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3・解

 戦後50年、世は戦記小説ブームを迎えていた。


 そんな中で一冊の本が出版され、注目を集めた。


 それが「もし変節なかりせば」である。著者は幣原喜重郎であり、いくつかの出版物の原稿と共に幣原家で保管されていたのだが、内容があまりにも架空小説じみていたため、長く世に出る事はなく、研究者達もまるで相手にしていなかった。


 しかし、戦記小説ブームの最中、ふとしたことから出版社の耳に入り、ブームにあやかって出版してみないかと声が掛かり、世に出る事となる。


 戦記小説ブームの時期に出版された事から小説の読者達に受け、かなり注目を集める作品となったのだが、中身は戦記小説に近いものとなっている。

 非常に特異な文章形式をしており、原書は紙面の半分近くが白紙である。

 白紙に対して幣原が回答や質問する様な書き方がなされ、幣原の文章を読む事で変節がなかった場合に起きる事態の推移や変化が読み取れる。


 歴史と比較して読んでみれば、南京事件前の変節が無ければ中国側がより強硬になり、各地で日本租界や居留民を襲撃する事件が頻発したであろうと指摘し、金解禁は経済悪化を加速させるため、阻止すべきと記されている。

 残念ながら金解禁は阻止出来ておらず、力不足の限りという記述もある。


 満州事変や満州国に関する記述はさらに興味深く、幣原が粘り強く各国に根回しをしなかった場合、より大きな反発を生み、国際連盟から脱退した可能性に言及している。


 今でこそリットン調査団に関する研究から、より日本に厳しい言葉を使うべきという意見があった事が分かっているが、90年代にはその様な研究は忌避されていた。


 もし国際連盟脱退などという事態を迎えていれば、欧米の日本に対する視線がより厳しかった事は論を待たない。

 幣原の外交手腕あっての満州国成立であった事は、今では揺るがすことの出来ない事実である。


 また、幣原が米英に対し門戸開放を行ったお陰でいくつもの企業が満州へと進出し、満州だけでなく日本国内の近代化にも貢献したのは事実であり、それが無ければより厳しい経済環境が待っていた事だろう。


 その後にも実現はしなかったが政策提言に関する記述もあり、もし実現出来ていればと思えるものも存在している。


 そんな中で殊更悪しざまに書かれているのがルーズベルトに関する記述であり、なぜ幣原が知り得ていたのか理解に苦しむ内容が含まれている。

 ルーズベルト政権にソ連が影響を与えていた事など、出版時点でようやく明るみに出た内容まで含まれている。

 近衛内閣に参画しなかった理由も、近衛の思想に関係していると記され、事実、近衛は幣原の言を幾度も聞き流している。


 そして面白いのは、議論こそされたが実施されなかった真珠湾奇襲作戦がまるで実施されたかのように仔細に記述されている事であろう。

 真珠湾奇襲攻撃は戦術的な効果は高いと評されていたが、ルーズベルト政権が蒋介石に肩入れし、あまつさえ大陸各地に義勇兵という形で米軍を展開していたため、日本を空にして真珠湾まで出掛けるリスクを危惧して実施されなかったのだが。


 開戦時、予想通りに台湾を襲う大陸からの爆撃部隊によって化けの皮が剥がれる事になった訳だが、これらの情報は軍部独自の諜報活動だけでなく、日本に好意的な米企業からも寄せられていた。


 今日において、幣原による「満州謀議」が太平洋戦争に与えた影響が評されているが、自らの成果にはあまり言及していない。


 なにしろルーズベルトが死去した1945年4月、ワシントンDCでの密かな政変こそ、日本の運命を変えたと言って良いのだが、ルーズベルトに関する詳細な言及に反し、4月政変に関する記述は、当時日本で知り得た範囲に限られている。


 さらに終戦の日に関する記述で面白いのは、「そちらは8月15日とな、こちらは7月8日なり」という記述であろう。マッカーサーが厚木に降り立った日が、玉音放送の日であるという記述。まるでパラレルワールドの住人と手帳を使って文通でもしているかのようである。


 そして、幣原が総理となる部分での記述も、マッカーサーに出来るだけ日本の置かれた環境を講義し、理解させたうえで憲法改正の議論をする必要がある事が謎の相手との対話の形で記されている。

 そこでは朝鮮戦争と言うもの言ついて論じられているが、それを満州に置き換えれば理解が出来るかもしれない。

 終戦の時点においては満州も朝鮮もいわば空白地帯であった。翌月には対日参戦を決めていたソ連もまだ動ける状態にまで準備が出来ていない中、米軍に先を越されまいと保証占領と称して満州や朝鮮へと入り込んで来た事を淡々と記し、驚いているらしい相手との文通を楽しんでいる節まであった。


 この様な事態が50年近く日本を悩ませたことをマッカーサーに講義し、その上で改憲草稿を示したという。

 そこには後に吉田茂と激しく争う事になった9条三項も記されている。ただし、それは日本側には秘密として、実際に朝鮮や満州において戦端が開かれるような事態が起きたならば、速やかに追加出来るようにと示されたものだったことが述べられている。

 その記述を読むと、どうやらそのパラレルワールドでは三項が存在せず、半世紀先でも日本は正規の軍事組織を持ち得ていないという事だが、俄かには信じられない話である。


 この様に、内容はおおむね幣原の晩年には把握できる内容が多いのだが、さて、改憲論争で侃々諤々争っている時期にこのような創作を悠々行う時間が取れたのか?という疑問は尽きない。

 研究者の間では贋作として捨て置く意見も多く存在したが、21世紀に入り原本を調査した結果、間違いなく幣原が生きた時代の手帳であり、記述もその時代に行われたことが判明している。


 こうして話題は幣原が一体だれと会話していたのかという部分だけが残されることとなった。この答えについては今に至るも誰も見つけ出したものは居ない。

 

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― 新着の感想 ―
これはつまり、例のノートで繋がってたパターンてことですかね。 しかし幣原クラスの大物でも日米戦を防げなかったのだから、個人で歴史を変えるのは本当に難しいってことですね。
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