# 第七章 # 「はじめての“いただきます”」
# 第七章
# 「はじめての“いただきます”」
夕方六時。
春風マンション集会室。
カレーの匂いが、
廊下まで広がっていた。
大きな鍋。
紙皿。
子ども達の笑い声。
修司は汗だくになりながら、
カレーをよそっていた。
「高瀬さん、ルー足してください!」
「はいはい!」
「ナン焼けたよー!」
「うわっ、そっち焦げてる!」
集会室は、
想像以上に騒がしかった。
でも。
不思議と嫌じゃない。
むしろ。
少し温かかった。
春菜はテーブルを回りながら、
住民達へ声をかけていた。
「辛さ大丈夫ですか?」
「子ども用ありますよー」
最初はぎこちなかった住民達も、
少しずつ席についていく。
田村静子も、
文句を言いながら座っていた。
「私、甘口しか食べないわよ」
「ちゃんとあります」
修司が出すと、
田村は少し驚いた顔をする。
「……気が利くじゃない」
「毎回言ってますからね」
「覚えてたの?」
「まぁ」
田村は何も言わなかった。
でも。
少しだけ、
表情が柔らかかった。
その時。
ラジェスが立ち上がった。
「ミナサン!」
片言の日本語。
みんなが見る。
ラジェスは緊張した顔で言った。
「イツモ、メイワク、ゴメンナサイ」
空気が静かになる。
「デモ」
「ココ、スキ」
「春風マンション、家族ミタイ」
修司は息を止めた。
ラジェスは続ける。
「日本、サビシイ時アッタ」
「デモ、シュージサン、ハルナサン、ヤサシイ」
その言葉に、
ミラも頷いていた。
住民達は少し気まずそうだった。
でも。
悪い空気ではない。
すると。
小さな声が聞こえた。
「いただきます!」
アニタだった。
両手を合わせている。
それを見て、
他の子ども達も真似する。
「いただきます!」
「イタダキマス!」
「いただきますー!」
一気に笑いが起きた。
修司は、
その光景を見つめていた。
国籍も、
言葉も違う。
でも。
同じテーブルで、
同じご飯を食べている。
ただそれだけなのに。
胸がじんわり熱くなる。
春菜が隣で小さく笑った。
「成功ですね」
「……ですね」
修司も笑う。
久しぶりだった。
“管理”じゃなく、
“誰かと暮らしてる”
って思えたのは。
その夜。
片付けも終わり、
集会室には静けさが戻っていた。
修司は椅子に座り込み、
大きく息を吐く。
「疲れた……」
「顔すごいですよ」
春菜が笑う。
「でも楽しかったです」
修司は少し黙った。
それから。
ぽつりと言う。
「俺、今日ちょっと嬉しかったです」
「何がです?」
「みんな、笑ってたから」
春菜は優しく頷いた。
その時だった。
ガチャ。
集会室の扉が開く。
入ってきたのは、
管理会社の黒田だった。
顔が妙に硬い。
修司は嫌な予感がした。
「高瀬さん」
「はい?」
黒田は少し言いづらそうに口を開く。
「……実は、オーナー側で」
「マンション売却の話が出ています」
空気が止まる。
修司の思考も止まった。
「え……?」
「老朽化もありますし、土地価格も上がってる」
「今なら高く売れると」
修司は言葉を失う。
春風マンションを、
売る?
ここを?
住民達の顔が浮かぶ。
ラジェス。
ミラ。
田村。
子ども達。
母。
そして。
今日の“いただきます”。
黒田は静かに続けた。
「まだ決定ではありません」
「でも、話はかなり進んでます」
修司の胸が、
重く沈んでいく。
やっと。
少しずつ。
“居場所”になり始めたのに。
帰り道。
夜風が冷たかった。
修司は無言で歩く。
春菜も隣を歩いていた。
しばらくして。
春菜が静かに言う。
「高瀬さん」
「……はい」
「守りたいって思ったんですね」
修司は足を止めた。
答えられなかった。
でも。
胸の奥では、
はっきりしていた。
このマンションを。
ここにいる人達を。
失いたくなかった。
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# 第七章 完
## 次回予告
# 第八章
「春風マンション、売却危機」
立ち退きの噂に揺れる住民達。
不安。
怒り。
諦め。
そして修司は、
“本当に守りたいもの”
を初めて自覚していく――。




