episode5-2
☆
鼻腔にこびりついた、嫌なつんとした血の匂いがとれなかった。
『湊!』
そう叫んで、とっさに攻撃から守ってくれたルイさんの後ろ姿を思い出す。その姿、背中は……とてつもなく遠く思えた。
……でも、僕には守られる価値なんてなかったのに、と、根拠もなく思ってしまった。
「桜」
救護室の中に入ると、桜は包帯を巻いてぼんやりと宙を見つめていた。脳に異常があるのではないかと心配すると、桜がぽつりと言った。
「……なにもできなかった……」
「いいんだよ。あんなの急に来たら誰だって」
「私は……誰よりも最低なのに……」
彼女は最近そういう言葉を吐くことが多くなっていた。彼女の父親が死んでからだろうか。突然頭痛がして、やはり何も思いだせない、と僕は再確認した。思い出すのを脳に拒否されているような反応だった。
僕は「そんなことあるわけないよ」とだけ桜に言った。沈黙が二人の間を流れて行った。
廊下を歩きながら、思い出す。
軍人たちの叫び声、血の匂い、そういうものがずきずきと痛む頭のなかをぐるぐる回って、最近よく見る悪夢を思い出す。
リサに言った悪夢は嘘だった。言えなかった。本当はそれよりずっと……恐ろしい夢を見ている。
少し頭痛でふらつく。もう少しで応接室だというのに、つらくてたまらなかった。なぜこんなに体調が悪くなっているのかもわからない。精神的なものだろうか。
苦しい。床に飲み込まれているような気がする。血の紅さが脳裏にこびりついて離れない。どうしてそんなものが離れないのだろう。今までだって『妖』……侵略者にやられていったのは見たはずだったのに。
頭の痛みとぐるぐる回る思考と気分に耐えていた。限界が近づいて思わず踞る。前から少女が駆け寄ってきた。よく見ると……リサだった。どうやら応接室から出てきたらしかった。心配そうな顔をして覗き込まれた。
「ちょっ……顔色悪いよ!? 大丈夫? 湊くん?」
「……大丈」
「そりゃそうだよ、あんな……あんなとこにいたから。待って、いま救護室に運……」
「大丈夫だって!」
ついうっかり強めに制止してしまうと、リサが少し肩を強ばらせる。驚かせてしまっただろうか。だけれど。
「……ごめん。大丈夫だから」
自分のこととは何も関係のない女の子に迷惑を掛けてしまうのは自分の中で憚られてそう言って、立ち上がろうとした。が、リサは怯む気配もない。
「大丈夫な人はそんな反応しないよ! 救護室はいいから、とりあえず大人しく座って落ち着いて」
そう言ってリサ自身も廊下の端に座った。手招きされたので言われた通り大人しく横に座る。傍からみるとあまりない組み合わせで変な光景だろうが、リサはそんなことはあまり気にしていないようだった。
彼女の髪はいつもはふわふわと二つにくくられているが、今は戦闘時の服にポニーテールだ。女性だと改めて突きつけられる。先程のことを思い返してものすごくいたたまれなくなって、僕は謝罪をした。
「……さっきは強く当たってごめん」
「いいよ。……そりゃそうだよ。私だって今そんなに元気な訳じゃないし……桜ちゃんだって……」
桜のことで落ち込んでいると彼女は思っているようだった。それはもちろんそうだが、それだけでもなかった。それよりも……。
「怖いんだ」
「ん?」
口を突いて出た言葉を、リサは聞き返した。僕は思っていることを吐露してしまう。なぜそうしたのか、分からなかった。自分が思っていたよりもこの状況に追い詰められているということを、初めて実感した。
「……この間の悪夢は嘘で……本当はずっと他の悪夢で苦しめられてて」
「うん」
「血塗れの手なんだ。なんでそうなったかは何も覚えていないけど、恐怖とか怒りとか色んな感情が湧いてくるんだ。それで……旭も桜も僕から……闇の中から光の方へ遠ざかって行く夢で……」
「……」
「何が原因なのかわからないけど毎晩こうなんだ。僕の記憶なのかな」
「……記憶?」
リサが聞き返した。ああ、と僕は返す。
「僕は……桜のお父さんが死んだ時の記憶が全然思い出せないんだ。第一発見者のひとりなのに。桜からはショックで忘れたんだろうって言われたよ。でも……本当は……」
「記憶喪失ってこと?」
リサは目を見開いた。そしてぶつぶつと「……いや……さすがに……でも」と呟いている。なんの話か分からないでいると、僕の様子に気がついたのか、「ごめん、続けて」と言われた。
「……本当は……桜のお父さんを……王を俺が殺したんじゃないかって疑ってる。そんなわけないと思いたいけど……僕は……」
口に出してみて体がぶるっと震えた。自分自身のことが分からないことに恐怖を覚える。それでもあんな夢を毎晩毎晩みて、血をみると体調不良になるなんてことは……僕がころしたとしか思えない……。そのことにようやく気がついた。僕、と気がついたら声に出していた。立ち上がって言った。
「出頭してくる」
「しゅ……?! ちょ待って待って待って! 記憶ないんじゃないの?! 証明できるものは?!」
「ないよ!」
「ないのに?! 落ち着いてよ、違ったらどうするの! 私やだよ湊くんがそんなあやふやな感じで逮捕されるの!」
それもそうだった。ショックを受けて変なことを言っているようにしか思われないかもしれない。実際頭痛だけで何も思い出せないのだ。それが歯がゆい。仕方なく座り直すと、リサはほっとした顔をする。俺僕はふと疑問に思って聞いた。
「……なんでこんな話聞いて、そんなに……僕のこと庇ったりできるの?」
うーん、とリサ。
「湊くんがそんなことするとは正直思えないし、それに……もしそうだとしても湊くんが悪いわけじゃない……気がするから……?」
「信用なんて僕にないでしょ」
僕は苦笑する。三人で突如転がり込んで来た身だ信用なんてあってないようなものだろう。ただ、リサは大真面目だったようで、そうかな、と言う。
「湊くんだけじゃなくて、桜ちゃんも旭くんも……悪人じゃないように見えるし……信じてるの。もちろんなんの根拠もないんだけど……」
そう言ってふわりと笑う。
漠然といい子なんだな、と思う。ジンと話していても思うし、ルイさんにも庇ってもらった。ルカという次期隊長らしい子も……。あまり関われてはいないけれど、それまでそう感じていたのは事実だった。僕はリサに、その分も含めて「ありがとう」と言った。えへっとリサははにかんで、こう続けた。
「……私、湊くんの記憶を戻す方法も頑張って探してみる」
「え?! そんな……僕の問題だから」
「私どうせ一人分抱えてるし。それに……他にも気になることはちょっとあるから……そのついでにというか!」
「ええっ、僕自分で探すから……!」
「いいの! 何か分かったら教えるね!」
そう言って自分自身を鼓舞するようにリサは勢いよく立ち上がった。僕も、申し訳ない気持ちと感謝の気持ち半々に、後を追って立ち上がった。そして、リサは言った。
「桜ちゃんのことも……つらいと思うけど。旭くんとか桜ちゃんだけじゃなくて私もいるからね! ジンとかも! だから……抱え込んじゃだめだよ! それじゃあ、私着替えないと!」
そう言ってぱっと駆け出した。ありがとう、ともう一度叫んだが届いたかどうかは分からない。
自分の拳を握って、……そうだ、立ち止まる訳にはいかない、と改めて思い直した。
自分が何をしたのか、していないのか、早くはっきりさせること。そして……旭や桜、そしてリサやジンたちのためにも強くなること。
僕自身にできることを再確認して、続いていく廊下を一歩踏み出した。
☆
☆
「ルイさん」
タイガに呼ばれてはっと目が覚めた。アリアの病室で付き添っていたがうっかり寝てしまったようだった。窓の外を見ると、もう暗くなってしまっていた。
アリアは眠っていて、痛々しく頭にも足にも包帯がぐるぐると巻かれている。いくら回復AB、技術的処置の両方をしたからと言ってすぐに治るものでもないからだった。
「……タイガ。悪い。寝ていたようだ……」
「いいんですよ。お疲れなのは分かってます。それより、お医者さんから状態を聞きました。……少なくとも怪我では命に別状はないけれど、目がいつ覚めるかは分からないらしいです」
「そうか……」
安堵と心配の両方のため息をついた。彼女は一年生の頃からの同期だ。本来はユーゴと三人だったが、どうにもユーゴとは馬が合わなかったから、彼女にはよく助けられていた。そうだった。そうだ、俺は彼女に助けられることが多かった気がする……。そう思っていたら、無意識でため息をついてしまったようだ。
「……ルイさん……」
タイガに気を使わせてしまったようだった。俺も感情がすぐに出るとはまだまだだな、と自分に心の中で苦笑した。
「俺は大丈夫だ。これから軍に入ればこういうこともあるだろうからな。……実際先輩が死んでしまったこともあった」
「……えっ?」
「事故だったけど、そういうこともあるってことだよ。……お前もこういうことがこれから増えるだろう。……でも慣れる必要も無い。人の命ってのは重いから」
これは本心だった。いくら誰かが亡くなる環境にいても、慣れる必要はないのだ。苦しむことは残された者の当然の権利だと俺は信じていた。
ルイさん、とタイガに話しかけられた。
「ルイさんは……自分の使命と、仲間の命……どちらが大切だとお考えですか」
「……侵略者を倒してみんなを守ることと、選抜隊のヤツらってことか?」
「はい」
少し考えて、俺は口を開いた。
「自分の使命だ。最終的に俺たちが救わなければならないのは大衆の命だ。……俺たちがここにいて、この命があるのは自分たちのためでは無いと、俺は考えている」
だが、それは俺だけの話だ。タイガはタイガの信念を持てばいい。後輩……同僚、この世界の全員にそれは言える。俺はこの信念を持っているが、彼らはそれぞれ違う信念を持っていいと考えているし、それはタイガも理解しているはずだった。
タイガは驚いたような顔をしてから、また元のポーカーフェイスに戻って言った。
「……少し意外です。ルイさんは仲間を優先するのかと」
「というか、急にどうしたんだ」
いや、とタイガ。
「ちょっと……気になっただけです」
何か悩むところでもあるのだろう。特に今回はけが人も死者も出るほどの大きな規模の戦闘だ。それを経て考えるところは彼なりにあるのだろうと解釈する。
と、ガラッとドアが開いて、ジン……とふわふわ浮いているハコが入ってきた。ジンは見舞いの果物のバスケットを持っている。
「ジン! ……聞いたのか」
とタイガが言うと、ジンはうん、と頷いてアリアの方に視線を向ける。
「……アリアさん……」
彼は急いで走ってきたようで、息も身なりも乱れていた。その必死さを見て、俺は彼に呟く。
「……ジンはいい戦士になれるだろうな」
本心だった。人のために必死になれる者には……適性がある。タイガも表情が乏しいなりに微笑んだ……が、
「……というか、ジン? この時間に来たっていうことはお前……訓練抜けてきたろ」
とタイガ。げっ、とジンが声を漏らして青い顔をする。本当に抜けてきたのだろう。俺は苦笑した。けけけ、とハコが笑い声……本当に笑っているか、顔も何も見えないから分からないが……を出してからかう口調でジンに話しかけた。
「急いで来たんだよな。ったく帰ったらルカのカミナリが落ちそうだな」
きょとんとジンが聞き返す。
「カミナリ?」
「……いや、なんでもないよ」
とハコ。確かにルカは怒りそうだな、とタイガは言った。
俺たちの卒業も近くなってきたけれど、どうにか後輩たちに任せることができそうだな。……だから、早く目を覚ませよ。
俺は、眠っているアリアに心の中でそう呼びかけた。
外はすっかり暗くなっていたが、月明かりがきらりと空に輝いていた。
うららです。
どうにかこうにか連載を続けられていますが……毎日更新は厳しいですね。書きだめ方式にしないと……。




