第12話:真実の全開示(後編)
──境界線の消失
店はもはや、建築物としての体を成していなかった。
足元の床板は砂のように崩れ、見上げれば屋根の代わりに、渦巻く記憶の奔流が夜空を覆っている。重力すらも曖昧になり、俺と店主は、砕け散った硝子の星屑が漂う虚無のただ中に浮いていた。
「……見てください」
店主が、震える指で空間の一点を指し示す。
そこには、これまでどの瓶にも収まっていなかった、ひときわ透明な光の塊があった。
光はゆっくりと形を変え、輪郭を結んでいく。
白いワンピース。編み込まれた柔らかな髪。そして、俺の薬指に残った「約束」の本当の主──。
「……サヤ」
俺の口から、せき止めていた名前が零れ落ちた。
彼女はそこにいた。けれど、その姿はノイズが混じった映像のように激しく乱れ、今にも消えてしまいそうだった。
──死者のまなざし
サヤの残滓は、何も語らない。ただ、慈しむような、それでいてすべてを見透かしたような瞳で、俺と店主を見つめている。
彼女の足元からは、黒い亀裂が世界中に広がっていた。死者という「時間の外側」にある存在を、俺たちのエゴでこの世に繋ぎ止めた結果、生じた裂け目。それが今、この街を、世界を、呑み込もうとしている。
「サヤ、ごめん……俺たちが、お前をこんな……」
俺が手を伸ばそうとすると、店主が鋭い声でそれを制した。
「触れてはいけない! 今の彼女は、私たちが押し付けた『悲しみの拒絶』そのものだ。触れれば、あなた自身の存在も虚無に呑まれる」
店主の瞳には、かつての冷徹な「創造主」の面影は微塵もなかった。ただ、妹を二度失う恐怖に怯える、無力な一人の兄の顔があった。
「……ねえ、君。……私たちは、あの日からずっと、彼女に許されたかっただけなのかもしれない。でも、彼女が私たちを許すということは、私たちの『罪』も『後悔』も消えてしまうということだ。それは同時に、彼女という存在の最後の欠片を、完全に失うことと同じなんだよ」
──究極の選択
店主の言葉が、俺の胸に重くのしかかる。
このまま世界を崩壊させ、サヤという虚像と共に消えるか。
あるいは、彼女を「正しく失う」ことで、この歪んだ世界を修復するか。
俺は、手の中にあった「虚無」の瓶を見つめた。
俺が逃げ出し、預けていた「責任」。
これを飲み干せば、俺は「サヤを殺したかもしれない男」という地獄のような現実に戻る。救急車を呼ぶのが遅れたというあの日から、一歩も進めなかった自分に。
「……店主。俺、もう逃げたくないんだ」
俺は瓶の栓に手をかけた。
「俺がこの『責任』を引き受ければ、世界の歪みは俺のところに集まる。そうすれば、あんたは……」
「……馬鹿なことはやめなさい」
店主が、初めて俺に向かって微笑んだ。その微笑みは、ひどく悲しく、けれど決然としていた。
「提案したのは君ですが、それを選んだのは私です。……共犯者の役割を、一人で背負わせるほど、私は薄情な兄ではありませんよ」
サヤの残滓が、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。
彼女の指先が、空中で光の粒となって解けていく。
俺たちの「嘘の救済」が、終わりを迎えようとしていた。




