第14話:選択と店の消滅
──決別の儀式
店主が手に持った瓶。そこには、俺たちが「なかったこと」にしようとした、サヤの本当の生と死が閉じ込められている。
店主はその瓶を愛おしそうに眺めた後、カウンターの角にそっと、けれど迷いのない力で打ち付けた。
パリン、と。
静かな、けれど世界の理を根底から覆すような音が響く。
瓶から溢れ出したのは、これまでのどの記憶よりも重く、苦しく、そして温かい光だった。それは「悲しみ」そのものだった。
抽出され、漂白された偽物の思い出ではない。愛する者を失い、絶望に身を捩り、それでも彼女がいた証を胸に刻もうとする、人間としての正しい痛み。
「あ……」
光が俺の身体を通り抜ける。
その瞬間、俺の脳裏にはあの日、救急車を呼ぼうとして指が震えた感触が、ありありと蘇った。
喉を焼くような後悔。
サヤに贈りたかった言葉。
それを今、俺は正面から受け止めていた。
──解き放たれる魂
店内に貯蔵されていた数千、数万の記憶瓶が、連鎖するように次々と砕け散り始めた。
依頼人たちが捨てていった「代償」の質量が、本来あるべき持ち主の元へと還っていく。歪んでいた世界の時間は、猛烈な勢いで正しい歯車を噛み合わせ、巻き戻されていく。
その光の奔流の中で、サヤの残滓がふわりと浮かび上がった。
彼女の身体はもはやノイズではなく、透き通るような純白の輝きを放っている。彼女は俺たちに向かって、静かに唇を動かした。
『ありがとう』
声は聞こえなかった。けれど、その想いは熱を伴って俺の胸に届いた。
サヤは店主──兄の頬にそっと触れ、そして俺の左手、日焼け跡の残る薬指に、光の指輪をはめるような仕草を見せた。
次の瞬間、彼女の姿は一筋の光となって、虚無の夜空へと溶けていった。
──創造主の「死」と再生
店の崩壊が最終段階を迎える。
足元の床は消え、俺と店主は無機質なアスファルトの上に立っていた。気がつけば、そこはあの寂れた商店街の入り口だった。
目の前にあったはずの木造店舗は、陽炎のように揺らめき、輪郭を失っていく。
カウンターの中にいた「創造主」は、今や一人の青年の姿に戻っていた。ひび割れていた彼の手首からは血が通い、その瞳には、人間らしい激しい疲労と、深い哀悼の意が宿っている。
「……終わりましたね」
彼は掠れた声で言った。もはやその声に、神聖な響きはない。
「君との共犯関係は、これで解消です」
店主の身体が、店の消滅と共に薄れていく。
「俺たちは、これからどうなるんだ?」
「……正しく、傷を負って生きていくだけです。あの子を失った、この世界の住人として」
彼は最後に、泣き笑いのような表情を見せた。
「さよなら。私の、最悪で、最高のパートナー」
──無銘の跡地
強烈な閃光が走り、俺は思わず目を閉じた。
次に目を開けた時。
そこには、再開発予定の看板が立てられた、ただの空き地があった。
湿った夜の匂い。遠くで聞こえる車の走行音。
琥珀色の光も、古時計の音も、もうどこにもない。
俺のポケットには、何も入っていなかった。
けれど、左手の薬指には、確かに「重み」を感じていた。
それは目に見えないけれど、俺が一生背負っていくべき、愛と責任の重さだった。




