1・前
幣原喜重郎、戦前に幾度も外相を務め、戦後総理となった政治家として有名である。
しかし、彼には同時代の著名人から「変節漢」と呼ばれた歴史がある。
それも一度ではなくそう呼ばれているのだが、彼はそれを気にした風でもなかった。
幣原は1924年に外務大臣に就任すると国際協調路線を提唱し、大陸不干渉を掲げる外交を展開して行く。
その方針は徹底したもので、満州における権益侵害の懸念にすら背を向けるものであり、当時満州に在した吉田茂も軍閥抗争に際して幣原の政策を痛烈に批判している。
その様な情勢にあって中国北部において発生したいわゆる奉直戦争への介入を迫る勢力の圧力を一蹴し、外交方針の貫徹を評価されているほどだ。
そんな幣原が1927年1月、閣僚が集まる席上にガリ版刷りの資料を突如として配りだす。
その紙にはそれまでの幣原を否定するかの様な文章がツラツラと並べられており、配られた側も事の真意を計りかねていた。
幣原は全員に行き渡るのを確認するまで何を問われても口を開かなかった。
そして、全員がその内容を目にして何事かと囁やき出した頃、おもむろに口を開く。
「我が国が相手するはかような怪物」
第一声を聞いた全員が仰天する他なかった。
これまで幣原は積極的に中国政府による関税自主権回復に協力し、交渉の場を作る側に居たのだから。
この日、幣原の第一変節と呼ばれる演説は20分ほど続く。
その内容は中国には2000年を超える歴史があると言うが、古代日本人が尊敬して止まなかった隋、唐の時代から何ら進歩も進化も無い。国号がいくら変わろうとやっていることは漢帝国の真似事にしか過ぎす、2000年の歴史とは、未だに2000年前の歴史をただ繰り返しているだけに過ぎなかったというものだった。
国際協調の中に中国を含み、誰よりもその自立を支援していた人物の言葉とはまるで思えず、閣僚から様々な質問が飛ぶ。
それに対して幣原は一言「目が覚めた。中華とはかくも古い考えに過ぎなかった」と延べ、正月に触れた書籍からの啓示であると締めくくる。
その直後に起きた南京事件において、在支公館からの「事は共産党による工作である」とする報告を笑って突き返し、「主義思想などただの道具に過ぎぬ。その様な事例は支那の古典を開けば枚挙に暇なし」と口にし、即座に在留民保護と南京に駐留する各国軍との連携を指示している。
これによって南京に駐留する艦艇は米英軍と協力して在留民保護に乗り出す事になった。
この事件は国民党から批難を受ける事になり、以後、日本は中国政府による条約改訂への協力を拒否される事に繋がっていく。
さらに国内では事件処理を行うどころではない問題が発生し、金融恐慌処理を巡る対立から途中で外相辞任となってしまう。
幣原は田中内閣では閣僚となることはなく、俗に田中外交と呼ばれる幣原変節外交の継続について、何ら関与する事はなかった。
幣原の関与が無い中で政策は歪曲され、欧米との協調を重視した幣原の方針から逸脱して行き、済南事件における対中対応の杜撰さから欧米の不信を招く事に繋がり、張作霖爆殺事件によって幣原の考えは破綻したと言われている。
そんな幣原だが、再度外相就任の機会を得ると、自身の外交政策への回帰を積極的に進めていく。
しかし、その時点において国民党との関係はもはや終わりを迎え、自らの方針の回帰はあきらめざるを得なかった。
そんな幣原は軍縮会議への対策方針に反対する。
国際協調を唱える幣原が軍縮会議に反対する事に閣僚ならずとも驚きを見せるなか、淡々と「軍備とは誰に属するものであるか」を問う。
まるで艦隊派の回し者であるかの様な言に喜ぶのは艦隊派ばかりであった。
この第二変節によって軍縮会議参加の方針が撤回されるかに思われた時、幣原は舌の根も乾かぬうちに、「陛下の御意向やいかに」と口にする。
誰から見てもおかしな話である。
が、幣原はシラフでそう問い詰め、会議参加は陛下の意向として丸く収めてしまった。
1930年、ロンドン軍縮条約が締結されると議会では統帥権干犯ではないかとの問題が沸き起こる事になる。
その急先鋒は鳩山一郎や犬養毅であったが、その裏で幣原は艦隊派から詰問されていたという。その折、幣原は「陛下の意向はどこにありや?私はそれに従ったまで、疑うなら陛下へ問えばよろしかろ」と返したという。
これは議会においても同じ趣旨の答弁が行われ、追及の矛先を天皇に向けられない反対派は窮する事になってしまった。
こうして変節によって政権を救う事になった幣原だったが、全てがうまく行った訳では無い。
デフレが進行する中での金解禁へと舵を切った濱口内閣の軌道修正を試みたが、「日本だけが足並みを乱すわけにはいかない。国際協調は幣原の方針ではなかったか?」と問われ、説得を諦めている。
幣原の外交方針はあくまで国際協調であり、中国情勢による狂いはあるにせよ、基本的に変更はなかった。あくまで幣原が時折変節するだけである。