が葉桜となってしまった頃のことだった。放課後、俺は去年の末から決まってあるところを訪れていた。教室のある校舎の向かい側にある校舎、その3階。
“第二美術室”と書かれた札の掛かった教室の扉を少しの気合を入れて開く。
そこには1人の少女が熱心に鉛筆を動かす姿があった。
暖かな日差しに照らされてきらきらと輝き、鉛筆を動かす動きに合わせて揺れる黒のサイドブレイド。髪と同じ、真っ黒な瞳に映っているのは手元のスケッチブック。何かを描くことに集中しているようで俺が入ってきたことにも気付いていないようだった。
後ろでに扉を閉め、ゆっくりと彼女の後ろに回り込む。
後ろにいることで目に映る、白く綺麗なうなじが俺を誘惑した。彼女にはそんな気など微塵もないのに。
「すーのーはぁーらーさんっ?」
後ろからガバッと彼女の細い肩を抱きしめた。
「ひゃあっ!?だっだだっ、誰ですかっ!!?」
もう何度も繰り返しているのに相変わらず初々しい反応である。
春原 千織、この学校唯一の美術部員であり俺の同級生。そして、俺の特別な人。特別と言っても、彼女はそんじょそこらじゃ見かけないほどの鈍感娘だ。今のように互いの肌が密着するようなスキンシップを繰り返していても俺の好意は面白いほどに伝わらない。
ここに来て、こんなことをするのだって俺以外に誰一人とていないと言うのに。
「俺でーす、俺俺ー。あっ、別にオレオレ詐欺じゃないからね。」
「あっ!佐藤君でしたか!
もう…びっくりさせないで下さい…。」
「ははー、俺もびっくりぃー。」
春原さんの危機感の無さにね。
「で、俺が来ても気付かないレベルに集中しちゃって。何描いてたの?」
俺は彼女の鈍さに甘え、後ろから抱きしめたまま会話を強行的に続行する。 側から見たら仲睦まじいカップルに見えるだろうに、どうして現実はこうも上手くいかないんだろう。
「えっ、あっ…すみません…。
葉桜を描いていまして、…あの、怒ってます、か?」
「んー?そんなことないない。」
にこっと笑顔を作ってみせる、途端に曇りがかっていた彼女の表情がぱぁっと明るくなった。そんな単純なところさえ愛おしいのに。
「しっかし毎回思うんだけど、本当上手いよね春原さん。黒一色なのに鮮やかに見えちゃうんだから。」
まだ未完成の彼女の作品を手に取り意見を述べる。
「あっ、ありがとうございます!佐藤君にそう言って頂けるの嬉しいです。」
褒められるのが苦手な彼女は、俺がいつも意見を述べる度に決まって頬を赤らめるのだ。それに加え“俺にそう言ってもらえるのが嬉しい”、か…。
「それ、俺だから嬉しいの?」
「…? 勿論ですよ。」
きょとんとした顔で答えたけどきっと春原さんはこの質問の本当の意図を理解していないのだろう。
「佐藤君は優しいですね。」
春原さんの思う優しい佐藤君なんてどこにもいないのに。本当の俺はどこまでも貪欲で、わがままなんだよ春原さん。俺があんたをどれほど汚れた目で見てるか、あんたに対してどれほど不埒な妄想を描いているのか、知らない癖に。
「そういえば佐藤君、髪色変えたんですね。」
「そっそー、ピンク。どぉ?似合うデショー。」
前髪を摘んでアピールする。
先生達には怪訝な顔をされたがそんなことはどうでもいい、勉学にはきちんと勤しんでいるし成績だって優秀な方だ。若いうちにやりたいことはやっておいたほうが良いとも言うし。それに、この黒髪のいかにも優等生な春原さんはこういう遊びに意外と興味を抱いてくれる。俺の髪色を見てきらきらと眩しく微笑んで感想を述べて、少し羨ましそうな顔をするのだ。まぁ髪を染めるだなんて言い出したら俺が全力で止めるけど。
「ハイっ、とても!綺麗な色ですよね、佐藤君に似合ってます。」
「現役の美術部長さんに綺麗な色、なんて褒められちゃーもう色変えれないかなぁ?」
「へっ!?すみませっ、変えたかったですか?」
やや、そうじゃないんだよ春原さん。少しテンパった顔もこれまた愛らしく感じてしまうのはきっと惚れた弱みというやつだ。
「でも、私的に佐藤君にはその色が一番似合ってるから…。出来れば変えて欲しくない、なぁ〜なんてっ…へへっ、迷惑ですかね?」
そう言って照れたように笑った。
顔に熱がこもっていくのが嫌でもわかってしまった。そんなことを言われてしまっては本当に変えれないじゃないか。
「残酷だね、春原さんは。」
そうボソッと呟いて、彼女の白い首元に顔を埋めた。えっ、何て言いました?だなんて聞いてくる声が聞こえてきたが無視。今顔を上げて目を見て話すだなんてそんな自殺行為は出来るはずもないから。
こんなにも近くにいるのに、触れているのに。彼女にとって俺は大切なオトモダチでしかないのだ。俺を春原さんの色で染めたまま、上から塗り替えることを止めた癖に。
でもそんな彼女の残酷さに甘えて、いつまでもぬるま湯に浸ったままでいる自分がいるのも事実な訳でして。いつかちゃんと交じり合う日が来るまで、今日も俺たちは友達と言う名の平行線上を歩くしかないのだ。