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すれ違いの日々

 先日の大雨が嘘のように、夏の日差しが強く窓から突き刺さってくる。

 木造の古い教室の中、公也は他の三人と共に、今学期最後のスクーリングを受けていた。

「とりあえず今学期に関しては、全員赤点を出すことなく終わった、ご苦労さん」

 担任の鹿田葉月が辺りを一望する。だが、いつもならはしゃぐような凪沙も何も告げず美月からも反応はない。もちろん、香琴も笑みを浮かべるものの黙ったままだ。

 どうしてこんなことになったのか。彼女達に声をかけられない公也も、また同じように口を閉ざすことしか出来なかった。

「夏休み……って言ってもここでの過ごし方はいつもと変わらん。まあいつもと違うのは当分スクーリングがないってことだな。ハメ外しすぎるのも問題だけど、少しくらいハメ外すのも人生経験と思えよ」

 と、鹿田は書類の入った茶封筒を揃えるように数度机の上でならした。ここで終わりの合図だ。

「じゃ、家の手伝い、勉強、好きなことに勤しめ。少なくとも一学期の間はちゃんとしたわけだからな。じゃ、起立」

 鹿田が席を立たせる。軽い挨拶の後、鹿田は教室を出ていった。

 残った少女達三人と、公也がそれぞれの顔を見る。

「あはは、ハムくん、家の手伝いあるから、ちょっと先帰るね」

 凪沙は公也に苦笑いしたあと、逃げるように立ち去った。

 美月は公也の目を、恐る恐る覗くように、横目で窺ってくる。だがその視線が一瞬重なると、首をゆっくり横に振って何も言わず立ち去った。

「……」

 残った香琴を公也は見つめた。彼女は泰然自若の笑みを浮かべ、ぽつりとこぼした。

「私って、やっぱり人を不幸にしか出来ないのかな」

「……それは俺には分からない」

「ハムくんだったら、分かるかなって思ったんだけど、ハムくんでも分からないんだね」

 彼女に向けるべき言葉はきっと否定なのだと頭では分かっていた。ただどうしても感情が理性に追いつかない。それを言ったところで、心にもない言葉だというのは、香琴には一瞬で看破されてしまう。

 なら、言わない方がましだろう。公也もどこかで、諦めていた部分があった。

「香琴、その、話決まったのか」

「私が急に言い出したことだから、おじさんもおばさんもびっくりしてた。でもこの間も薬飲みすぎて吐いちゃったし、迷惑、かけられないかなって思ってる」

 でも――と公也は口にしかけた。

 彼女のこれから行く先などどこか分からない。いや、きっと元の親のいる場所だろう。そこに戻って彼女は無事に生きていけるのだろうか。感情のこもらない笑顔で、毎日暮らすのか。

 無駄な話だ。

 公也は後ろを向いた。今の香琴も、笑顔を作って生きている。だったら今更街に戻って笑顔を作ることと、何の差異がある。

 ここで生きていれば、香琴は自分を悪にする。街に戻れば、香琴は母を悪に出来る。

 だったら、街に戻るのも一つの手じゃないか。公也は拳を握りしめながら、窓の外に広がる緑の隙間から溢れる光に目を閉じた。

 ここより人がいる。新しい出会いもあるかもしれない。可能性に掛けるのだって現状を顧みれば充分候補に挙げられるだろう。

「ハムくん、一緒に帰らない?」

「……ごめん、ちょっとそういう気分じゃない」

「私のこと……嫌い?」

「そうじゃないよ。ただ、何とかならないかなって色々考えてる……それだけなんだ」

 公也が返答すると、香琴は「そうだね」と柔らかな声色で返し、静かな足音を残して立ち去った。

 あの時、美月を止めれば良かったのだろうか。だが香琴の終わりたいという気持ちも公也には理解できなかった。

 結局、自分はよその人間で、仲間だと思っていた三人に何一つしてやれることがない。

 公也は悔しさのあまり、机を一度殴りつけ、痛みの走る拳を見つめながら、溢れそうな涙をこらえていた。

「おい、椎木、何やってんだ」

 はっと公也が振り返る。鍵を持った鹿田が口を曲げながら公也を見ていた。

「あ、す、済みません」

「いいけどよお、何かお前、思い詰めた顔してたな」

 鹿田は鍵を手元で回しながら、手近な椅子に腰掛ける。公也は鼻息混じりに諦観を見せ、彼女から離れた席に座った。

「先生は香琴と凪沙が同じ家に住んでるって知ってたんですか」

「知らないわけないだろ。大体私があいつらは違う家って一回でも言ったか?」

 そう言えば、一番最初に凪沙が公也と隣同士だと言った際、香琴もそうだなと鹿田は言った。それは、そういうことだったのかと、公也は目元を沈ませ笑った。

「じゃあ、香琴がどういう奴なのかも知ってますよね」

「守秘義務。知ってても知らなくてもあいつのプライバシーに関わること言えるわけねーだろ」

「……そうでしたね。ごめんなさい」

「まあ、謝んなくてもいいけど。今日は最初から最後まで、いっつもじゃれつき合ってるあいつらが静かで、変だって思っただけだ」

 彼女は腕を組んで、項垂れる公也に目をやる。外から響く、潮騒の音とセミの鳴き声が彼の耳に何度もあの日の残影をよこしてきた。

「お前らに色々あったのは何か分かるよ。聞かねーけどさ」

「そう……ですか」

「でも、壊れるか、新しい関係になれるかの分かれ道かもしれねえよな」

 鹿田は大きく息を吐いた。公也は俯いていた頭を上げ、彼女を見た。鹿田は足を組み、頬杖をついている。

 だが余計な言葉は吐かない。外の虫や木々のざわめきが強くなる。公也が言葉を押し殺していると、彼女は大きく唇の片端をつり上げ、足をすっと組み直した。

「仲が悪いなんて言うつもりはないんだけどさ、牟佐と市川が無理してるっつーか、頑張って仲良しごっこしてる感じがあったんだよな」

「凪沙と美月が仲が悪いってことですか?」

「いやいや、違う。筒野をカバーするために自分達の意見引っ込めて。私はさあ、事情よく知らねーけど、本気になって喧嘩してるあいつら、見たことないよ。でもそれを面と向かってぶつけられないとこに、まだ壁があるんだろうな」

 鹿田の言うことは実に的を射ていた。そう、今まで我慢して、攻撃しないように上辺を繕って互いの関係を作ってきた。

 それが今、全部さらけ出されて壊れそうになっている。

 結局、この何ヶ月かで分かり合えたことなどなかった。公也は口を噤み、項垂れる。すると腕を組み直した鹿田が、彼に横目を向け、ため息をこぼすと共に唇を動かした。

「で、椎木、お前は壊すのか」

「え?」

「言ったままの意味だ。あいつらの関係、お前は壊すのか」

 公也は言葉に詰まった。香琴と美月や凪沙の仲を取り持つのは、それぞれの感情だ。それがどうして自分に行き着くのか、まったく分からない。

 彼の煮え切らない態度に、鹿田は馬鹿らしげに大きく笑った。そして、その笑ったままの顔で、彼を直視した。

「別に誰が動いてもいい。牟佐達が自然に仲直りするのを待つのも、まあありだよな。それで、お前はそのおこぼれに預かるわけか?」

「おこぼれって……」

「このままだとそうなるぞ。あいつら三人と違って、離れた立場で動けるのは、感情的になってるあいつらじゃないお前だけだろ?」

 その時、公也の目が覚めた。

 凪沙も美月も香琴も、みんな三人の枠で感情をぶつけ合っている。だから今、こんなにも互いを避けている。

 三人が今まで隠してきた感情が露わになった中、どうするのか。

 自分が動くと簡単に言うが、仲を戻すのと同じく崩してしまう可能性もある。

 いや、と公也は口を結んだ。このまま凪沙の笑顔がなかったことになれば、この関係は互いに妥協し合った果ての偽りの関係に戻るだけだ。

 公也は鹿田を見た。彼女は相変わらずの不敵な笑みで、夏休み前の教室を眺めている。

「……先生って、最初もっといい加減な人だって思ってました」

「いや、私はいい加減だぞ。てきとーにしかやらねえし」

「でも、その適当なのが今の俺達には必要なんだって思います。どうなるか分からないですけど、先生がいてくれて、本当に良かったです」

「感謝されるほどのことじゃねーよ。人が多くても少なくても、ややこしい奴がいれば面倒を見る、それで金もらってるだけだからよお」

 と、彼女は唇が描く弦の端を上に引き、ゆっくり席から立った。そして、首を回して公也の頭に軽く手を乗せた。

「私もお前はもっとひ弱な奴だと思ってたけど、この田舎でもやってけるんだ、あいつらのことも何とか出来るよ」

「……頑張ります」

「分かった分かった。じゃ、鍵かけるからとっとと家帰れ。私もこれから車乗って街に帰るんだよ」

 彼女は最後に面倒そうな声を出し、公也を強引に追い出した。

 でもそれはきっと、発破を掛けてくれているのだろう。公也は改めて彼女の言葉を受け止めた。

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