EP1-2 消える傷跡、残る傷跡
太陽が最も高く上る頃、町の中心地は多くの露天商とその客達により喧騒に包まれていた。
聖戦の終結から十年が経つ。かつて戦場にもなったムーゼルグにつけられた傷跡は、完全に消え去っているように見えるほどに復興している。
ムーゼルクはライアスの辺境にあるが、それは同時に隣国・交易国家ザフィアにも程近い事を示しており、多大な恩恵を受けていた。
「さあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい! ザフィアから入ってきたばかりのあっまーいルグの実だ! 美味いし安い、小腹を満たすならこれだよ!」
「いやいや皆様方! ルグの実は確かに美味しいですがいい加減食べ飽きているでしょう。たまには違う刺激はいかがですか。ただ甘いだけのルグの実と違い、ちょっぴり酸味の利いたこのマルクの実こそお勧めですよ」
張り合っている商人同士も珍しくないどころの話ではない。張り合っていない商人達などいなかった。そうでもなければこの激戦区とも呼べる場所では生き残れないのだろう。そんな場所でありながら商人同士が本気でいがみ合っている様子はない。マルクの実を売っている商人のように、張り合いながらも相手の商品もさりげなくアピールしているのがそのコツだろうか。
「マルクの実だって。珍しいなあ……ねえ?」
上目遣いで問いかけるマーナは買ってくれるよね、と表情が語っている。
「ルグの実も食べたいんだろう」
「あれ美味しいじゃない」
「二つづつ頼む。俺も小腹が空いた」
金を受け取ったマーナは一目散に露天商の下へと駆け寄っていく。
「おじさん。二つ下さいな」
二人の商人は「分かってるねお嬢さん」と声を揃えたながらマーナを見た。彼女の立ち位置は二人の露天の丁度境目であり、どちらもおじさんと呼ばれても不思議ではない年だ。ゆえにお互い今のは俺に言ったんだと視線を交わし合った。暫しのにらみ合いの末、お客に聞くのが早いと結論づけた二人はマーナへと視線を送る。
「ええと……両方欲しいのだけど」
申し訳なさそうにマーナが言うと、商人達はお互いにそっちの商品も悪くないから仕方がないと自分達を納得させて商品を準備する。
「失礼したお詫びに、一つサービスして差し上げますよ」
そうマルクの実の商人が言いながら商品を袋に入れて差し出すと同時に。
「迷惑かけた詫びにちょっと割引しとくぜ」
ルグの実の商人もまたそんなことを口にしながら袋に入れた商品を差し出す。二人が再び顔を見合わせた瞬間である。
「こちらも割引しておきますね」
「こっちこそだ。こいつよりけちだと思われてもなんだしな」
商人は睨みあっている。もし二人が動物であれば唸り声を上げ威嚇しあっているに違いない。
「有難う御座います?」
素直にそう言えないのは善意ではなく意地の張り合いの結果の得だからだろうか。睨み合う二人を他所に、マーナはアルトの元へと戻った。
「アルー、戻ったよ」
「お帰り」
マーナは袋からルグの実を一つ取り出すと、残り二つが入った袋をアルトに手渡す。
「うん? 一つ多いが」
「サービスだって」
アルトが実を販売していた商人の元に目を向けると、何やらお互いに張り合い来る客へのサービス合戦を行っていた。ルグの商人が五個買えば一つ無料と言えば、マルクの商人は四つ買えば一つ無料と言う。何とも不毛、そして利益が心配になる戦いであった。
「得をしたな。マーナ」
「そだねー。これ食べながら歩く?」
「もう少しだけ見て回ろうか。出来れば町の外周部も見たい」
二人はルグの正面を服の袖で磨き齧りつく。赤く丸いその果実は非常に甘く、大量の水分を含んでいた。
中心地を抜けた二人はその日一日をかけて町を回り巡る。
北部には領主であるライゼンオルド・ミールア侯爵の屋敷の他、彼に仕えている者達の住居や裕福な商人の家が立ち並ぶ。何か事件でもあったのか、警備の人間が多く立ち入りを禁止されたものの既に復興が完了しているように見受けられた。
西部及び東部はそれぞれ門が設けられており、西はザフィアへと続く街道が、東はライアス王国首都へと続く街道に繋がっている。そのため大通りは人の出入りが激しく、聖戦の傷跡等欠片も感じさせないものだ。
しかし、南部だけがそうではなかった。
「まるで途中で復興を中断したような状態だな。この町は」
「ここだけじゃなくて、ミールア領全体がだと思うけどね。私は」
王都を出立してからというもの、二人は両手では足りない程度の町や村を見てきた。少なくとも表面上は何ら問題ないか人がいなくなり廃墟と化した所が殆どだったが、それはあくまでも今二人がいるミールア領に入るまでに見たものだ。
ミールア領に入ってからというもの。廃墟化した村等は一切なく、数件の建物が崩れたまま放置されている程度の極々小さな被害の町や村ばかりだった。その崩れた建物だって、住民が死亡したり出て行ったりの理由で復旧する必要性がなくなったが故に放置されている具合であった。
「町に着く前に聞いた話。覚えているか?」
「復興作業に尽力してくれてた人がいるってやつでしょ」
二人は途中立ち寄った村で聞いた話を思い出す。
元々、ライゼンオルド侯爵は自身の足元でもあるムーゼルクの町以外の復興作業に力を入れていなかったというのだ。
ここミールア領は商人やその護衛である傭兵が領地で金を落としていくからこそ上手く経済回っている土地。特産品のスターポティはある程度の金を生み出すが、それだけで領地を運営していける程のものではなく、折角の豊富な水も土壌の問題かスターポティを育てるのに役立つ以上の物ではない。これでは侯爵が商人や傭兵にとって魅力的な、ムーゼルクの町の復興ばかりに力を入れていたのも無理からぬことだろう。
変化があったのは聖戦から三年程が経った頃だという。特に被害の大きかった町や村を優先しての復興作業を命じ、多額の出資をし始めたのは。
「女だという話だな。彼女の真摯な心にうたれたということか」
「もしくはたぶらかされたとかね。これならその女の人が姿を表さなくなったのと、復興作業が滞り始めたのが同時期だってことが繋がるよ。よくも私を騙しやがってーこれ以上復興の金は出さん! 叩き斬ってくれるわーみたいな」
意見を出し合い、顔を合わせた二人は暫くして同時に笑い出す。
「その意見はないだろう。侯爵はそれはもう凄まじい愛妻家だったという話だし。他所から来た女にそう易々と取り込まれたりしないはずだ」
「アルこそ。そんなことで簡単に金を出すような人なら、三年間も領民を放っておかないよ。絶対」
和やかな雰囲気が一転して緊迫した雰囲気へと変わった。二人周囲を風が吹き荒れ、衣服を大きく揺らしていた。
「では賭けをしようか」
アルトが勝負方法を提案すれば。
「いいよ。賭けの対象は命令権でどう? 勿論、無理のない範囲で」
マーナが勝利報酬を提案する。
二人の意見が分かれた時、後々どちらが正しかったかを賭けるいつもの方法だった。
「その提案を受けた」
「後悔しないでよね」
「マーナも。後で泣いても遅いぞ」
揃って歩き出すアルトとマーナ。行き先は二人が寝泊りするニコの宿だ。
「ところでさ、アル」
今の今まで賭けだと騒いでいたのが嘘のような大人しく、甘えるような声をマーナが発する。アルトは目を向けていないが、昼にルグとマルクを奢らせた時同様の上目遣いも忘れていない。
「何だ?」
二歩三歩と先に進んだが後を追おうとする気配を見せないマーナに負けてアルトが振り返る。
「お腹空いて歩けないの。おぶって」
アルトはマーナにも聞こえるよう、わざとらしくため息を吐いた。しかしその程度で諦めるつもりはないらしく、マーナは上目遣いをやめない。
「分かった。分かりましたよ、お嬢様」
その場で肩膝を付き、マーナが自分からおぶされるように背を下げる。すぐさまアルトの背には慣れた重さが圧し掛かる。
「じゃあ出発進行」
「全く、気楽だなお前は」
「そりゃあ気楽にもなるよ。私と貴方が動くんだから」
自身に満ち溢れた声だった。まるで考えなしな発言だというのに、アルトの中に大丈夫だという確信が沸いてくる。それは……他ならぬマーナの声だからだ。彼女の声は何時だってアルトに力を与えてくれる。
「お嬢様には期待してるさ」
アルトの呟きは、日が沈み暗くなった空へと吸い込まれていった。
まだまだ動かない物語ですが次回、ようやく動き出します。
尚、補足。
ルグの実=林檎
マルクの実=蜜柑
以上の果物をイメージしてます。




