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「花番の女など王妃にふさわしくない」と婚約破棄されたので、国の心臓ごと辞めさせていただきます~星屑温室の管理令嬢、あと三年で滅ぶ国を静かに見捨てて竜将軍に溺愛されました~

作者: uta
掲載日:2026/08/11

「お前との婚約は破棄する。星屑温室の管理などという地味な役目しか持たぬ女など、王妃にふさわしくない」


夜会の広間に、王太子アルデバランの声が高らかに響いた。


シャンデリアの光を浴びて、私は静かに立っていた。


──ああ、これで、あの温室ごとこの国は終わるのね。


私、セレスティア・アストレアは、心の中でそう呟いた。取り乱すこともなく、涙を流すこともなく。ただ静かに微笑んで。


(いや、待って。今この男、なんて言った? 花番の女、って。前世の理科室の隅っこで植物図鑑めくってた陰キャに、なんて挨拶)


そう。私には前世の記憶がある。


現代日本で植物学と星読みを愛し、日の当たらぬ研究室で青春を燃やしたまま病で死んだ女子学生。それが今、剣と魔法の異世界で、辺境公爵令嬢として二度目の人生を生きている。


「聞こえなかったのか、セレスティア。婚約は破棄だと言っている」


「……ええ、しっかり聞こえておりましたわ。あまりに晴れやかな宣言でしたから」


アルデバランの隣で、継妹のミラが扇の陰でくすくすと笑う。金桃色の髪を揺らし、勝ち誇った瞳でこちらを見下ろして。


「お姉様、星屑温室ですって? 花いじりの地味なお役目でしょう? 王妃だなんて、身の程知らずだったのよ」


貴族たちのさざめく嘲笑が、広間を満たしていく。


私はそれを、まるで遠い星の瞬きでも眺めるように聞いていた。


(誰も知らないんだ。この人たち、誰ひとり気づいていない。この国が、あと三年で消えかけてるって)


星屑温室。


夜空から降る星屑を吸って育つ聖花を管理し、王都全体の魔力結界を維持する秘術。


それを、たった一人で支えてきたのが──嘲笑われているこの私だということを。


*


「──わかりました。喜んで婚約を破棄いたします」


私は淡々と一礼した。


その落ち着きように、アルデバランは一瞬たじろいだ。


「な……喜んで、だと?」


泣いて縋ると思っていたのだろう。あるいは取り乱すと。


(残念でした。私、あなたに縋る理由が一ミリもないんです)


ドレスの隠しから、私は一本の古びた鍵を取り出した。星屑温室の、唯一の鍵。


「どうぞ。これを差し上げます」


「なんだ、その古びた鍵は」


「星屑温室の、唯一の鍵ですわ。今日からあなた方でお守りください」


アルデバランは鼻で笑って、鍵を受け取った侍従に投げるように言った。


「ふん。おい、こんなもの、適当な使用人にでもやらせろ」


(ああ。本当に、何もわかっていないのね。この国の心臓を、ゴミみたいに放り投げた)


温室の聖花は、年々枯れている。星屑は減り続けている。私は前世の植物学と星読みの知識で、とうに計算し終えていた。


この国の魔力寿命は──あと三年で尽きる。


そしてそれを繋ぎ止める術を持っているのは、この世界でただ一人。


「お姉様、何を余裕ぶっているの? みっともないわ」


ミラが苛立たしげに声を上げた。彼女は知らない。自分の『聖女の力』が、温室の余剰魔力を無自覚に借りているだけの張りぼてだということを。


私は広間の出口へ向かいながら、振り返らずに告げた。


「ああ、そうそう。ひとつだけ」


「なんだ」


「星屑は、嘘をつきませんから」


意味を理解できぬまま、アルデバランは苛立たしげに叫んだ。


「……なんだと? もういい! 貴様は辺境へ追放だ! 二度とこの王都に足を踏み入れるな!」


「かしこまりました」


私は微笑んだまま、夜会の広間を後にした。


背後で、若い侍女のフィリアが人目もはばからず泣き出す声が聞こえた。


「お嬢様は、お嬢様は誰よりこの国のためにっ……!」


──いいのよ、フィリア。


泣かなくていい。だってこの結末は、彼らが自分で選んだのだから。


*


馬車が王都の門を抜け、辺境へと向かう夜道を走っていた。


窓の外には、満天の星。


「お嬢様」


御者台の隣から、老家令ノクスが静かに声をかけた。白髪を丁寧に撫でつけた、慇懃な物腰の初老の男。私が幼い頃から、温室に籠もる私を誰よりも近くで見守ってきた人。


「行き先の温室の土壌は、既に手配済みでございます。星屑がよく降り注ぐ丘の上、地脈も申し分ございません」


(追放が決まった瞬間には、もう次の温室の準備を終えてる。有能すぎるでしょ)


「ありがとう、ノクス。いつも先回りしてくれるのね」


「お嬢様が『星屑は嘘をつかない』と仰った時点で、王家の未来は決まりましたゆえ」


ノクスは皮肉げに口の端を上げた。


「愚かにも聖なる心臓を捨てた国が、あと何日もつか。老いぼれの余生の、ちょっとした賭け事にございます」


「まあ、ノクスったら。相変わらず口が悪いこと」


この国が滅びかけている真実を、私が唯一打ち明けている相手。それがノクスだ。


私たち二人だけが、事態のすべてを見通している。王太子も、継妹も、貴族たちも──誰も気づかぬまま、崖に向かって笑いながら歩いている。


「フィリアは、ちゃんと乗ってる?」


「後ろの馬車で、まだ泣いておられます」


「あの子は本当に涙もろいんだから」


私は座席に背を預け、天窓から星空を見上げた。


前世では、こんなに星は見えなかった。都会の光に霞んで、星読みなんて図鑑の中の空想でしかなかった。


でも、この世界では違う。星屑は本当に降り、聖花は本当に育つ。


(さあ。ここからは、私の第二の人生の始まりよ)


誰にも評価されなかった花番令嬢は、これから自分だけの温室を築く。


前世の知識と、この世界の星屑を武器に。


*


辺境の丘に着いて三日目のことだった。


再建途中の温室の入口に、それはいた。


「お、お嬢様……あそこに、なにか、大きなものが……震えて、ます……」


フィリアが震える声で私の袖を引いた。


見れば、温室の入口で、長身の男が膝を抱えて座り込んでいる。漆黒の髪、背には竜の紋章。噂に聞く、国境を守る竜人将軍──『冷酷無比の竜将』リゲル・ドラクヴァール。


だが、その姿は。


(え。竜人将軍が、温室の入口で膝を抱えて、ぷるぷるしてる?)


近づくと、彼は苦しげに息を吐いていた。琥珀の瞳が潤み、頬には涙の跡さえある。


「……あなた、大丈夫……?」


「……来るな」


低く唸るような声。だが威圧感の裏に、明らかな苦痛がにじんでいた。


「星屑の……毒だ。竜人族は、星屑に……体を蝕まれる。俺は、最後の生き残りで……」


私は息を呑んだ。


星屑の毒。前世の知識が瞬時に回転する。星屑の魔力は人間には恵みだが、竜人族の体には猛毒として作用する──そういう記録を、公爵家の古文書で読んだことがある。


(つまり、この人。星屑が降り注ぐこの丘に来ること自体が、命がけ……?)


「フィリア、温室から白い聖花を摘んできて。急いで」


「は、はいっ!」


聖花の花弁を、私はそっと彼の唇に含ませた。


「さあ、これを。ゆっくり含んで」


星屑の毒を中和する、この花だけが持つ力。


数秒後。


荒かった呼吸が、静かに整っていく。


「……楽に、なった。お前が……治したのか」


リゲルが呆然と私を見上げた。燃える琥珀の瞳が、まっすぐに。


「ええ。この聖花は、星屑の毒を癒せますから」


彼はしばらく無言で私を見つめていたが、やがて、ぽつりと。


「……名前は」


「セレスティア。セレスティア・アストレアです」


その瞬間、冷酷無比と噂された竜将軍の耳が、ほんのり赤く染まったのを、私は見逃さなかった。


(え、なにこの人。強面なのに、耳まで真っ赤……かわいい?)


*


「契約を、結んでほしい」


翌朝、リゲルは温室の前で、律儀に片膝をついてそう言った。


「お前の聖花だけが、俺の毒を癒せる。……その代わり、俺はこの辺境をお前のために守る。国境の魔物も、王家の追っ手も、すべて」


「まあ。それは心強いですわ」


(願ってもない話じゃない。護衛付きスローライフ、開始)


こうして、私とリゲルは対等な契約を結んだ。


そして、ここからが問題だった。


「セレスティア」


温室で聖花に水をやっていると、背後からリゲルの声。


「はい?」


「……セレスティア」


剪定をしていると、また。星読みの記録をつけていると、またしても。


(この人、私の名前しか言わないんだけど。しかも一日五十回は呼んでる)


冷酷無比の竜将軍は、命の恩人である私に、犬のように懐いていた。


私が温室にいれば、必ずそばにいる。私が笑えば、耳が赤くなる。私が「ありがとう」と言えば、そっぽを向いて「……別に」と呟くくせに、尻尾があったら千切れるほど振っていそうな顔をする。


ある日、辺境を訪れた行商人と私が話していると、リゲルが露骨に不機嫌になった。


「……あの男、何者だ」


「ただの塩の商人ですよ」


「なぜ、お前に笑いかけた」


「商売ですから」


「……気に入らない」


腕を組んでそっぽを向く竜将軍。その頬が、ぷくりと膨れている。


「将軍、意外とかわいいですね……」


フィリアが本音を漏らした。最初はあれほど震えて恐れていたのに。


(この国最強の竜人将軍が、塩の商人相手に頬を膨らませて拗ねてる。……前世でも今世でも、こんなに真っ直ぐ想われたことなんて、なかったな)


温室の聖花は、日に日に息を吹き返していく。


星屑を浴びて、少しずつ、確かに。


そして、この丘は──いつしか、新しい国の心臓になろうとしていた。


*


一方、その頃。王都は静かに崩壊へと向かっていた。


管理者を失った星屑温室では、聖花が次々と枯れ落ちた。


適当な使用人に任せた鍵は、誰も使い方を知らなかった。星屑をどう吸わせ、どう聖花を育て、どう結界に魔力を送るのか──その秘術は、セレスティア・アストレアの頭の中にしかなかったのだから。


そして、聖花が完全に枯れ果てた夜。


王都全体を覆っていた魔力結界が、音もなく消えた。


城壁を、魔物が越えてくる。


「なぜだ! なぜ結界が消えた! 城壁を、魔物が越えてくるぞ!」


玉座の間で、アルデバランは喚いた。


さらに同時刻、社交界では別の異変が起きていた。


「な……なんで、なんで奇跡が発動しないの! わたしは聖女なのに!」


聖女ミラが誇っていた癒しの力、光の奇跡──そのすべてが、ぱたりと止まった。


それもそのはず。彼女の力は、温室が生み出す余剰魔力を無自覚に借りていただけの、張りぼてだったのだから。


化けの皮が剥がれ落ちる音がした。貴族たちの目が、冷たく彼女に注がれる。


「そんな話は聞いてない! 誰も、誰も俺に言わなかったじゃないか!」


アルデバランは玉座で頭を抱えた。


そこへ、青ざめた老臣が報告する。


「殿下。星屑温室の記録によれば、この国の魔力寿命は、元より尽きかけておりました。それを繋ぎ止めていたのは──追放されたセレスティア様、ただお一人にございます」


「なっ……そんな、馬鹿な……」


「あの方は、確かに申し上げたはずです。『星屑は、嘘をつきませんから』と」


アルデバランの顔から、血の気が引いていく。


花番の女。地味な役目。王妃にふさわしくない。


自分が嘲り、切り捨て、追放したその女こそが──この国の心臓そのものだった。


失ってから気づく。あまりに、遅すぎたのだ。


崩れゆく城壁の向こう、王都の空から、星屑は──もう、降らなかった。


*


「セレスティア様! 王家の使者が! 馬車が、辺境の丘に……!」


フィリアが息を切らして温室に駆け込んできた。


辺境の丘に、王家の紋章を掲げた馬車が到着していた。降りてきたのは、憔悴しきった宰相と、数名の重臣たち。


そして、その後ろに──かつて私を追放した王太子アルデバランの姿もあった。


王都で堂々と胸を張っていた男が、今は青ざめ、みすぼらしく縮こまっている。


「セレスティア……頼む。国を、救ってくれ」


宰相が地に膝をつく。重臣たちもそれに倣った。


(へえ。あんなに見下してた花番の女に、土下座するんだ)


私は静かに彼らを見下ろした。取り乱すことも、勝ち誇ることもなく。ただ淡々と。


「顔を上げてください。結界が消え、魔物が城壁を越えたのですね」


「その通りだ。頼む、王都に戻って温室を──」


「お断りします」


きっぱりと、私は言った。


「な……!」


「王都の温室は、もう手遅れです。星屑は減り続け、あの土地では二度と聖花は根付きません。私はとうに計算し終えていました。三年前から」


「そんな……では、我らはもう……」


「ですが」


私は、隠しから一枚の羊皮紙を取り出した。前世の記憶で完成させた、『新しい星屑温室の設計図』。


「この設計図があれば、新しい心臓をこの辺境に築けます。星屑がよく降り、地脈も申し分ない、この丘に」


重臣たちの目に、希望の光が差した。


「ただし、条件が三つあります」


私は指を三本立てた。


「一つ。竜人族との、対等な同盟。彼らは星屑の毒に苦しみながら、国境を守り続けてきました。その献身を正当に認め、敬意を払うこと」


背後で、リゲルがわずかに目を見開いた。


「……セレスティア」


「二つ。王家による、全面謝罪。竜人族へ、そして──不当に扱われてきた、すべての『地味な役目』を担う者たちへ」


「三つ。新しい温室と、この辺境は、私と竜人族が統べます。王家は口を出さない」


アルデバランが、震える声で叫んだ。


「そんな条件、飲めるわけが……!」


「では、どうぞご自由に。国が滅びるのを、王都で見届けてください」


私は微笑んだ。


「星屑は、嘘をつきませんから」


*


王家に、選択の余地などなかった。


私の条件は、すべて飲まれた。


竜人族との対等な同盟。王家の全面謝罪。辺境の統治権。


そして──責任の追及が始まった。


国の魔力を支える温室の重要性を最後まで軽視し、その唯一の管理者を追放した王太子アルデバラン。


魔力枯渇と結界崩壊、無数の民の犠牲。そのすべての責任を問われ、彼は廃嫡された。


「なぜだ……俺は王太子だぞ……! 俺は悪くない、悪いのはあの女が、黙って出て行ったからで──」


「……もう、誰も聞いておりませんよ、殿下。星屑は嘘をつかず、記録はすべてを語っております」


ノクスが、淡々とそう告げたそうだ。最後まで、彼の責任転嫁に耳を貸す者はいなかった。


星屑は、嘘をつかない。


記録は、すべてを語っていた。セレスティア・アストレアがどれほど長く、たった一人で国を支え続けてきたかを。


継妹のミラは。


『聖女の力』を完全に失い、化けの皮が剥がれた彼女は、社交界から追放された。


かつて彼女を持ち上げていた貴族たちは、手のひらを返したように冷たく去っていった。虚栄と嫉妬に生き、他人の功績を自分のものと思い込んでいた張りぼて聖女の、あまりにも呆気ない没落だった。


風の噂で、彼女が私に縋ろうとしていると聞いた。「お姉様……お姉様、助けて……」と。だが。


(ごめんなさいね、ミラ。私、あなたに手を貸す理由が、一ミリもないの)


ノクスが、皮肉げに微笑みながら報告した。


「ミラ様は、修道院へ送られたそうにございます。花いじりの下働きとして。……ずいぶんと『地味なお役目』でございますなあ」


「ノクスったら。……因果は巡るのね。星屑と同じように、静かに、確かに」


花いじりの地味令嬢。かつて彼女が私を嘲った、その言葉のまま。


因果は巡る。星屑と同じように、静かに、確かに。


*


そして、季節が巡った。


辺境の丘に、新しい星屑温室が完成した。


前世の植物学と星読みの知識、そしてこの世界の星屑。そのすべてを注ぎ込んで築き上げた、新しい国の心臓。


竜人族の里からも、多くの者たちが移り住んできた。星屑の毒に苦しまなくてすむよう、聖花に守られたこの丘で、彼らは久しぶりの安らぎを得ていた。


地味と嘲られた花番令嬢は、いつのまにか──国と、愛する者たちの命を救う『星を継ぐ女』と呼ばれるようになっていた。


その夜。


復活した温室で、私は星屑を浴びていた。


夜空から降り注ぐ、淡い銀の光。聖花がそれを吸って、静かに輝いている。前世では図鑑の中でしか見られなかった星の恵みが、今、確かに私の手のひらに降りてくる。


「セレスティア」


隣に、リゲルが立っていた。


漆黒の髪に星屑を散らして、燃える琥珀の瞳で、静かに私を見つめて。


「どうしたの、リゲル」


「……お前が消えたら、俺も消える」


ぽつりと、彼は呟いた。


言葉少ない竜将軍が、たまに零す本音。その破壊力を、私はもう知っている。


(もう、この人は。そういうこと、真顔で言うんだから)


私は星屑の光の中で、笑った。


「大丈夫」


リゲルの手に、そっと自分の手を重ねる。


「星屑は、嘘をつかないもの」


「……別に。手は、離さないからな」


その瞬間、彼の耳が──やっぱり、ほんのり赤く染まった。強面の竜将軍が、真っ赤な顔でそっぽを向く。でも、私の手だけは、決して離さないで。


(また耳が真っ赤。でも、私の手だけは決して離さないで)


「……ねえ、リゲル。星屑の毒に苦しむ竜人族の里が、まだ遠い山の向こうにあるのよね」


「……ああ。まだ、大勢が苦しんでいる」


そのとき。


夜空に、消えかけていた星が一つ、確かに瞬いた。


──かつて枯れかけていたこの国は、地味と嘲られた者たちの手で、こうして蘇った。


星読みの令嬢と、泣き虫の竜将軍。


二人の物語は、まだ始まったばかり。


(次は、あの里の子たちも……癒してあげなくちゃね)


私は、星空を見上げて微笑んだ。


だって──星屑は、嘘をつかないもの。

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