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「『ほほえみの王子』?馬鹿げた名前だよ。僕はずっと、仮面を貼り続けてる」
愛想を振りまくのが彼の仕事。王族はひいきしすぎると権力が偏ってしまう。だから彼なりに、諸侯たちの機嫌をとりながら平等に振る舞う努力をし続けているのだろう。
彼に話しかけられれば誰もが黄色い歓声をあげる。
偽物の笑みをつけながら、そうやって誰もを相手にしていたらどうだろう。
「この笑顔は保たなきゃいけないんだ。いくら院長が横領していたって、子どもたちには平気だと笑顔で言うんだよ。悪魔なのは僕なんだ。後で困るのは子どもたちなのに、僕は笑顔をまいて安心させることぐらしいかできない」
少しでもその笑顔にほころびが出てきたら、相手に不快な思いをさせるかもしれない。だからずっと笑みを忘れないようにと、彼は繕った。
「シンシアは…僕の夢なんだ。君みたいに、素直に人を繫げたい。本を通して、君はいろんな物語を紡いでる。孤児院で一番人気の絵本は、いつも君が訳したものばかりなんだよ」
それから足を組むと、彼は頬を叩いた。そうして笑顔を取り戻すと、私の方に近づいてくる。
「もう一度言うけど。僕の婚約者にならない?」
「それは無理です」
「だよね、わかってた。君、僕の好意を普通に無下にするし、笑顔を見せても全然その気にならないからさ。上辺だけって、君だけは理解してくれたと思って嬉しかったんだけど」
「上辺じゃありません。殿下、それは違います」
この方は大きな勘違いをなされている。
「上辺だけで、そんなに頑張れる人なんていないと思うんです」
「そんなことないよ。上辺だから、ここまで軽くやってこれて」
「殿下って…意外と責任感が強いんですね。上辺だけだったら普通、そんなに重く考えませんよ」
令嬢たちを平等に扱おうとする態度。
孤児院の横領に対する、国民を大切にしようとする笑顔。その全て、彼なりの配慮だ。
それをすべて偽りだと片付けるには、あまりに荷を背負いすぎている。
「本当に頑張っていらっしゃいますね。私にはできませんよ、笑顔で人を繋ぐことは。私は本という言語がなければできません。ですがそれは、無限の可能性じゃないんです。国別の識字率の低さを貴方様もご理解なされているでしょう」
文字を読めるという子どもたちが少ないこと。特にスラムの子たちにおいて顕著に現れる問題は、殿下も対策を打とうと考えているはずだ。
さらに文字を書けるとなれば、国民全体での問題となっている。
「文字には限界があるんです。ですけど人の笑顔は違うでしょう。笑顔はみんな同じですから。殿下の笑顔は伝わっていると思いますよ。それに支えられた人もきっと多いです」
『ほほえみの王子』は、決して安い肩書じゃない。誰にでも優しくできるという、柔軟な心と態度を持ち合わせているということだから。殿下にお酒の栓を開けたビール瓶を渡すと、にっこり笑った。
「さ、今日はもう飲みましょう。殿下への祝い酒です」
「僕の何を祝うのさ」
「うーん……努力ですかね。殿下の日々の努力に乾杯です」
押し付けると、彼はすぐにグラスに注いでくれた。
熱く乾いた土地でつくられる酒は、大麦のビール。黄金色の液体は、殿下の輝かしい金髪と、魔力に似ている。ヴェールを脱ぎ捨てると一口に飲む。
「ぷふぁー!キンキンなビールは美味しいですね!」
「君が酒好きなんて知らなかったよ」
「ふぇ?」
「なんだよ、そんなにとぼけた顔をして。ふっ…ハハハハハハ!シンシア、今すごく緩んだ顔になってるよ」
殿下はようやく、年頃のように笑った。今までは悪魔みたいに企みを持っている顔だったけど。今は少し、晴れたような顔をしていた。
努力が、自分の疲れが称えられないなんておかしい。彼の苦労は認められてしかるべきものなのだから。
「笑顔は太陽です。ですから殿下はきっと、『太陽の王』になります。その笑顔で、貴方様は国民を笑顔にするんです」
「大きなことを言い過ぎだよ」
「そうでしょうか?私にとってはとても近い未来な気がしますけど。殿下の頑張りなら、必ず成すと、私は信じてますから」
微笑むと、彼は顔を真赤にした。ビールをまだコップいっぱいにしか飲んでいないけど、彼ももう酔い始めたのだろうか。
ベオウルフ様の言っていたとおり。お酒があると、やりにくい空気もどこかへ行き、二人でまどろみながら言葉を交わせる。
「君はおかしい。騙そうとしてきた相手に、なんでそんなに無防備になれるんだ」
「それはですね。殿下がすごいからですよ。聡明で、広い視野で客観的に周りを見ること。笑顔は貴方様の武器です。至るところに気遣いをして、誰かに寄り添う。なかなかできません。殿下の才能ですよ」
お酒を二口。
「責任感が強いのも良いことです。それは己を戒める。王たるもの、重大な責任をこれから担わせられるでしょう。ですがそのたびに、貴方様は過去の教訓をふりかえりながら、自分なりの答えを導き出せるようになるはずです」
お酒を三口。
「殿下は……ひっく…………すごい人って……わかります。私が……っく…補償します……」
なんだか視界がぼんやりしてきた。
「君ってやつは……酔った相手に言われても何も嬉しくないんだけど」
そっと手を伸ばし、彼の髪をなでた。頭をよしよしと撫でたら、きっと尻尾を振って喜ぶから。
「お困りになったときは、私を頼ってください。最低限、手紙でのやり取りなら、辺境伯邸からもできるでしょうから」
「っっっっっっ!?」
ふわふわする髪の毛は、狼とは違って柔らかい。あの黒狼の毛皮は、少し硬くてゴワゴワするのだが。
そのままナデナデしていると、手首に強い力がかかってきた。
「ちょっと……それ以上されると僕の理性が」
「シンシア、こんなところに……これはどういうことだ」
「べ、ベオウルフ」
背中には柔らかいソファ。手首を殿下に掴まれていたが、つかの間に力が緩む。
押し倒されていた私の視界に映るのは細身の殿下の体を、大きな男が引き剥がしたところだ。
「貴様、いい加減にしろ。俺の番に手を出すとは」
「少し待て。これは不可抗力だ。シンシアが酒に弱いなど、僕の予想外だったんだよ。三口飲むだけで、あの有り様だぞ!?」
「ベオウルフ…さま……」
何か抱きしめて、スリスリ頬を寄せる。だけど全然感触が違った。
もっとこう、ゴワゴワしてるけど温かくて、お腹がブニブニ弾力がある感じで。そういうのを求めてるのに。と、自分が抱きしめているのがクッションだとようやく気づいた。
「これじゃありませんのね」
「……俺はここだぞ」
耳が垂れ下がるのを視界の端で感じ取り、そちらへ手を伸ばした。
「これだ!」
「それは僕のハンガーラック」
「これだ!」
「それはさっき、君が持ち出してくれた『竜殺しの酒』だよ」
「もう!なにもかも違うじゃないの!」
嫌気がさしてきたなかで、最後に試そうとソレを手に取った。
重く硬い表紙。ペラペラ探るように見れば、それは古い本だった。殿下の書斎机の上に置いてあったから、何か大切なものなのだろうけだ。
めくっちゃえ。
普段なら敬意を払うために絶対にしないことを、私は自然とやってみせた。その黒い本をめくると、たくさんの記号が書かれている。挿絵はなく、木から生えてきたような記号だけが並んでいる。
「でんか〜……こんな本持ってるなんて、聞いてませんですよ〜」
「だいぶ酔ってるようだけど、それは僕の本じゃないよ。どこから引っ張り出してきたんだ?」
「またまた〜」
ツラツラと眺めてたら、ふと青白く視界が変わった。先程まで、ただ植物が生えていたように見えた記号のようなもの。それが一瞬で、文字となり頭に入ってくる。
「シンシア、それは本なのか?全く字も読めないが」
「それはそうだろう。ベオウルフはどうやら獣人語しか知らないようだしな」
「うるさい。金髪は黙ってろ」
「バカ犬はでしゃばるな」
殿下とベオウルフ様が睨み合う中、一つの文章を目にして口を開いていた。
「“いずれ太陽は沈み、夜が来る。世界は混沌に満ちるだろう”」
「何を言ってるんだシンシア、何にもわからないぞ」
「待て、この言葉。エルフ語に似てないか?」
焦る狼に、冷静な殿下が付け加えた。植物の文字は私の身の底にある何かを呼び起こし、ツタのように染み込んで絡み合う。
「“太陽の位置に月が昇れば、世界は光に包まれる”」
頭の中で何かが結びつく。本は青白く手元で光ると、私の胸に入ってくる。光を放ちながら、本を取り込んだ私はいつの間にか意識を飛ばしていた。




