19.あんな思いはもう嫌なんです
初めての痛みは彼女の掌から伝えられた。
初めての熱さは彼女の淹れた紅茶から。
初めての罵倒は彼の口から。
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石畳をずらしてみれば、音を立てながら4マス分の石畳が動いた。
大きめの石を使っていることを利用しているから、横幅が大きくなければ人1人は余裕で入れる穴があり、中には少し段差の高い階段。
ここから先は一方通行のようで、ララが前に回り、2人で階段を下ってみる。
「あまり暗くないんですね」
ララの言葉に上をみあげる。
ここは所謂地下通路で、本来ならロウソクなどの灯りがなければ暗いはずだけれど、どこからが薄く太陽光が漏れ、目が慣れれば暗さはそこまで問題じゃない。
カツンカツンと響く靴音。
差程進まないうちに一直線の道になる。
さっきよりも道幅が広がり、薄暗くなった道で、知らないうちにララは私の半歩後ろ。
虫や、小さな生き物が微かに動くのがわかる。
16歳の私には見慣れないそれらも、1度牢屋に入れば、寂れた部屋で暮らせば、どこか親しみまで感じてしまう。
「お嬢様…ほんとに行くんですか?」
「ここまで来て引き返せないわ」
「リリスお嬢様は変わられました。お誕生日の日から。どうしてですか?」
気を悪くする質問だったら申し訳ありません、そう謝るララは、ずっとどこか心配そうな、不安そうな声音。
ずっと誰よりそばで私を見てきたララが、私の変化に気づかないわけが無い。
飲めなかったはずのコーヒーも、隠していた好き嫌いも、アイリスやお兄様への気持ちも、私の家族の中での居場所も、背筋の伸ばし方も、歩き方も、ララは全部知ってる。何も言わずとも、ララはいつだって私だけを見ているから。
「…怖い夢を見たの。だから、1人でも大丈夫だって胸を張って生きていけるようになりたくなったの」
「夢…ですか」
ララが首を傾げているのがわかる。
なんの脈略もない私のその説明に、理解し難いけれど質問しにくい。そんな気持ちがひしひしと伝わってくる。
「…気にしないで。私は、私も貴方も、守れるくらい、誰からもしいたげられずに最後まで生きられるくらい、強くなりたいだけだから」
そう、それだけ。
ただ生きたいだけだった。
ただ愛されたいだけだった。
政略結婚だって、これからの人生を共に歩むんだから、きっと幸せになれると信じて疑わなかった。
家族の中で作れなかった居場所を、他の家族で作れると思ってた。本当の家族でもできなかったことをできっこないのに。
ただそれだけが、その当たり前にあるような願いが、現実にはとても難しいことを知った。
もう痛いのは嫌。頬にあたる掌も、熱いお湯も、視線も、言葉も、もうあんな思いはしたくない。
だから、足掻くの。
少しでも大人になって、背伸びをして、認められなくったって、立場があれば、無実があれば、もうあんな思いしなくて済むもの。
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