9.羨ましかったんです
物心ついた時から、あの人は何でも持っていた。
あなたに無いものが欲しかった。
あなたのものが欲しかった。
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お父様の目が細くなる。
私は驚いてアイリスの顔を見る。
アイリスはお父様を見るでも、私を見るでもなく、じっと床を眺める。
「私が、お姉さまの名前を使って夜の街に赴いたんですの」
お父様が顔を赤くするのが分かる。
さっきまで私に向けていた表情がアイリスに向くのが分かって、見たことのないその光景に驚く。
名前を使われたのは私なのに、私自身はさほど驚いていなくてーいや、事実を知らなかった時ならもっと驚いていたんだろうけどー、なんでそんなことをとアイリスに迫るお父様をぼうっと見つめる。
確かに、なぜこんなことをしたのかしっかりとした理由は知らない。
しばらくの沈黙のあと、アイリスが口を開く。
「だ、だって、リリスお姉さまが羨ましかったんですもの!」
アイリスの声が書斎に響く。
羨ましい?私が?
アイリスの口から紡がれる、私への羨望。
セオドラ・ドラウトとの婚約、私の見た目、私の未来。
昔からずっと、羨ましかったのだと、アイリスは確かにそう言った。
泣きながらお父様に訴えるアイリスに耳を疑った。
羨ましかった。
家族からも他人からも愛情を一身に受けている姿。
どこをとっても欠点のないその容姿も、誰とでもともに過ごせる愛想、性格。
豊かな表情、愛らしい笑顔。
私にないものをすべて持っているあなたを、私が誰よりも羨ましく思っていたのに。
それなのに、あなたが、私を?
それを真実だと思うにはあまりに私たちはこじれてしまっている。
たとえその気持ちが本当だったとして、私はそんなことであんなに苦しめられたっていうの?
私よりもはるかに恵まれているあなたの嫌味な私へのそんな気持ちで、私は娼婦と呼ばれ、汚らわしいと拒絶されたの?
そんな黒い感情が渦巻いて、おなかの中がむかむかするのを感じた。
誤解が解けて落ち着くはずの心が激しく動いて、より一層手に力が篭もる。
アイリスの言葉を一通り聞いたお父様と、途中から静かに入ってきたお母様が大きく息を吐くのが分かる。
どうせこのまま、アイリスの気持ちを汲み取って許してやってくれと私に告げるのだ。
私は何も言えないまま頷く。そんな決まった流れが容易に想像できるから、私も弱いなぁと情けなくなる。
せめて母と父に指示されて屈辱を味わう前に謝ろうと顔を上げた。
「アイリス、謝るのは姉に対してだろう」
お父様の言葉に、耳を疑った。
それに対して何も言わない母にも、妹にも、思わず戸惑ってしまったのも仕方がないと思う。
アイリスが私に頭を下げる。
分からない。
これも演技なのかもしれない。そんな不安が止まらない。
何より、私の言葉は一言だって聞きもしなかった両親が、アイリスの発言でアイリスの言葉を信じ、こうも簡単に私の肩を持ってくれるのが、どうしようもなく苦しい。
信じてはいけない。
だけど、昨日の脅えたアイリスも、今ここで謝罪するアイリスも、私にはどうしても嘘に見えなくて。
「…人は、間違えるものだもの。もう、しないと約束してくれる?」
信じるわけじゃない。
だけど、この謝罪は受け入れよう。
必死に首を縦に振るアイリスを、今回は止めることが出来たのだから、きっと、まだ足掻けることはあるはずだ。
全員のことをしっかりと見て、私が信用出来ない分私を信用させるのだ。
「きっとこれから、私達もっと仲良くなれるわ」
アイリスへ届ける言葉に、ほんの少しの本音を乗せて、私は再度決意する。
もうあんな死に方はしない。
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