8.さよなら男癖の悪くない私
貴族は単純だ。日々同じことの繰り返しに飽き、面白いことが大好き。
かの有名な彼女の噂は、ちょっとつついただけで国中を駆け巡った。
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「…さて、説明してもらおうか」
ここはヴァイオレッテ公爵領地のど真ん中。
まさにヴァイオレッテ公爵の屋敷。
の中の少し奥まった静かな書斎。
お父様の部屋だ。
壁に埋まるように付けられた本棚には、隙間なく本が敷き詰められている。本棚に入ることが出来ず行き場を失った本は少し無造作に床に積み上げられ、大量の書類と一緒に足の踏み場を無くす。
紙とインク、そして木造建築らしい木の匂い。
お父様の部屋はいつだって落ち着く。
「リリス・ヴァイオレッテ、聞いているのか」
訂正、今日だけは落ち着きのおの字もありません。
現在私とアイリスは、昨晩の出来事により父アルバン・ヴァイオレッテの書斎で正座させられている。
なぜ私まで…。
「…あの、昨晩の男性は」
私の言葉に分かりやすく眉をひそめたお父様は、一言、‘’地下牢‘’と呟く。
ヴァイオレッテは代々温和な貴族だー悪く言えば呑気で八方美人な節があるー。そのためヴァイオレッテ邸には地下牢が少なく、騎士団も他公爵家に比べると胸を張るほどでもないのが現状である。
そんな、数少ない地下牢が、現在使用されていると。
私があの悪夢で地下牢が使用されているのを見たのは1度だけ。
まさに、ここで正座している私が、数日過ごした。
死刑が決まり、最後に家族にでも挨拶したらどうだというセオドラ・ドラウトは私の返事も聞かず自身の騎士団から数人の護衛ーという名の監視ーをつけて私をここに送り出した。
そうして呑気に帰ってきた私に、事情のひとつ聞かずに頭ごなしに呆れ、怒鳴り、話すことなどないと入れられたのがそこである。
そういえば、もう否定することも諦めながらも家族ならと事情を説明してみたのも、あの日が初めてだったな。
…失敗したけど。
「あの男は、リリスに会いに来たと言っているようだ。嫁入り前の、しかも大公閣下に嫁ぐ予定の、リリスが、どういうつもりだ?」
ヴァイオレッテは温和だ。
お父様とお母様が怒鳴っているのを見たのも、あの悪夢で初めてだったわけで、こんなにも青筋を立てて怒るお父様を嫁ぐ前に見るとは思ってもいなかった。
そう、ボーッと考える。
アイリスは、私がどうしたものかと悩んでいる数日で既に行動していたのだ。
我が家に侵入してきた男が私の名前を呼んでいるならば、私がここに正座させられているのも納得出来る。
どうなんだ?と私に迫る父に、どう伝えれば良いのだろう。
ここで私じゃないと伝えたところで、誰が信じてくれるのだろう。
知っている。誰も信じてはくれない。
たとえ物的証拠を持ち本当のことを伝えたところで、お姫様は私じゃない。
ぐっと手のひらを握りしめて、泣くな、我慢だ、仕方ないと言い聞かせる。
「…申し訳ありません」
喉を絞られるような苦しさを感じながら、それならばもう仕方あるまいと謝罪する。
「…お前なのだな」
お父様が、呆れたような、でもどこか安心したようなため息とともに言葉を吐く。
分かっていたはずなのに、私はそれが酷く苦しい。
頷かなければ。
あぁ、せっかく悪評を早めにこれだけで収めることが出来たのに…。
社交界とはいわばスクープの宝庫だ。
既に我が家に侵入者が現れたことはほとんどの人が聞いただろう。
さらにこの追撃で、身に覚えのないリリスの男癖は瞬く間にあることないことの付加と共に国中に広まるのだ。
あぁ、さようなら、男癖の悪くない私…。
トホホと泣きそうになりながら拳を握りしめ頷こうとした時。
「…いいえ。リリスお姉様は何も知りませんわ」
アイリスの、芯を持ったソプラノが耳に響いた。
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