第13話:正しく失うという選択
──修復の条件
虚無の嵐が、サヤの残滓を激しく揺らしている。彼女の輪郭が明滅するたびに、この世界の物理法則が音を立てて剥がれ落ちていく。
店主は、自らの手首に走るひび割れを押し隠すように、俺を見つめた。
「……世界を修復する方法は、一つしかありません。私たちが、妹を正式に『失う』ことです」
その言葉は、この店という安息の地を完全に否定するものだった。
「この店に貯蔵された彼女に関するすべての記憶瓶を、私たちが自らの手で砕き、解放する。悲しみを抽出し、加工し、棚に並べるという冒涜をやめる。……それは、二度と彼女の記憶を改変しない、という誓いでもあります」
それは、ただ忘れることよりも残酷な選択だった。彼女を失ったという「事実」を、その耐えがたい「痛み」を、二度と誤魔化さずに正面から受け入れ続けるということなのだから。
──「もう一度、共犯になるか?」
俺は、激しい頭痛に耐えながら一歩前へ出た。氾濫する記憶の質量が、俺の身体を内側から引き裂こうとしている。
「店主。……いや、お前」
俺は、瓶の中で凍りついたままの「責任」を、震える手で握りしめた。
「あの日、俺たちは弱かった。逃げ出すために、この店を作った。……なら、もう一度だけ、俺と共犯になってくれないか」
俺の提案は、かつてと同じようでいて、正反対の意味を持っていた。
「今度は、悲しみから逃げるための共犯じゃない。この地獄のような現実を、一緒に背負い続けるための共犯だ。お前が妹を失った痛みを感じるなら、俺もその痛みを半分持つ。この責任も、後悔も、一生抱えて生きていく。……だから、あの子を解放しよう」
俺は笑みを浮かべた。自責思考という名の呪いを、今度は自分を支える杖に変えるために。
──「いいえ。今度は正しく失う。」
だが、店主はゆっくりと首を振った。
その瞳には、初めて俺とは異なる「個」としての、毅然とした意志が宿っていた。
「いいえ。共犯にはなりません」
店主の声は、崩壊する世界の轟音の中でも、驚くほど澄んで響いた。
「今度は、正しく失うのです。誰かに半分持ってもらうのではなく、私自身の欠落として、私の魂に刻み込む。……それが、兄である私に残された、最後の責任です」
店主は、カウンターの奥から、サヤの名前が刻まれたひときわ美しい硝子瓶を取り出した。そこには、彼女の誕生、成長、そして死の瞬間までの、加工されていない「本当の人生」が詰まっている。
「君は、君自身の人生に戻るべきだ。……私と出会う前の、日焼けの跡だけが残った、平穏な日常に」
「そんなこと、できるわけないだろ!」
「できます。……私が、そう『創造』し直すのですから」
──決断の重さ
店主が瓶の栓に手をかける。
サヤの残滓が、悲しげに、けれど嬉しそうに微笑んだ。
「君が提案してくれたから、私は今日まで、妹と一緒にいられた。それは、罪ではありましたが……私にとっては、唯一の救いでもあったのです。……ありがとう」
店主が初めて見せた、子供のような、純粋な感謝。
それと同時に、店主の身体から凄まじい光が溢れ出した。
世界の歪みが一点に収束していく。
すべてを終わらせるための、最後の一撃が放たれようとしていた。




