何もないのが田舎です
初登校の帰り道、公也はひたすら喋る凪沙と時々口を挟む香琴、そして冷笑するだけの美月の三人に囲まれ、押し黙っていた。
元より積極的な人間ではないと自負しているが、凪沙の積極性はしばらく経たないと慣れることはないと思えた。
家に戻ると、父は購入した田畑で作業するために買ったガイドブックに目を通していた。本気で自給自足の生活を目指すらしい。
先程まで生身の少女達と話していた。都会にいるころは、少ない友人とアニメの話題をするだけで、こんな光景を想像もしていなかった。
棚に置いてあるフィギュアが、過去の自分をふいに思い出させ、都会への郷愁を誘ってくる。
公也は今日知り合った三人を一から思い出していた。
まず、牟佐凪沙であるが、ルックスは別として根っからの田舎娘だと感じた。彼女が野山で駆け回り、大きなカブトムシを手にして笑っていても、何の違和感もない。むしろ、あの田舎に順応した人間だから、下着も最低限でいいと思ってるのかもしれない。
次に市原美月だが、公也の正直な感想としては「やりにくい」の一言だった。つかみ所の無さ、少し嫌みを交える皮肉屋の一面、どれをとっても付き合いにくい。その素直でない様は、ある意味で一番田舎からかけ離れて都会的な人間だとも言えた。
最後に筒野香琴であるが、感想としては普通の可愛い子というそれだけしか思い浮かばなかった。悪い意味で特徴がないのではなく、理想的な程にこにことした性格の良い子としか言いようがない。凪沙がやかましいほどに喋ってもきちんと言葉を返し、美月のうっすらとした皮肉に激昂することなく、半歩ずらしたところで受け止める素直さは、賞賛に値する。彼女のような少女が都会の高校に通っていれば、男子から引く手あまただろう。
公也はこのキャラクターが俺の嫁だと自称するほど、いちアニメキャラを溺愛したことはないが、それでも現実は醜いものだと思って生きてきた。
あの三人は、この世界をどう捉えているのだろう。彼は畳に寝そべって、木造の天井を見上げた。
廃校間際の通信制の高校では、担任である鹿田葉月も滅多に来ないだろう。困った時は誰に相談すべきか、公也は携帯を見つめながらぼんやりと考えた。
公也の腹がきゅるると音を立てた。昨日今日と父が買出しに行った様子はない。
こうなると、またカップラーメンを食する羽目になる。別にそれがしばらく続いたところで生きていけないわけはないのだが、せめて新鮮な食材を元にした料理というのを、たらふく味わいたいと思った。
さすがの父も、明日には車を飛ばして食材を買い込んできてくれるとは思うが、それほど料理のレパートリーが多い方でもなく、期待は出来ない。
だが困ったからと言って、暇潰しできる場所がこの村にあるわけもない。こうしていると、ふらりと寄ったネットカフェやアニメグッズショップ、大型書店が妙に恋しくなってくる。
そんなにいいことがあるわけもない。公也が諦めていると、階段の向こうから父の大きな呼び声がかかった。
「公也ー電話だぞー」
電話と言われても、公也はぴんと来なかった。都会の知り合いには自分の携帯を教えているし、ひいたばかりの家の固定電話に、わざわざ自分を指名してくる人間がいるというのが不思議でならない。
もしかして、高校の入学関連で不備でもあったのかと、公也がびくびくしながら一階に設置してある電話を取ると、突き抜けた明るさの声が彼の耳に刺さってきた。
「ハムくん、久し振りー」
声の主は間違いなく、お祭り女、牟佐凪沙のものだった。お久しぶりと言われても、二時に別れただけで、まだ四時間も経っていない。
公也が呆れて言葉を失っていると、電話越しから凪沙が上ずった声で彼の様子を窺ってきた。
「あれ? 電話繋がってない? あれ?」
「いや……聞こえてるよ」
「そっか、良かったあ」
訊ねられなかったので気にも留めていなかったが、携帯の番号を教えなかったことを公也は後悔した。
しかし、こんな時間に凪沙が電話をかけてくるのは不思議だ。公也は首を傾げながら彼女に訊いた。
「何か用?」
「ん、気になる? 今カコちゃんもみつきちもいるんだ」
「いや……だから用なの?」
「ハムくん可愛げないなあ。今日はハムくんが転校してきたお祝いを、みんなでやろうってことになってさ。ごはん用意してるから来なよ」
まさか、田舎に来て転校の歓迎を受けるとは思っても見なかったせいか、公也の心は呆気にとられたように、暫時無になった。
電話越しの彼女の声は、明るく弾んでいる。当然のように、嫌悪感を感じるようなものではない。
楽しみがたくさんあるというわけでもないが、これに関しては悪くはない。
何より、火を見るよりも明らかな、地獄の夕食、カップラーメンから逃れることが出来るのだ。公也は二つ返事で答えた。
「分かった。どこに行けばいい?」
「うちでやるよ。場所分かるかな?」
「えっと……俺の家からちょっと行った、家の前に松植えてるとこだろ」
「そうそう。じゃ、待ってるね」
そして電話が切れた。何十メートルか離れてはいるが、遮蔽物がないのでお隣さんと認識している。真っ直ぐ進めば問題のない場所だ。
公也は田畑のノウハウ本とにらめっこを続けている父に、夕飯は要らないと告げて、そそくさと家を出て行った。
外は大分日が暮れ、紫色に似た夕日をわずかに残すだけとなった。少し立ち止まれば、さざ波の音が山に跳ね返って、不思議な音響空間を作っていた。空の方も、幾つもの小さな星が灯っていて、都会の煌びやかな夜空とまったく違う趣である。
やっぱりここは、色んな意味で別世界だ。
公也が溜息をついて一歩前に進み出すと、向こうから大きく手を振る人の姿が見えた。
暗くてよく見えないが、目を凝らすと、Tシャツ姿の凪沙に感じられた。
公也が急いでそちらへ行くと、凪沙が飛び跳ねながら息を切らせている公也を迎え入れた。
「どうしたの」
「ハムくん、ここ慣れてないって言ってたから、迷ってるかもって思って、ここらで一番見通しのいいとこに来たんだ」
凪沙の親切に、公也は失笑した。さすがに、家から見える範囲の建物に辿り着けないほど方向音痴ではない。
公也が行こうと促すと、凪沙もいつものように笑顔で頷き、鼻歌交じりに歩き出した。
凪沙がただいまと声を出しながら、正面の門ではない裏口のような入り口の扉を開けた。
「ハムくん、いらっしゃい」
「ナギちゃんおつかれー。ハムくん、どうぞ」
公也が扉をくぐると、居間のいろりを囲んだ美月と香琴が微笑んできた。その昔ながらの土間がある家屋の雰囲気に、公也は思わず圧倒されていた。
「ハムくん、いろりとかこういう家は珍しいのかしら」
「教科書とかで見たことはあるけど、実際に来るのは始めてだ」
「凪沙のご家族が普段生活するのは、奥の部屋なんだけど、私達が集まる時にはもっぱらここを使ってるの。広いし、凪沙のおうちもここならいいって仰ってくれるから」
どうりで居座り方が堂に入っているわけだと、公也は美月顔負けの悪態を吐きそうになった。
公也は一番入り口に近い場所に座った。いろりを挟んで向かい側に美月がいて、左側には香琴が、右側に凪沙がいる。
美月と香琴が足を崩して座る中、上がった凪沙は大きく息をつきながらあぐらをかいた。
恥ずかしいものを見ているわけではないのに、公也はむずがゆい感じで彼女から視線を逸らした。
「凪沙、そういう足の組み方は行儀がよくないわよ」
「でも正座とか疲れるよ」
「ハムくんが驚くから、せめて私達みたいに足を崩しなさい」
美月に注意され、凪沙は渋々足を崩した。注意した美月も、公也をちらりと見て、ふっと鼻息をついていた。
公也が胸をなで下ろしていると、凪沙が美月の側にある大きな籠を、火のついたいろりの脇にぽんと置いた。
ふたを取ると、新鮮な生野菜や豆腐、そして肉が輝くように姿を表した。
「お母さんに、新人さんが来るからって言っておいたんだ。みつきち、嬉しい?」
「別に私は凪沙の味噌汁でも良かったけど」
「あ、ハムくん、ナギちゃん、こう見えてすっごくお料理得意なんだよ」
香琴の差し出した言葉に、公也は感嘆の声をあげていた。凪沙の意外な家庭的な側面が彼の思考の片隅にもなかったのは事実だ。
「でも、みんなで集まったからには鍋だよ。出汁もちゃんと出てるし、早速入れようか」
と、彼女は籠を掴んで具材を放り込んでいく。見たところ取り箸などはなく、皆でこの鍋を突き合うようで、公也は一瞬臆してしまったが、彼女達からすればどうという存在でもないと、自分の自意識を改め、鍋に有り付くことにした。
「今日は豪華だわ」
「時々こういうことするの?」
「ここ、過疎化が進んで、近い年の子が私達しかいないの。だからみんなで集まるときは、こんな風にご飯食べたりとかね」
「他に小さい子とかいないの?」
「私達が最後ね。ほとんどの若い人達は村を出ていったから、私達が最後の世代なのよ」
美月の言葉を聞いて、公也の顔が難しくなった。すると香琴が、その不安を読み取ったように、公也にすっと質問を投げかけてきた。
「ハムくんはどうしてこの村に来ようと思ったの?」
「その、親父が田舎で生活したいって言って、仕方なく」
「お父さん、田舎好きなの?」
「何て言うか……都会にいた頃、ちょっと疲れてたことがあって、その時しょっちゅうテレビの旅番組とか録画してたんだ」
「でも、旅番組とかだったら、観光地になりそうだけど……」
「それが、だんだん旅番組じゃなくて、田舎を取り上げる番組を見るようになったんだ」
「どんなの?」
「銀ちゃんのニッポンウキウキ計画とか……」
公也は恥ずかしそうに呟いた。ローカル番組の中でもかなりマイナーな、全国の田舎ばかりを取り上げる番組だ。公也の父はそういった番組に感化され、異様な田舎への憧れを抱き、成就した。ある種、思うままの道を進む男の生き様を体現しているとも言えよう。
事実、そんな番組はここで放送されていないのか、香琴はおろか、美月でさえ少し身を乗り出して内容を聞き出そうとしている。恐らく二人の中では、洗練された田舎を賞賛するような構成が想像されているに違いない。
公也が黙り込んでその内容に対し口を閉ざしていると、少し苦笑いしながら香琴が公也にまた訊ねた。
「お父さんは田舎に来たかったみたいだけど、ハムくんはどう?」
「……俺は正直、田舎に来たくなかった」
「どうして?」
「不便だし、気楽じゃないから」
公也が硬い表情でぽそぽそと口にすると、横で鍋をかき混ぜていた凪沙が、公也を見ずに口を挟んできた。
「ハムくんがそう思うのは仕方ないなあ」
この村を好きだと言いそうな彼女が、そんな言葉を出したのが驚きだったのか、公也は目を丸くした。
「私もみつきちも慣れてるからどうっていう風にも思わないけど、多分不便なんだと思う」
「ハムくんは都会でどんな生活してたのかしら。私も、少しは興味あるの」
凪沙の言葉の直後に、美月が口を挟んだ。公也は答えようとしたが、いざ都会の生活がどうというのは、当たり前の光景だったので、これといったことも思いつかない。
ましてや、休日になる度に、アニメショップに出入りしていましたなどと言えば、三人に気持ち悪いと思われるという恐怖が、公也を襲っていた。
くわえて、高校の受験近くになった時も、すでに父が田舎暮らしの計画を立て始めていたため、気もそぞろでまともに勉強も出来なかった。
都会にいた頃にあったものは、ここには何もない。かといって今ここで都会にあった何かがほしいと、堂々と宣言するほどでもない。
結局言葉に窮した公也は、もぞもぞと閉じた口を動かして、お茶を濁していた。
「ハムくんはいい人なんだなあ」
煮えた具材を取り分けながら、凪沙が笑った。嫌みかとも思ったが、彼女の苦笑気味のそれは、公也の吐き出しかけた文句を引っ込めていた。
「見栄とか張っても誰も分かんないのに、ちゃんと教えようとするなんてね」
「いや……みんな都会のこと知りたいのかと思って」
「私達が知りたいのは、ハムくんがどんな人かだよ。でも確信できたな、ハムくんは仲良くなれる」
凪沙はそう言いながら、箸に掴んだ白菜などを向かいの香琴の皿によそっていく。美月もちらりと見て、自分から野菜を取り出した。
「ハムくん、食べないとなくなるわよ。私も含めてみんな結構食べるから」
「あ、うん」
公也は鍋の中の具材を適当に取りながら、上目で三人の様子を見た。熱い具材を口に放り込んで、顔を時々歪めつつも、笑顔を絶やしていない。
この三人が仲がいいことを公也は理解した。その何となく感じる疎外感を払拭したかったのか、公也は軽く訊ねた。
「俺はその、都会にまだ未練があるんだけど、三人は都会でこういうとこ見てみたいとかないの」
「え、たとえばどんなの?」
「凪沙は興味ないかもしれないけど……服屋さんとかそういうの」
凪沙はシャツに短パンと、まるで少年のような服装を無防備に晒している。彼女の服飾に対する意識は期待するようなものではなかったが、美月や香琴がどう思っているのか、公也は少し知りたかった。
そうね、と一拍置いて、まず美月が答えた。
「私は安いものでもいいから、色のセンスと店で気に入ったものを組み合わせる方。だから流行とかほとんど知らない」
「香琴は?」
「時々街の方に出た時に、ちょっと選ぶ感じかな。でも、都会の子ってみんなおしゃれだもんね」
美月と香琴の服飾センスの違いはそこかと公也は得心した。良い悪いという問題ではなく、向いている方向が違うのは、何となく理解していたが、こうして口に出されると成る程と思えた。
「こういう話に無縁に見える凪沙も、意外に可愛い格好してみたいのよね」
「ええっ?」
「あはは、したいってのはちょっとあるけど、似合わないし、泥んこにしちゃうからダメかなって。やっぱりそういうのはカコちゃんとか可愛い子がすべきだと思うしね」
公也は喉まで出かかった、馬子にも衣装という言葉を飲み込んだ。素材そのものは悪くないのだから、二人に選んでもらえば可愛らしい女の子になると思えたが、本人がそれを望まないのならば仕方ない話である。
知れば知るほどよく分からなくなっていく三人を見つめていると、今度は美月が質問をしてきた。
「ハムくんは勉強得意?」
「……普通の普通だった」
「だったら、みんなの勉強のサポートが出来るわね」
「俺が?」
「そう、特に私、色々教えて欲しいのよ」
「みつきちはこの村どうするのさあ」
「だから、大学で勉強したあと、戻ってくるわよ。私はそんな薄情者じゃないもの」
美月が手厳しい口調で凪沙に言い返すと、香琴が横で苦笑した。
自分にそんな大役が務まるのか公也が不安げな顔を覗かせていると、香琴が公也に優しい口調で話しかけた。
「ハムくん、お兄さんのはずなのに、そんな感じじゃないなあ」
「威厳がないってこと?」
「ううん、親しみやすいなって。都会から来たっていうから、始め聞いた時、怖い人かなって想像してたけどいい人で良かった」
香琴が微笑むと、あとの二人もつられたように微笑んだ。
いろりの火が、それぞれの顔を照らしだしていく。すると凪沙が、よしと一言告げてすっくと立ちあがった。
「みつきち、有望な新人も入ったことだし、いよいよ本格化する時が来たみたいだ」
凪沙のいつにない真剣な言葉は、少し演技がかっている気もしたが、凪沙も口を真一文字に結んで彼女を見つめ返している。
「……何?」
「ハムくん、実はカコちゃんにも内緒にしてたんだけど、私とみつきちは凄い野望を抱えているんだ」
彼女は胸を張りながら、神妙な面持ちでゆっくり語りかけた。
「この村には、昔から一つの言い伝えがある」
「言い伝え……言い伝えね」
「その昔、源平合戦に敗れた平家の落武者が辿り着いたのがこの村の辺りで、いそいそと財宝を隠したという伝説があるのだ!」
凪沙の言葉に、公也は「はあ」と気の抜けた返事しか出来なかった。
全国津々浦々に、様々な落武者の秘宝伝説はある。だが、こんな片田舎にまで、そんなものがあるというのは、想定外としか言いようがなかった。
そして、秘宝探しのお約束である、見つかるはずがないというのも、公也の頭の中を過ぎっていた。
「ナギちゃん、それ本当なの?」
「昔からじいちゃんに聞いてたし、本当だよ」
「でもあったら誰かが見つけてると俺は思うんだけど……それ」
「あるかないかは、探してみないと分からない。それにさ、せっかくこんなとこ来たんだから、楽しいこと探そうよ、ハムくん」
「そ、見つかんなくて元々、見つかったらラッキーくらいでどう?」
凪沙と美月がそれぞれ勧誘の言葉をかけてくる。この雰囲気で嫌というのは、なかなか勇気の要ることだ。
香琴はどうするのだろうと思い、公也は彼女をちらりと見た。彼女は現実感をもっていないのか、少し驚いた顔で仁王立ちする凪沙の顔を見つめていた。
「カコちゃん、やらない?」
「どうなるのかな……」
「私とみつきちだけじゃ不安だから、カコちゃんに参加してもらいたいんだけど、ダメかなあ」
「やることなんて、村の中歩き回って時々シャベルで地面掘るだけよ。私は面白いと思うんだけど」
二人に詰め寄られて、考え込んでいた香琴がとうとう折れた。
「うーん、見つからないかもしれないけど、探すのも面白いかもしれないね」
「よしっ! じゃ、カコちゃん決定。ハムくんどうする?」
「……参加するよ。ていうか、さっきから凪沙の目がすげー怖い」
「こういう時は押すに限るからね。よし、牟佐探検隊をここに結成するぞっ!」
凪沙が腕を大きく上げ、飛び跳ねそうな勢いで叫んだ。香琴は困ったように笑い、美月は首を何度か縦に振っていた。公也はしまったという顔でぽりぽりと頬をかいていた。
だが、凪沙のやる気は本物である。どうなるか分かったものではないが、やるしかないのだろうと、公也は腹をくくり、鍋の残りにゆっくり箸をつけ、更けていく夜にやれやれと愚痴をこぼしていた。




