作者が気が向けば書いてるだけの毒にも薬にもならない駄菓子屋的なほのぼの女子高生コメディトークシリーズ
宝くじで大金を当てて焦る女子高生とその友人達のいる風景
「どうしよう……」
瓜生沙弥香は戸惑っていた。
年が明け、冬休みの終わる登校日前の夜。
自室の机に座り、彼女は手にしていた横長の紙切れのただ一点を見つめていた。
華やかなイラストとホログラムの描かれた、紙幣ほどの大きさの紙。
彼女の視線の先には、一連の数字が並んでいる。
不規則な六桁の番号を、沙弥香は机に置かれたスマートフォンに映し出された画面と何度も見比べていた。
時間が経過するほどに、その顔はみるみる青ざめていく。
疑いが確信に、そして恐怖へと変化する。
紙を持つ左手が震えるのを、沙弥香は右手で抑えにかかった。
(このことは、みんなには黙っていよう)
彼女は自らを戒めるように、心の中でつぶやいた。
高校では無類のおしゃべりで、噂があるとすぐさま友達にしゃべってしまう。
そんな自分が、このことをむやみに同級生へ話してしまわないように。
沙弥香は鉄の意志でそう強く決意すると、茶色く長いツインテールの髪を揺らしながら、すぐに紙切れから視線を外し、引き出しの一番上にそれをしまいこんだ。
いま見たことを忘れようとするかのように。まるで何も見なかったとでもいうように。
「えっ、宝くじ当たったの?」
言ってしまった。
沙弥香は強い自己嫌悪に苛まれながら、教室の机で強く頭を抱えた。
「ど、どうしたの、急に頭なんか抱え込んじゃって」
「だってしゃべらないわけないじゃん……こんな一生に一度あるかないかのネタ、しゃべらないわけにはいかないじゃん……」
「しっかりしなよ、さやりん」
急に机へ突っ伏した沙弥香を心配するのは、隣の席に座っていた友人。
「宝くじ当たっただけでしょ。なんでそんなに落ち込んでるの」
「戒めたことを全く守れなかった自分に腹が立ってるの。ただそれだけ。だから気にしないでともちん」
手をひらひらさせながら顔を伏せてうめく沙弥香。
その様子に、ともちんと呼ばれた友人、射原小知火はただ顔を引きつらせるしかなかった。
冬休みがあけた日の午後。都内の某高校。
午前中に始業式を終え、ホームルームを経た昼休み。
沙弥香は親友と話すうち、いつもクールで滅多に感情を表さない小知火の驚いた顔が見たいという好奇心に負け、自ら立てた鉄の誓いをあっさりと破りつい口走ってしまったのだった。
黒く流れるようなポニーテールの髪に切れ長の目をした小知火は小首を傾げ、沙弥香の様子を可笑しそうにながめた。
「で、いくら当たったの。五千円? 一万円?」
平然とした調子で訊ねる彼女に、沙弥香は机からようやく顔を起こすと、禁じられた言葉を告げようとするかのごとく慎重に口を開いた。
「うーん、と……もうちょっとケタ数が多いかな」
「え、もしかして十万円? すごいじゃん」
「も、もうちょっと多いかな」
「もうちょっと、って……」
沙弥香の強ばった表情に引きずられ、徐々に小知火も緊張した面持ちになる。
「一体いくら当たったの」
すると、沙弥香は焦ったような顔つきで、右手の人差し指をぴんと立ててみせた。
「……………………ひゃく、まん」
「百万――」
その瞬間、小知火は驚くどころか「ぷっ」と可笑しさをこらえきれず吹いた。
「百万当たったって。あーすごい。おめでとうおめでとう。さやりんすごいね~」
「あー! ともちん、その目は全然信用していない目だ!」
「いや、だってさ、普通の宝くじでそんなの当たるわけないじゃん。どうせスマホのゲームでアイテム購入に使える得点が当たる宝くじとかで百万点当たったとか、そういうのでしょ。さやりん最近、『チェインクロニクル』にハマってるからね」
「ともちんは分かってない!」沙弥香は両手を握りしめながら必死に抗議の態度をあらわにした。
「私がどれだけ決死の思いでともちんに告白したと思ってるの。確かに『チェインクロニクル』はキャラクター一人ひとりに練りこまれたストーリーがあって愛着がわくし、戦闘シーンも面白くて、ふだんゲームなんてしない私も独りの時間の大半を消費するほど思わずハマっちゃった作品だけど、それとこれとは全然関係ないの! 昨日の晩からずっとこのことを考え続けて考え続けてほとんど眠れずに朝を迎えちゃったくらい真剣な話なんだから。大体ともちんはいつも塩対応過ぎるよ。そりゃあ私はふだん冗談ばかり言ってるから、たまにマジメな話をしても疑いたくなる羊飼いの村人的気持ちは分からないではないけどさ。私のこの目つきと雰囲気とで、これは本当の話だな~ってことを察してほしいんだよ。そうじゃないと私の想いが報われないじゃん? ともちんももっときらりんみたいに素直な気持ちになったほうがいいよ。あ、きらりんといえば最近また演劇部員が増えたって聞いた? 私ビックリしちゃってさ~。ついこのあいだまで部員が四人に満たなくて部活消滅の危機だって言ってたのに、これで立て続けに三人だよ。ようやくきらりんの演劇部長としてのがんばりが認められたみたいで、親友の私としては涙が出るほどうれしいよ。このままいけば来年の新入生の入部も期待できるんじゃないかな。そういえば私のバトミントン部もそろそろ新入生勧誘の手を考えないといけない――」
「さやりん、そこまで」
永遠に続きそうな沙弥香のマシンガントークを小知火はいつものようにばっさり断ち切った。
我に返ったようにはっとする沙弥香。
「あ……私、一体何をしゃべっていたの」
「なに催眠が解けた人みたいになってるの。っていうか演劇部の話もまあまあ気になるけど……。それより百万円。それ、ほんとにほんとなの?」
「ほんとにほんとだよ。決まってるじゃん。このせいで昨日の晩、ほとんど眠れずに過ごしてさ~。それでそのとき少しだけ見た夢がまた非現実的な状況だったのにすごくリアルで」
「あー、分かったから、話そらすのだけはやめて。で、本当に百万円なの? だったらすごいビックリなんだけど」
「ならもう少しビックリした態度を私に見せてくれたまえともちん」
「いや、ビックリする機会を逃したというか、一応これでも内心驚いてるんだけど。でもそれって、何等になるの」
「一富士賞」
小知火の顔が引きつった。
「さやりん。その宝くじ、ニセモノじゃないよね」
「失敬な。ちゃんと一億円が二本出た駅前宝くじ売り場で購入した初夢ジャンボ宝くじだよ」
「そんな賞、聞いたことないんだけど」
「まだ疑ってるの? ひどいよともちん! 私、昨日机でスマホの当選番号と千回以上見比べて確認したんだから!」
「千回は言いすぎでしょ」
「…………三十回くらいだったかもしれない」
「サバ読みすぎ。そんなだから何を言っても信用されない――あ~もう分かったから。信じるよ。信じるから机に顔をつっぷしてすねるのやめなよ」
折れた小知火に、沙弥香は再び顔を上げながらため息をついた。
「はぁ……まさか信じてもらうだけでこんなに時間がかかるとは」
「仕方ないでしょ。百万円当たったよ~♪ なんて言われて簡単に信じるの、きらりんくらいだし。人間、さやりんが思うほど簡単に人を信じるようにはできてないの。で、その百万円、もう受け取ったの?」
「ううん、まだ。当たってるの昨日確かめたとこだから。ってか、受け取りにいくの怖い。五千円とか一万円とかならもっと単純にうれしがったと思うんだけど、ここまで大きな額になると逆に」
「まあ、そうだよね」
「どうしよう……これがきっかけで私、お金に溺れる人生に転落したら……あまりに大きなお金を手にしたものだから何でも手に入る気になっちゃって、金銭感覚がマヒしちゃった私は浪費癖がついて、高校生なのに多額の借金を背負い奈落の底へ転落していくなんてことにならないかな」
「考えすぎでしょ……。ブラックな未来を想像するのは勝手だけど、もう少し素直に喜んだら?」
「ともちんの塩対応! ともちんの塩対応!」
「二回いうな。それ結構傷ついてるんだから。――で、もし受け取ったら、何に使うつもりなの」
小知火の言葉に、沙弥香は机にひじをついてあごをのせた。
「そこが問題でさ~。名案が無くて困ってるんだよね。ともちんは何に使えばいいと思う?」
「う~ん。あ、せっかくだし彼氏に何かプレゼントでもしたら? あのサッカーのことしか考えてない朴念仁の彼氏。最近冷め気味だったんでしょ。いいチャンスじゃん。ちょっと高めの贈り物でもしたら」
「別れた」
「あ、そうなの。じゃあダメだね。それなら他の使い道を考えないとだけど、百万円あれば服でもバッグでも欲しいものはたいてい買えるよね。私だったら旅行にでも行こうかなと思うけど、さやりんの場合えええええええええええええええええええええええええええっっっっっっ!?」
きーん、と響く声に両耳をふさぐ沙弥香。
それへ小知火がいままでになく驚愕に満ちた表情で食ってかかる。
「別れたの? 彼氏と? いままでさんざん別れる別れるっていいながら彼を引き留めようと色々がんばってたじゃん! なんで? いつ? きっかけは?」
「ともちん、私はどちらかというと宝くじでそのリアクションが欲しかったんだけど、結果的にいままで見たことのないくらい驚いた顔が見られてうれしいよ」
「なに悟ったような顔になってるの! なんで彼氏と別れちゃったの!?」
「だってさー、このあいだのクリスマスもさー、どこにもいかなくていいから、一緒にいるだけでいいからってもう二か月前から約束してたのにさー、二日前になってサッカーの遠征があるからって言ってきてさ。いつも彼氏の前では温厚な沙弥香様もさすがに怒っちゃったわけですよ。それで問い詰めたら言い合いになっちゃって……それきり連絡とってない」
「じゃあまだはっきり別れるって言ったわけじゃないのね? なら絶対この百万円、彼氏のために使うべきよ。仲直りの印になるような――あ、たとえばサッカーボールとか」
「もういいよともちん。なんかそれって彼氏に貢いでるみたいだし。そういう関係、嫌なんだよね。それにいまの私はサッカーという単語が耳に入った瞬間、反射的ににらみつけちゃうかもだから、もう二度と私の前で『サッカー』という言葉は使わないで」
さきほどの宝くじのときよりも数段真剣な沙弥香の視線に、小知火は「あ、うん、分かった……」と了承を強要された。
気を取り直した沙弥香は、悩ましげに視線を上げる。
「いろいろ考えたんだけど、いい使い方が思いつかないんだよね。欲しいものとか行きたいところとかはいっぱいあるんだけど、全部百万円もかからないし」
「でもいいんじゃない? そういうので少しずつ使っていけば、いつか百万使い切るでしょ」
「う~ん、そういうんじゃないんだよね。百万円使ったな~! って後から思えるような使い方がいいなって。少しずつ使うんなら、小さい額の積み重ねにしかならないし、インパクトが弱いのよ」
「別にインパクトなんて求めなくても……。ああ、じゃあ親に何かプレゼントしたら? 旅行とか」
「それもなんかね~。自分で買った宝くじなのに、っていう気もして。うちが多額の借金を背負ってて極貧生活を送ってるならそれもアリなんだけど」
「そんな生活送ってたらそもそも宝くじなんて買わないと思うけどね」
「鋭い! さすがともちん、塩ツッコミ!」
「なんでも塩つけりゃいいってもんじゃないでしょ。麹じゃないんだから」
「ともちん、醸してるの?」
「何を。私そろそろ本気で怒るよ」
「わー! 冗談冗談! 人類みな友達が目標の私がともちんを怒らせるようなこと言うわけないじゃん!」
「はぁ……。で、何か名案は浮かんだ?」
「浮かばず。もう二ケタくらい金額が多かったら宇宙船に乗りたいところだけど」
「宇宙船どころか、一億円あったら人生変わっちゃいそうね。ああ、使い道がないんなら、百万円を元手にしてサッカーくじでも買ったら? BIGだったら当たれば六億円になるし。そしたら宇宙船でも何でもできるでしょ」
「サッカー」
「あっ」
ぎろりとにらみつけてくる沙弥香に、小知火は思わず口を抑えた。
「サッカー……サッカーがあいつの恋人……私はサッカーに勝てなかった……サッカーさえなければ別れずにすんだのに……サッカーなんてこの世から無くなればいい……ブツブツ」
「ごめん、沙弥香。本当にごめん。だからまた机につっぷして一人でどこまでも堕ちるのはやめて」
腕の中に顔をうずめてしまう沙弥香へ、小知火はなんとかしなければと必死に考えを巡らせた。
「そ、そうだ。いい案が浮かばないなら、他の人にも訊いて回ったら? 『もし百万円手に入ったら、何に使う?』とかって。さやりん、このクラス全員友達でしょ。だれか一人くらい百万円の粋な使い方、思いついてくれるんじゃないの」
そう言われ、沙弥香は再びむくっと起き上がった。
「そうだね。うん、そうしよ。放課後までに全員回れるかなー」
沙弥香は席を立つと、さっそく近くの女子生徒に話しかけていく。
この立ち直りの早さと行動力は尊敬するわ。小知火はほっとした表情のまま、親友の後姿に感心していた。
「で、どうだった」
放課後。
帰り支度を整える生徒達の中で、小知火の机にやってきた沙弥香はため息交じりにつぶやいた。
「ぜんっぜんダメ。みんなろくなこと考えてない」
「え、そうなの。例えばどんな?」
「例えばもなにも、みんな将来のために貯金するとか言っててさ。あり得なくない?」
「いや、一番ごもっともな意見だと思うけど」
「うそー! 私、一ミリもそんなこと考えなかったんだけど」
「さやりん、もう少し自分の将来のことも考えた方がいいよ」
「他にも家電製品を買うとか、海外旅行に行くとか、高級料理食べに行くとか、そんなのばっかり」
「あ、おいしいものを食べに行く、っていうのもいいよね」
「ぽっちゃり中村くんなんか『おいしいものを食べて、余ったらそのお金でおいしいものを食べる』って言ってた」
「結局全部食べることなのね……」
「椎名くんは、全額ネトゲに課金するとか言ってた」
「あのオタク男衆にも訊きに行ったの?」
「訊くに決まってるじゃん。で、木島君は『全額アニメ制作会社に出資して今春放送の魔法少女リリカルなのはViVidのスポンサーになる』とか言ってたし、祐太郎なんか『アリス十番の布教用CDアルバムを百万円分買って全校生徒に無料で配布する』とか。もうとんかつDJアゲ太郎もびっくりの熱心さだよね」
「ごめん、単語が全然分かんない……。あ、塔子様は? 成績優秀容姿端麗学級委員長の藤巻塔子」
「『私なら、マンツーマンの英会話教室に使う』っていうありがたいアドバイスを受けた」
「さすが塔子様……」
「まあそれは若干共感するところもあるけどね」
「え、意外。さやりん、英語好きなの?」
「英語の科目が、っていうより、英語が話せたらなって。海外の人とか、もっといろんな人と話せるじゃん。それって自分の世界が広がる気しない?」
「じゃあ英会話にしたら? たぶんさやりんにあってるよ」
「ダメ。今以上に勉強の時間を増やすとか、あり得ない。気が狂いそう」
「言いすぎでしょ……。じゃあ、参考になる案は無かったのね」
「う~ん……しいて挙げるなら『マカオのカジノで散財』か『インドにロングステイ』かな」
「うん、どっちも確実にやめたほうがいいと強く断言しとく」
「ええっ? なんで?」
沙弥香の反応をさらりと無視して小知火は言った。
「あれ、そういえばきらりんには訊いた? きらりん、家が大金持ちなんでしょ。もしかしたら百万円のいい使い道知ってるかも」
「そう、私もそう思ったんだけど、きらりん、休み時間になるとすぐどこかに行っちゃって――あっ、きらりん!」
沙弥香が言い終わらないうちに、教室の外からひとりの女子生徒が駆けてきた。
やや赤みのあるふわふわした長髪に、どこかぼーっとした目つきの彼女は、二人を見つけたとたん手を振りながら近づいてきた。
「二人とも、きらりんを捜してたのー? ごめんねー。演劇部の活動でちょっといろいろ用事があってー」
間延びした言葉遣いで話す彼女は、小野原雲母。
沙弥香が小知火とともによく一緒にいる親友。
「そうだよきらりん。どこ行ったのかと思ってたんだよ。演劇部? 忙しいみたいだね。もしかして新入部員が入ってきた関係?」
沙弥香が訊くと、雲母はうんうんと何度もうなずいた。
「新しい人のところに今日の集合場所とか伝えなきゃいけなかったからー。大変だったのー」
そのわりにはのんびりとした口調で話す雲母。
いつも極度のマイペースで独特の空気をまとっている彼女に、小知火も苦笑した。
「まあ、きらりんにしてはよく動いてた方かもね。あ、そんなことよりさっきの話。さやりん」
「うん。きらりん聞いてよ~。ともちんがさ、また下級生の女子にラブレターもらったんだって。知ってた?」
「えー、ほんとにー? すごいよねー。ともちん、クールでカッコいいもんねー」
「待って待って。だれがそんな話しろと言った? ってかさやりん、それ秘密にしておいてって言ったのに――ってダメか、さやりんに話した時点で」
「えっ、なに? 最後の方、よく聞き取れなかったけど」
「何でもないから。早いとこきらりんに宝くじの話してよ」
「話すけど……どうしてともちん、頭抱えてるの」
そして沙弥香は雲母に、宝くじで百万円当たったことを手短に説明した。
「――ってわけなの。きらりんならこの百万円、なにに使ったらいいと思う?」
「そうねー。でも百万円って、どのくらいのお金なのー。そんなに大金なのー?」
「え?」
のほほんとした雲母の言葉に、沙弥香は驚きを隠せなかった。
「だ、だって百万円だよ? 高校生には――っていうか一般市民にはすごい大金じゃん?」
「そうー?」
「さすがだね。金持ちは言うことが違う」小知火が変なところで感心する。「きらりん、ちなみに服買うときとか、毎回どのくらい使ってるの」
「うー、分からないー。いつも値段見ないしー」
「でも最後にお金は払うでしょ」
「カードで払うからー。金額あんまり見たことないかもー」
「さやりん。私たちは期待しすぎていたのかもしれない」
「そうだねともちん。きらりんに金銭感覚なんてものは元からなかったんだね」
「ねーねー、二人で何話してるのよー。きらりんも混ぜてー」
不満そうに口を膨らませる雲母に対し、深刻そうにうつむく沙弥香と小知火。
それでも一応訊くことは訊いておこうと、おもむろに沙弥香が尋ねた。
「じゃあさ、きらりんはもしお金いっっっっぱい持ってたら、欲しいものとか、したいこととかある? 宇宙旅行に行くとか、おいしいものを食べるとか、好きな会社に出資するとか、英会話教室に通うとか」
「うー、きらりんはねー、着ぐるみがほしいかなー」
「着ぐるみ?」
予想だにしない単語に、沙弥香と小知火は目を見開いた。
「うんー。できれば三体くらいー。宇宙人と、エビと、熊ー。劇で使うからー。新入部員に着てもらうのー」
「どんな劇をするつもりなの……。ってかいきなり新入部員に着させるの? ハードル高くない? いろんな意味で」
「大丈夫よー。きらりんも最初の演劇はこけしの着ぐるみだったからー」
こけしの着ぐるみが出てくる劇ってどんな劇だ、と小知火が顔を引きつらせる。
その横から、沙弥香が口を開いた。
「じゃあさ、着ぐるみが高すぎて買えなかったらどうするの。百万円出しても買えなかったら」
「そのときはー、別の劇を考えるー。お金なくても演劇はできるしー。あったらあったなりの劇ができるからー」
何でもないことのように話す雲母。
そんな彼女の屈託のない言葉に、沙弥香は少しだけ心を動かされた気がした。
「……さやりん?」
沙弥香の表情の変化に、小知火が気付く。
どこか不安から解放されたように、沙弥香は口元を緩めていた。
「――ありがとう、きらりん。すごく参考になったよ」
「ううんー。きらりん、あんまり役に立てなかったかもー」
「そんなことないよ。死ぬほど助かった」
「どういたしましてー。あっ、そろそろ部活の始まる時間だから。ごめんね、バタバタしちゃってー。じゃあまた明日ねー」
そう言って雲母は慌ただしく走り去っていった。
その後姿を、沙弥香はどこか尊敬の眼差しで見つめていた。
小知火はそんな沙弥香の横顔へ疑問を挟む。
「どうしたの、急に納得しちゃって。まさか着ぐるみでも買うつもり? そういえばさやりん前、ふなっしーの中の人になりたいって言ってたもんね」
「違うって。着ぐるみのくだりじゃなくて。なんかさー、きらりん見てると、百万円で騒いでた自分がなんだか恥ずかしくなってきちゃってさ」
「でもきらりんはお金持ちでカード支払いだから、一般市民の私たちとは違うんじゃないの」
「そうじゃなくて……。きらりん、好きなものに打ち込んでるなーって。ちょっとうらやましくなった」
「……どういうこと?」
けげんな表情を浮かべる小知火に、心のわだかまりが溶けた沙弥香は小さく微笑んだ。
「きらりんって、いまたぶん大好きな演劇のことばかり考えてると思うんだよね。だからお金があればあっただけ全部、演劇に使っちゃうと思う。でも『お金が無いといい劇が作れない』なんて、きらりんは少しも考えてない。お金はあくまで好きなことに取り組むための選択肢を広げる材料に過ぎないんだって、そう思った」
「さやりん……」
丁寧に紡ぎだした沙弥香の心からの言葉に、小知火もようやく彼女の理解を納得した。
自分が好きなことの可能性をさらに広げるための資源。選択肢を増やすための原資。
百万円とは――お金とは、本来ただそれだけのもの。
生活が困窮しているなら話は別だ。伴侶や子供がいるなら、彼らのために使うのもいい。
でも全くの余剰資金であるなら――そのお金を使うべきは、自分という人間の可能性を広げるために使うべきなんだ。
「決めた」
沙弥香は拳を握りしめ、大きな瞳をつややかにきらめかせながら、決意するように口元を引き締めた。
「私、自分が好きなことのために、百万円を使う」
「好きなことって……? さやりん、特別な何か、してたっけ?」
小知火の問いに、沙弥香は明朗に答えた。
「私って、しゃべるの好きじゃん。で、友だちをつくるのも大好き」
「まあ、それはそうね。先輩にも後輩にも知り合い多いし」
「きらりんに言われて気がついたけど、もしかしたらそれが私の生きがいかもなー、なんて思ったわけ。だから私、百万円使って友だちも知り合いも先生とかも一族郎党みんな集めて一大イベントを開こうと思うの! 大きな会場借りて、全部私のおごりで、みんなで朝まで大騒ぎ! ね、ね、楽しそうじゃない?」
「それってただのパーティーピーポーじゃん」
小知火の無下な塩ツッコミが沙弥香の敏感なハートに痛く染みる。
沙弥香はうなだれた。
「ともちん……せっかく私がここまでヤル気になってるのに、あっさり奈落の底へ蹴落とすなんてあんまりだよ」
「いやいや、そんなことしたら、沙弥香が百万円当たったって情報、すごく広まるよ? あんまりそういうことひけらかすのってよくないと思う。だいたい先生におごるとか、あり得ないし」
「じゃあ私、英会話に通う。もしくはインド」
「あっさり折れるのね……。ってかインドはダメ」
「はぁ……。私にもきらりんみたいに何か具体的に夢中になれるものがほしいかも」
「それより、いま気づいたんだけど」小知火が表情を変えた。
「百万円って、高校生が受け取れるの? 親の同伴が必要とかになるんじゃない?」
「あっ、そういえばそんな気もする。未成年だもんね……」
沙弥香は悲しそうにまぶたを下げた。
そんな彼女をなぐさめようと、小知火は肩をたたいた。
「まあまあ、そんなわけだから、とりあえず受け取ってからじっくり考えてみたら? どれだけ手元に残るか分からないし。税金がかかるから満額は受け取れないって聞いたこともあるから。いまからあんまり妄想を膨らませても仕方ないんじゃない?」
「うん、そうだね……。とりあえず売り場の人に訊いてみるよ。ありがとう、ともちん」
そう言って沙弥香は立ち上がり、下校しよう教室を出ようとする。
そのとき、沙弥香はふと、後ろの親友をふり返った。
陰りの差す、寂しそうな顔つきのまま。
「……ともちん。私がもしインドに行くことになっても、ずっと友達でいてね」
「だから妄想を膨らませるなって言ってるでしょが」
宝くじ売り場。
駅のそばにあるこじんまりとした白い建物に、沙弥香はやってきた。
売り場の前には「LOTO6」だの「ちびまる子ちゃんスクラッチ」などのカラフルなのぼりが並んでいる。
その間をすりぬけ、沙弥香は売り場の窓口の前に立った。
はい、おうかがいします、という売り場の女性に、沙弥香は緊張した表情で一枚の宝くじを差し出した。
これ、ここで買ったんですが。初夢宝くじで一富士賞だと思うんですけど。
いつものおしゃべりな沙弥香とは思えないくらいたどたどしい口調で告げてしまい、彼女は相手の反応に内心ハラハラした。
だが窓口の女性は極めて事務的に宝くじを受け取り、手元にある当選番号一覧と照合をはじめた。
百万円――。
沙弥香は思わず息を飲む。
一生に一度も訪れない出来事。
人によっては、ここで一生分の幸運を使い果たしてしまったと考える人もいるだろう。
だが、沙弥香は違った。
自分は選ばれた人間なんだと――他の人とは違う何かとてつもない使命を預かっているのだと、だからここで百万円も手に入るし、国家の要職にもつけるし、インドでも最高権力者になれるし――などと誇大妄想の海に浸っていた。
どこまでもポジティブシンキング。それが瓜生沙弥香という人間。
早く照合を終えてほしい。そして目の前の女性の驚いた顔を見てみたい。
沙弥香は先ほどまでの緊張に固くなっていた顔がいつのまにかニヤけていることに気付かなかった。
番号が合ってるのは確実なんだから。
さあ、早く――
沙弥香が期待に目を輝かせるのに、だが目の前の女性は、けだるそうに口にしながら宝くじを差し戻した。
「これは東京の宝くじですので番号が違います。関東・中部・東北地方の宝くじなら一富士賞ですが」
「えっ」
最後までお読みいただきありがとうございました。
結果的に沙弥香の勘違いでした、という衝撃のラスト、いかがだったでしょうか。
小説と呼ぶにはお恥ずかしい小話ですよね(毎回ですが)。
感想を下さいとはいいません。一笑に付していただければ幸いです。
女子高生三人のコメディトークシリーズ、これからも機を見て書きたいと思います。
気が向いたときにでものぞいていただけるとうれしいです。
平成二十七年もよろしくお願いします。