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「ベオウルフ様、少し聞いてもらえますか」


寝台に寝転んだ彼は、私の膝に頭を乗せて体を休めている。いわば膝枕をしているわけだが、勝手に彼がそういう体勢にしたのだから、仕方ない。


「なんだ?」


「あまり相手を知らない人と、腹を割って話す機会って、どうやったら設けられるかと思いまして」


社交界には少し疎いので、そういう話の場を設けたことがない。お茶会に誘われても、顔の傷を笑われるだけなので、あまり人と関わりを持ってこなかった。そのことが今となって悔やまれるのは、殿下の本心を聞きたいと思ったから。

三角耳をピコピコ可愛らしく動かしながら、彼は答えた。


「獣人は力で語る。拳をぶつけ合ったら、それで仲直りなところはある」


殿下と拳を………って絶対にできることじゃない。

そんなことをしたら私の首が飛ぶし、相手は剣術も学んでいる王族。絶対に痛い目を見る。

ちょっと、それは無理だろうという顔をしていたら、言葉が続いた。


「拳で語ったら、次はメシだな。酒を飲みながら、いろんな話をする。かつてどういう魔物を倒したとか、どういう女と寝たとか」


「………」


「俺はシンシアとしか寝てないからな!」


「別に聞いてませんが」


男性の話の聞きたくないところまで聞いた気がする。呆れつつも、お酒を飲み交わすという手段があることに気付かされた。どんな舞踏会にも、ワインはつきもの。お酒を少し飲みながらだと、緊張も少し薄れて話せる気がする。


「だが、こんなことを知って何をするんだ?」


「お、王妃様と飲みたいなぁって」


「そうか。なら昼間から飲んでも構わないからな。俺が闘技場に行っている間に飲んだら、夜に迎えに行ってやる」


そういえば、今回の行動にはベオウルフ様の目を(あざむ)くことが必要だった。彼に殿下と二人で話をするなんて言ったら、とんでもなくひっつかれる気がする。膝枕だけでも、彼の吐く息が太ももにかかってくすぐったいのに。

これ以上、抱きしめられたらどこかの骨が折れそうだし。


「にしても、君は働きすぎじゃないか。俺に膝枕してる間にも、本を読むなんて……」


「別に構いませんでしょう?ボーモン夫人から受け取った古代書なんですよ。竜語の近縁なので、少しだけ分かるようになってきたんです」


古代書はとても珍しいので、中々市場では手に入らない。授賞式の後に、使用人づてでボーモン夫人からの贈り物として受け取った時は大喜びだった。古くてちょっとホコリっぽいし、ページが黄ばんで傷んでいるけれど。やはり昔の書ほど、探究心をそそるものはない。

古代の魔物たちは今よりもっと強かったとか。魔王という複数の魔物を率いていた化け物がいたとか。

神話にもつながる実話かもしれないというのが、なんとも言えないロマン。


「ふふふっ。すごいですね、地獄から脱走した生き物だと、魔物たちは考えられていたそうですよ」


「楽しそうなのは何よりだが。さっきみたいに、少しは俺に構ってくれないのか」


「はい?」


「む…………」


古代書を開いて、少し自分を落ち着かせた。明日、殿下と話をしよう。彼のことをもっと知るために。










幾日か過ぎたあと。ある朝に隣りにいたはずのベオウルフ様の気配が見当たらなかった。闘技場へと、今日は早くに行ったのだと用心深く確認してから、城の厨房に出向く。

そこから公爵家より仕入れていたワインをもらい、執務室へと出向いた。殿下の執務室の前にいる両隣の騎士たちは、私の姿を見た瞬間に通してくれた。

おそらく、ベオウルフ様の妻だからとかで私のヴェール姿は確認するまでもないのだろう。


「殿下、少しいかがですか」


ノックをして尋ねるものの、向こうから返事はない。


「シンシア様、お(ひか)えなられた方が良いかと」


「どうして?」


「殿下は最近、ご体調が優れないようで」


騎士たちの話によると、視察から帰ってきてそのままこもりきりだそうだ。そうなってくると、少し心配である。無理矢理とはいかないのかもしれないけれど。


「私、シンシアです。どうかここを開けてください。美味しいお酒もあるので。これ、竜人たちが作る『竜殺しの酒』なんですよ」


薬に関して秀でた竜人が作るお酒は、伝説のもの。公爵家にお酒がほしいと頼んだら、お父様からこれが送られてきた。

飲み交わそうと誘うと、向こうから声が返ってきた。そこで扉を開ければ、ソファに疲れた顔で彼は座っていた。


「今頃になって、君から僕のところに来るなんてね」


彼は笑みを取り繕うものの、後ろにある執務机には書類が山のように連なっていた。


「頑張っておいでですね。あんなに書類をこなすなんて信じられません」


「僕がサボってるとでも言うのか?」


「そうではありません。ただ、貴方様の仕事が笑顔を振りまけばいいというだけでないことを、最近、分かってきたんです」


殿下の話を少しずつ王妃から聞かされる。彼の努力は社交辞令だけではなく、公務から剣術にまで幅広くあった。呆れた顔をしながら彼は私に座るよう言うと、すぐに紅茶を入れてくれた。


「警戒心がないなんて、本当に君は馬鹿だよね」


「え?」


「授賞式のとき、ワイングラスに毒を塗ったのは事実だってことだよ」


猫舌ながら紅茶をすすっていると、アル殿下はため息を付いた。


「城下町でなにかありましたか」


「どうしたもこうしたもないさ。孤児院の院長が横領をしていたんだ。本来、子どもたちに与えられるはずのご飯が、宝石に変わっていた」


そういえば、そういうことを新聞の書面で見た気がする。城下町の視察という重要な役目によって発見されたとなれば、院長へは厳しい処罰が下るだろう。


「本当、呆れるよ。いくら僕らが慈善活動をしようたって、受け取る相手がズルをすればその努力すら水の泡さ。なんてバカなことをするんだか。これだから僕は……もう嫌なんだ」


宝石のようにきれいな目は、かげりを見せた。


「でも君は違う。本の原作をちゃんと読んで、作者に寄り添いながら新しく手に取る、違う言語を持つものへ繫ぐ力を持ってる。人から人に繋ぐ力……正直羨ましいんだよ」


「それが理由ですか。ベオウルフ様と私を引き裂こうとするのは」


「そうさ。君とあの狼を離せば、僕と歩む未来が見える」


殿下が私を婚約者にするなどとふざけたことを言うのは、彼がもはや疲れ切っているからであるのだろう。『ほほえみの王子』として令嬢たちの相手をしながら、あらゆる慈善活動に手を出して。


令嬢たちの化粧に、無駄に豪華なドレスは着飾る嘘。

善い行いは裏切られ、彼は目頭をつまんだ。


「シンシアなら、人と人を繋げることができると思う。僕よりもずっと楽にね。君は『いばら姫』と言われるかたわら、『月の姫』とも言われてるの知ってる?」


「初耳です」


「そう。ならその耳に入れておくといいよ。月はさ、あらゆる国で愛されているでしょ?それはいろんな異名があることからも分かるよね」


月にはたくさんの名前がある。

満月、望月、月華、弄月、片月、風月、朧月……。

グライフ王国の言い回しでもたくさんある。獣人語に訳しても、それこそ百は越えていた。それぐらい、いろんな種族に愛される月。


「『月の姫』とその傷を見て誰かが噂したんだよ。その傷跡は、月に見えるクレーターを思わせるらしい」


「それって、結局のところ悪口じゃありません?」


「そうかもしれないけど、結局は変わらないよ。君はこの国において重要な存在だとね。月のように静かだけれど、確かに人を照らす力がある」


「そんなに棚に持ち上げないでください。私は聖女でもないんですから」


「そうだね。でも……僕よりはずっとマシさ」


肩を落とした彼。

その表情は普段の取り繕った仮面が何枚もはがれていた。



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