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スクーリング

 窓から暖かな夏の日射しが差し込んでくる。

 公也の隣の席には、美月がいた。正面には、教壇に二人を眺める鹿田葉月がいる。

 公也は鉛筆を握りながら、試験を解いていた。今日はたまにしか訪れないスクーリングの日だ。

 以前の町なら、教室で授業を受け続けることは当たり前だったのに、今日は三限目で疲れがどっと吹き出ていた。

 もっとも、これが終われば今日のスクーリングは終了だ。公也がぎゅっと目を閉じると、葉月がぱんと手を叩いた。

「よし、じゃあ今日のところはこれで終わりだ。ご苦労さん」

 苦手の現国の試験が終わって、公也はほっと溜息をついた。横にいる美月は、平然とした顔で公也に一瞥をくれていた。

「ハムくん、お疲れ様」

 進学志望という美月の言葉に嘘はないのか、彼女は至って平然としていた。むしろ彼女は、選択肢があれば一般の高校に通って受験競争の波に自ら飛びこむ類だろうと、公也は肩をすくめていた。

 その二人に割って入るように、葉月が公也に軽く手を上げて近付いた。

「さすが、町から来た奴は理解力が違うな」

「せんせ、どういう意味」

「市原はいいんだよ。牟佐がなあ……」

 と、彼女は頭をぽりぽりとかきむしって、軽くぼやいた。その光景が安易に想像出来た公也は、引きつり混じりの苦笑いを浮かべていた。

 その公也の肩を葉月はぽんと叩いて、破顔一笑した。

「椎木、お前の提出物、軽くしか見てないが、ちゃんと出来てるぞ」

 彼女の言葉にほっとした公也は、少し息をついてから彼女に訊ねた。

「それより、先生が全部やるんですか?」

 彼の質問に、葉月は唇の片端を曲げるように上げた。

「本当はもうちょい教員がいてくれるとありがたいんだが、生徒数の都合で便利屋の私が送られてるってわけだ。体育とか学生時代大嫌いだったんだけどよお」

 彼女は首を軽く回しながら、公也に口を緩めてみせた。

「ま、最初は大変だったけど、やってみると面白いもんだ。お前も将来の道決めてないんだったら、こういうのも悪くねえぞ」

 葉月の剛胆さが溢れる笑いに、美月が冷笑気味に口を挟んだ。

「ハムくんに人生を強要するのはよくないわよ、センセ」

「るせー。調理実習で牟佐に勝てない私を笑う気か、お前は」

「そんなこと言ってないでしょ。せんせは人手がないのに、私達のためによくやってくれてるって思ってるわ」

 美月の微笑を交えた誉め言葉に、葉月は喜ぶでもなく、すねた子供のように唇を尖らせた。

「さってと、楽しいスクーリングも終わったことだし、何か質問あるか?」

「えっと、じゃあ下らない質問ですけど」

「なんだ」

「凪沙と香琴は、いつスクーリング受けるんですか?」

 公也の質問が馬鹿げていると思ったのか、彼女は大きく溜息をついて何故か美月へと目をやった。

「まあ、これが一般的な教育を受けてきたものという奴だ、市原クン」

「まあ仕方ないわね。この少人数じゃ、全員で受けて当たり前みたいなイメージあるし」

 二人のやり取りを見て、公也は小首を傾げながら恐る恐る訊ねた。

「じゃあ、一応日程が違うとか?」

「まとめてやれる日は全員まとめてやるけどな。適当なことやるとあとで色々うるせーんだよ」

「でも凪沙と香琴が来る日は、用がなくてもここに来るけどね、私は」

 美月が答えると、葉月はあくびをしながらプリントをまとめて茶封筒に入れた。その教師らしからぬだらしない様が、公也をほんの少し呆れさせていた。

「あの、先生って普通の高校とか興味ないんですか?」

「ない」

 怖々と訊ねた公也の一言を、葉月は簡単に突っぱねた。そして口元を軽く弛ませ、椅子に座って脚を組んだ。

「ここが廃校になったら、今度は都会の通信だな」

「でもせんせ、教職免許持ってるんでしょ」

「免許持ってる奴、全員が全員、昼間に営業してる学校で働くわけじゃねえだろ。それこそ普通の企業に行く奴も腐るほどいるわけでな」

 彼女の言い分ももっともで、公也も口を曲げつつその言葉に耳を傾けていた。

「大体、こういうとこに来る奴はワケありって世の中の奴は思ってるけど、私からすりゃ全日の高校に通ってる奴の方が変だね」

「そうかしら」

「そりゃマトモな奴もいるだろうさ。でも何十人も同じ枠組みで生きてる奴の相手してりゃ、鬱屈した奴、ヒネくれた奴、色々出くわすわけでさ、と経験者は語るのさ」

 彼女はにっと二人を見つめて笑った。あまり彼女の過去は聞かされたことはないが、どうやらそういった手合いの人間と人生を過ごしてきたようだ。

「どうせ変な奴と過ごすんだったら、こういうとこでやった方が面白いって思わないか」

「それは……僕はちょっと分かりません」

「ま、椎木はこの間まで私が否定した全日で過ごしてたんだ、そういう意見は仕方ないだろ」

「せんせって、何も考えてないようで色々考えてるのね」

「だから市原、お前は私を何だと思ってるんだ」

 子供のようにむくれた顔で、葉月が美月を睨んだ。美月はいつもの猫のような冷笑とも無感情とも取れる顔で、年上の葉月を見つめた。

「まあいいよ、お前らにはとっておきの未来があるもんなあ」

「なんかそれ、先生何もないみたいですね」

「あったらこんなど田舎で通信の教員なんかしてねえよ」

 葉月の悪態は、一見聞こえが悪く思えたが、机に突っ伏しながら呟く様は、心からの言葉には思えなかった。

 彼女は腕を前に伸ばし大きなあくびをすると、おもむろに立ち上がって机についたままの公也の前に手をついた。

「田舎暮らし、慣れてきたか」

 彼女の気遣ってくるような言葉が少し意外だった。公也はしばし黙した後、顔を上げて首を横に振った。

「まだ慣れないことの方が多いです」

 嘘偽りのない彼の言葉に、葉月は口元を緩め彼の頭を撫でた。そのまま美月へ視線を送り、公也の向かいの席にゆっくり腰掛けた。

「ここのおっさん共はどうかは知らねえけどさ、少なくとも私の見てきた範疇じゃ、今ここに通ってる三人ともまあ悪い奴じゃない」

「美月も?」

「ああ、市原か……市原はあの口の悪いのさえ除けばなあ。ひねくれ口叩かなきゃ、割と少女ってな感じになるんだよな、こいつ」

 当人を目の前にして、悪態をつく葉月に、美月が食ってかかるように重たい眼光を飛ばした。だが葉月はその目を前にして、わざと笑い、公也の机で頬杖さえついてみせた。

「それ言うんだったら、せんせはどうなのってこと。ここまで口の悪い教師、私見たことないんだけど」

「てめーよお、こっちは教師始めてまだ五年ほどの若造なんだよ。ケチつけんじゃねえ」

 程度の低いやりとりに、公也もいつしか苦笑を通り越えたおかしさを覚えていた。ひねくれ口をたたき合う生徒と教師は、確かに葉月の言う通り都会ではあまり見られないものかもしれない。ましてや生徒全員が、彼女とこのような距離感で過ごせるというのは、都会の人間からすれば卒倒ものだろう。

「じゃ、今日はお開きだ。暗くなってから鍵かけんのかったりいんだから、お前らも明るいうちにとっとと帰れ」

 面倒そうに手で二人を払い、葉月が教壇の上に置きっぱなしの書類を封筒に収めた。

 この古い建築物で、明かりもままならないまま鍵をかけるのは、へたなお化け屋敷よりも恐ろしい。この生臭教師がそれを気にするとも思えないが、明るいうちに帰れるというのは、ある種心地よくもある。

 公也が鞄を手にすると、美月も同じように立ち上がり、公也に目を合わせた。

「じゃ、帰りましょうか」

 彼女に促され、彼もゆっくり足並みを揃えた。去り際に見えた、葉月のにやにやする姿が少し嫌らしくも思えたが、気にすることはないと公也は美月と共に校舎を出た。

 今日も空は綺麗な青空を見せている。ここに来て、何日も曇り空や雨空を見てきたはずなのに、その記憶があまりない。あるのは白色の光をまぶした透き通るような青の印象ばかりである。

 街にいたころ、日差しはきついもの、痛いものだった。ここに来て太陽が希望の象徴に変わったというつもりはない。だが息を吸って吐くような、そこにあることが当たり前のものになったのは事実だった。

 普段他の人間も共にして歩くことが多いせいか、美月だけが側にいるというのは、違和感に似たものを覚えさせる。

 女の子と二人で歩くのは、どの位久しぶりだろうかと公也は指折り数えてみた。そして悲しくなり、考えるのをやめた。

 その公也の戸惑いに気付いたように、美月の妖艶な黒猫の顔が彼を横目で捉えてきた。

「面白いことでも考えてたの?」

 相変わらず嫌なところを突く女だと、公也は舌を巻いた。彼女の口ぶりは、こちらの考えていることをおおよそ察しているように聞こえる。たとえそうでなくとも、それを思わせるはったりを持たせられるのだから、余計に苛立ちが増していく。

「まあくだらないこと考えてたのは確かだよ」

「へえ」

 彼の返したはったりに、彼女は乗ってこない。あまり性格のよい類の人間でないことを痛感させられつつ、彼は心に思い描いたことを口にした。

「鹿田先生ってさ」

「?」

「高校からここで教えてるんだろ。小学校と中学校の時って、美月たちどこで授業受けてたの」

 忘れていたが、そんな時期が確かにあったはずだ。この日本において小中は義務教育である。彼女たちも当然受けなければならない時期があったはずだ。

 美月は唇に指を宛てて、大きく開いた目で公也を眺めた。

「どんなのだと思う?」

「いや……だからそれを聞いてるんだけど」

「冗談よ。ハムくんってほんと、短気。多分、ああいうことをする時も淡泊なんでしょ」

 からかうような口調で、美月が毒気付いた。淡泊かどうかは実戦経験がないため分からないが、この手の下世話なからかいを、大自然溢れる田舎で言われるとは夢にも思わなかった。やはり彼女は、この田舎で収まるべき人間ではないと、公也はこめかみに力を入れて強く強く感じていた。

 彼女もからかい過ぎたと思ったのか、前方に広がる田畑を見つめながら、静かに呟いた。

「この辺りの村はどこも過疎だから、スクールバスでちょっと遠い学校に行ってたのよ」

「スクールバスか……」

「ここだけじゃなくて、他の村の子も一緒に乗ったりしてね。都会ほど人数は多くないと思うけど、それでも今の学校よりはたくさん人がいた」

 彼女は消えそうな声で、公也を一瞥した。

「その頃がいいなんて言うつもりはないけどね」

 その言葉にほっとする反面、彼女の思い出となるものを訊ねてみたいという欲求も頭をもたげてくる。彼の思いに答えるように、美月が語り出した。その目は彼ではなく、上空の青空に向けられていた。

「人がたくさんいたから、ハムくんみたいなだらしない男じゃなくて、もっといい人と恋愛するチャンスもあったのかもしれない。でもタイミングを逸したわ」

「そういう人、いなかったの」

「恋愛に憧れがあっても、相手と自分の気持ちがなきゃどうしようもないじゃない? 凪沙もそうだった。好きな人が出来たら話をしようって言ってたのに、最後までなし」

 最後の部分に差し掛かり、美月がおかしげに口を押さえた。その頃が懐かしく、そして温かいものなのだと理解出来る。そして恋心の芽生える年頃になった時には、田舎で少人数の生活を送ることとなった。

「香琴は?」

 彼が美月に問いかけると、彼女は一点を見つめるように青空に食い入り、その足を止めた。

「あの頃の香琴って、秘密主義だから」

 やや素っ気ない言い回しが、寂しく響いた。そしてすかさずフォローするように、美月がくるりと振り返って公也に微笑んだ。

「でも恋愛はなかったと思う」

「どうして?」

「あんなに可愛い子に男がいたら、嫌でも噂になるでしょ? そういうの聞いたことないもの」

 強引な論ではあったが、香琴のビジュアルを思い出せばそれなりの説得力はある。彼女とどういった関係でもないが、あの穏やかな美少女の理想像を体現した少女に、恋愛がないのは、一種の妄信的幻想と怪奇的幻想の双方を突きつけてきた。

 思考の袋小路に迷い込み、悩み出した公也の前に、美月がすいと立ち塞がった。そして上目で彼をじっと見つめると、彼の唇に、人差し指を当てた。

 まるで口を閉じるような行為に、彼は言葉を失っていた。彼女はただ静かに微笑み、彼の目を見つめ続ける。

「……続き、気になる?」

 その声に、からかうような上がり調子は含まれていない。淡々と静かに、言葉だけを彼に渡している。

 目を逸らそうとしても、美月の見つめる瞳から逃れられない。このままもし押し倒されれば、体格で勝っていても、公也は跳ね返せる気がしなかった。

 公也が硬直していると、美月が指をすっと離し、唇の両端をつり上げた。

「ふふ、したかったの?」

「あ、あ、あのなあ!」

「別にいいのに。そういうとこ、結構気にするのね」

 美月は何もなかったように、軽い調子で公也の前方を歩き出した。公也は言葉をなくしながらその後についていった。

「……あのさ、美月ってそういうキャラなわけ」

「少なくとも定型文に収められるような人間でありたいと思ったことはないわ」

 破滅願望か、暴走への憧れか。公也はこの状態の美月と話しても、恐らく何かが通じることはないと考え、黙ったまま歩き続けた。

 結局、大した言葉もないまま、美月の家と、公也の家の分かれ道に差し掛かり、二人は軽い挨拶を交えて立ち去った。

 ただ美月の時折見せる唐突な行動が、公也にもやもやしたものを与えていたのも事実で、どうしようもないなと、美月がついさっき見上げていた空を彼も同じように見上げた。

今のところ書き上がっているのはこの辺りです。ちょっと頑張れば、すぐに終わる分量だと今更気付きました。

エタっていたようで、エタらせないという執着心、それも大切なのかもしれません。

そしてどう見ても売れ線にはないという。そういうのにあまりこだわりない人間ですので……。流行り物もいいですが、私は自分の作品を追求していきたいです。

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