プロローグ シ色の青春
かつて、俺の青春には「色」があった。
中学三年の春。当時の俺、夏秋冬 真白は、どこにでもいる平凡な写真が好きな学生だった。
放課後の部室。少しだけ誇り高き職人気取りで、愛機のフィルムカメラを磨く時間が、俺のささやかな幸せだった。
「夏秋冬、またそんな古いカメラいじってんのかよ。今の時代、スマホで十分だろ」
クラスの陽気な連中の言葉に、俺は適当に笑って返していた。彼らの言葉に腹を立てることもなく、ただ「自分には自分の好きな世界がある」と、素直に思えていた時代。
あの頃の俺にとって、写真は「世界と繋がるための道具」だった。
道端に咲く花の色や、夕暮れの街がオレンジに染まる瞬間。それをフィルムに焼き付けるたび、俺は自分がこの世界の一部であることを肯定できている気がしたのだ。
あの日までは。
四月。夜桜の撮影に出かけたのは、単なる好奇心だった。
地元の有名な「桜街道」。昼間は家族連れやカップルで賑わうその場所も、深夜を過ぎれば、喧騒を忘れさせるほど静まり返っている。
街灯と月明かりに照らされた夜桜は、俺の知っている「桜色」を捨てていた。
光を吸い込んだ花びらは、死者の肌のように不気味なほど青白く、美しかった。
「……すごい」
俺は興奮を抑えられず震える手でカメラをかまえた。
レンズを通してみる世界は、余計な感情やノイズが削ぎ落とされ、完璧な静寂の中にあった。
カシャリ、というシャッター音が、静まり返った夜の底に快く響く。
俺は夢中だった。この光景こそが、自分の探していた究極の「色」なのだと、そう思わせるほどに。
けれど、その静寂は暴力的に引き裂かれた。
不意に吹いた強い夜風。
視界を白く埋め尽くしていた桜のカーテンが捲れ上がった、その先。
舞い散る純白は赤い鮮血に染まった
ファインダーの中心に、純白のドレスを身に纏った一人の少女。
そのドレスは鮮血で真っ赤に汚されている。手元は銀色が赤く反射していた。
俺の心臓が、今まで経験したことのない異常な早鐘を打つ。
逃げるべきだった。声を上げるべきだった。
だが、俺の指は、職業病のような、あるいは呪いのような本能で動いた。
カシャリ。
夜の闇に響いたその音が、彼女をこちらへ振り向かせた。
月光を反射する紫色の瞳。
それは、この世に存在してはいけないほど美しく、そして残酷な「色」をしていた。
目が合った。
レンズを通した間接的な視線ではなく、生身の人間としての俺が、彼女の姿わ、網膜に焼き付けた瞬間。
「あ……ぁあああ」
俺はカメラを放り出し、無様に逃げ出した。
カメラが地面に叩きつけられる音。それすらも、恐怖と自身の足音で掻き消された。
あの日以来、俺の中で何かが死んだ。
世界の色が、怖くなった。
当事者として誰かと関わることは、あの「紫色の死」と向き合うことと同じだ。
だから俺は、自分に嘘をつくことにした。
「俺は、傍観者だ。この無色な場所こそが、俺の居場所なんだ」
高校に入学してからの俺は、かつての純粋な「カメラ好きの少年」を捨てた。
代わりに作り上げたのは、「高二病」と揶揄されるような、冷めた傍観者の仮面。
レンズ越しに世界を覗き、自分は安全な場所から観測しているだけだと思い込む。
そうしなければ、あの夜に見た「紫」に、今でも追いかけられているような気がして、発狂してしまいそうだったから。
――あなたの青春は何色だろうか。
そんな問いを反芻し、自分の青春は無色なのだと言い聞かせることで、俺の心は安堵と、耐え難いほどの卑屈さに満たされる。
俺は、あの日から一度も、自分の意思で「自分自身の人生」のシャッターを切っていない。




