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視線の定点観測 ~僕の人生、僕が観客。~

初投稿です。よろしくお願いいたします。

三十九歳。人生を折り返そうとするこの年齢になって、僕はようやく理解した。

 大人になるということは、かつて自分が持っていたはずの「無限の可能性」という名の塗り絵を、灰色一色で塗り潰していく作業なのだと。

 中堅商社の営業、白黒しくら。それが今の僕のすべてだ。

 二十代の頃の僕は、もっと傲慢だった。自分には特別な才能があり、どんな難局も器用に泳ぎ抜いていけると信じていた。「今はまだ本気を出していないだけだ」「自分にはまだ伸び代がある」――そんな根拠のない万能感をガソリンにして、夜遅くまで働き、遊び、愛を語った。

 だが、現実は僕の予想よりもずっと静かに、そして着実に僕を削り取っていった。

 三年前に離婚した。理由は「あなたと一緒にいても、未来の景色が見えない」という妻の痛烈な一言だった。娘の養育費を振り込み、湿った空気のワンルームで一人、コンビニのパスタを啜る夜。かつて「何でもできる」と信じていたあの青年は、今やノルマに追われ、頭を下げる角度だけが上達した、替えの利く歯車に成り下がっていた。

 そんな「さえない僕」の日常に、最初の「違和感」が混じったのは、湿度の高い火曜日のことだった。

 得意先への訪問を終え、駅のホームで電車を待っていた時だ。

 ふと、後頭部にチリリとした熱を感じた。誰かにじっと見つめられているような、皮膚を透かして脳の裏側を覗き込まれているような感覚。

(……なんだ?)

 不快感に振り返る。だが、そこにはスマホに目を落とす、自分と同じような顔をしたサラリーマンたちの群れがあるだけだ。

 

 その視線の感触には、妙な既視感があった。

 思い出したのは、大学生の頃だ。サークルの飲み会で盛り上がっている最中や、試験勉強で徹夜をしていた明け方、ふとした瞬間に「自分を斜め上から眺めているような感覚」に陥ることがあった。

 当時はそれを、若さゆえの万能感の一種だと思っていた。「自分を客観視できているクールな俺」という、少し気取った自己陶酔。それはすぐに消える、心地よい浮遊感に過ぎなかった。

 だが、今感じているのは、それとは決定的に違う。

 もっと重く、冷たく、逃げ場のない「監視」のニュアンスを含んでいる。

「……疲れ、だよな」

 僕は自分に言い聞かせるように呟いた。最近は睡眠不足も続いているし、昨日は課長に一時間近くも数字のことで詰められた。自律神経が参っていてもおかしくはない。

 

 だが、その夜、自宅の洗面所で顔を洗っていた時に「それ」は深まった。

 鏡の中の自分は、相変わらずひどい顔をしていた。少しずつ後退し始めた生え際と、覇気のない瞳。その顔を見つめていると、不意に、感覚が「剥離」した。

 自分の手で顔を洗っているはずなのに、手に触れる水の冷たさが、まるで数秒前の出来事のように遠く感じる。

 鏡に映る白黒という男の動作が、あまりにも不自然で、誰かが操作している操り人形のように見えてくる。

 

「……っ!」

 僕は思わず顔を上げ、鏡の中の自分と目を合わせようとした。

 その瞬間、背後にあったはずの視線が、ぐいと僕のうなじに近づいた。

 鏡の中の僕の瞳が、ほんの一瞬だけ、僕の意識とは別の方向――僕の斜め後ろの空間を、鋭く射抜いたような気がした。

 動悸が激しくなる。

 視界の端がわずかに歪み、テレビのノイズのような砂嵐が一瞬だけ混じる。

 

 気のせいだ。ただの過労だ。

 僕は必死に自分を納得させ、逃げるようにベッドに潜り込んだ。

 

 だが、暗闇の中で目を閉じても、あの視線は消えなかった。

 それは僕の脳のすぐ隣に居座り、僕が眠りに落ちる瞬間までも、淡々と「観測」し続けようとしている。

 学生時代のあの浮遊感は、まだ「僕」の一部だった。

 だが、今僕を取り巻いているこの視線は、明らかに僕ではない「何か」へと変わり始めていた。







何となく多くの人が感じるズレをストーリーにしました。

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