第一章2 紫色の侵食
時計の針を、彼女が転校してきた当日の朝にまで戻そう。
それは、いつもの退屈なホームルームのはずだった。
「今日から、新しい仲間が加わることになった」
担任の言葉に、教室が微かに色めき立つ。
扉が開き、一人の少女が中に入ってきた。
肩までかかるショートカットとは対照的な白すぎる肌、はつらつとした容姿から闇を覗かせる危うげな雰囲気をもつ女だった。そして、何よりも――。
黒板の前に立った彼女は、クラスメイトたちを興味なさそうに見渡し、最後に俺の席で視線を止めた。
「春日原沙紀です。……よろしくね」
鈴を転がすような、けれどどこか冷ややかさを孕んだ声。
その紫色の瞳が俺を捉えた瞬間、俺の頭の中では「あの夜」がフラッシュバックした。
桜、血、ドレス、そしてあの瞳。
彼女は、俺が蓋をしていた、あの日の夜を思い出させた。
ホームルームのチャイムが鳴ると同時、俺は逃げるように教室を飛び出した。
向かう先は、旧校舎の隅にある「写真部室」だ。部員は俺一人。誰にも邪魔されない、俺だけの無彩色な聖域。
肺が痛むほどに呼吸を乱し、古い木の扉を閉める。
埃と薬品の香りが漂う静寂の中に身を沈めて、ようやく激しい動悸が少しずつ収まっていくのを感じた。
あの瞳。
春日原沙紀。
彼女が教室に入ってきた瞬間の光景が、網膜に焼き付いて離れない。
落ち着け。あれは偶然だ。彼女があの時の少女だという証拠なんてどこにもない。俺はただの傍観者だ。物語に巻き込まれる筋合いなんてない。
そう自分に言い聞かせて、新調したデジタルカメラを取り出した、その時だった。
ガタッ、と。
無遠慮にドアを開く音が、静寂をぶち壊した。
「へぇ、ここが君のテリトリー?」
現れたのは、さっきまで俺の思考を支配していた本人。春日原沙紀だった。
「……何の用だ。学校案内なら他を当たれ」
「冷たいね。君が一番、私のことを歓迎してくれると思ったのに」
彼女はふらふらと窓辺に歩み寄る。
その時、強い春風が吹き抜け、彼女のスカートが大きくめくれる。
俺の指が、脳を介さずに動いた。
カシャリ。
静かな部室に、暴力的なまでの音が響く。
「あーあ。撮っちゃったんだ」
沙紀の声が、すぐ耳元で聞こえた。
彼女は俺の手から鮮やかにカメラを奪い取り、液晶画面を指で弾いた。
「変態だ。委員長の三角さんの写真まである。……でも、これだけじゃないよね?」
彼女はカバンから、レンズにヒビの入った一台のカメラを取り出した。
あの日、俺が桜街道に置き去りにしてきた、使い慣れたフィルムカメラ。
「君が今撮った『証拠』と、私のカメラの中身。学校中にバラされたら、君の『無色』な生活も終わりじゃない?」
彼女は俺を壁に追い詰め、不敵に微笑む。
「返せ……!」「嫌だよ。これから、私の暇つぶしに付き合ってもらうから。……拒否権、ないよね?」
これが俺と彼女との出会い。
俺の無色の青春に、紫が侵食するきっかけだった。




