16.コーヒーは苦手でした
無理して飲むものじゃないとお父様が言った。
だけどねお父様、彼は美味しそうにあれを飲むの。
苦いけど、酸っぱいけど、彼の隣にいるためなら。
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「コーヒーって、美味しいですの?」
「僕にとってはね。飲んでみる?」
「私、コーヒーにはいい思い出がないんですけれど、お兄様が好きなら私も好きになりたいですわ」
飲まない方がいいのでは?なんて思ったけれど、お兄様も分かったうえでやっているんだろう悪い顔が見えたので黙っていることに。
お兄様のまだ湯気の立つコーヒーを小さな口で飲むアイリスを横目に見る。
いつも可愛いアイリスの顔が、苦さに歪むのが見えて、反射的にコーヒーカップをお兄様に返すのを見て、思わず笑ってしまう。
飲んでいた紅茶を急いで飲み込んでくすくすと声を出さないように。
「私には少し早かったですわ…ちょっとリリスお姉様!笑いすぎですわ!」
「ごめんなさい。ふっふふ、そんなに苦かったかしら?」
「謝罪の気持ちが見えませんわ!」
少し顔を赤くしたアイリスに謝りながら、見たことのないアイリスの表情を思い出してどうしても笑ってしまう。
「そんなに笑って、リリスはコーヒーが飲めるのかい?」
ヒーヒーしながらうっすら膜を張った瞳を擦っていれば、イタズラな顔をしたアランお兄様が私に声をかける。
過去の私のこの時期はまだコーヒーは飲めなかったはずだ。
だけれど、セオドア・ドラウト大公様との結婚後、少しでも追いつけるようにと、少しでも大人びて見えるようにと飲むようになった。
まぁ、最終的にはストレス解消に、ララに止められるほど飲み続けていたのも覚えているけれど。
スンとした私に、どちらととったのか分からないお兄様がカップを差し出してくるから、香りを嗅いで1口。
この苦さすら美味であり、後からほのかに感じる酸味、鼻を通る落ち着いた香りにどこかフルーティーさを感じる。
「美味しいですわ」
にっこり微笑みそう答えてのけた私に、お兄様はしばし固まり、アイリスは何故か拍手を起こす。
コーヒーカップをお兄様に返しパンケーキをつつきながら、2人にしてやった顔ができたことへの嬉しさと、あれは悪夢なんかじゃなかったんだという苦しさに苛まれた。
16歳の私はコーヒーを飲めなかったわ。
アイリスと同じように、苦さに顔をゆがめていたの。
18に初めて克服を試みて、19歳には紅茶とコーヒーを飲むようになって。
20歳を超え21歳に近づいた頃、紅茶よりもコーヒーを飲んでいたことに気づいたのだ。
あぁ、そうか、私はコーヒーまで飲めるのか。
「この後はどうするんだい?」
「暗くなる前に帰りたいですけれど、夕方にあるランタンも見たいんですの」
「そらじゃあ暗くなる前にランタンを見に行こうか」
「えぇ!お母様達にもお土産を買いましょうよ」
「あぁ。…リリス、疲れてないかい?先に帰っていてもいいんだよ?」
仲良し兄妹の会話。
私にその間に入ることも出来ずただ聞いていれば、アランお兄様の言葉。
どっちなのだろう。
なぜ選択肢を与えるのだろう。
来て欲しくないから、帰って欲しいから出た言葉?
それでもいいと思えたのは、私にはちょうどいい理由があるからだ。
「それじゃあ少し先に帰っていようかしら」
アイリスの驚いた顔と駄々をこねる声。
お兄様は変わらず笑顔のまま。
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