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殿下の真意がわからない。


私にいろんな告白の文句を言って顔色が変わるのを楽しみたいだけであるなら、もう飽きても良さそうな頃合いだ。

けれど彼は、私に告白するたびにどこか悲しい顔色を潜ませている。


「殿下のことなら…王妃様かしら」


朝早くから彼女のもとで竜語を教えているが、息子のことなら良く理解しているだろう。そう思いたち、どう聞けば良いかと考えながら、手紙を書く彼女に話しかけた。


「王妃様、殿下のことなのですが」


「アルヴィンのこと?あの子、今日はいないわよ」


「え?」


まさか闘技場でベオウルフ様が騎士たちに圧勝していたからであろうか。彼の強い背中は、今となっては人間の騎士たちを魅了するほどである。男の中の男なんて言われて、彼を城で見かけた騎士は必ず敬礼を忘れない。

殿下のことを一瞬案じたものの、王妃様はにっこり笑った。


「城下町の視察なのよ。ついでに孤児院の建設を見ていくの」


「そうなんですか」


意外と彼もちゃんと仕事をしているのだなと納得した。思えばグライフ王国には、第一王子しかいないので、王位を継ぐのは彼だと決まっている。


「頑張り屋なのよね。それもこれも、シンシアさんの本に出会ってからなの」


「私の本ですか」


「ええ。小さい頃から、シンシアさんの訳した絵本は発売されていたでしょう」


「小さい頃?確かに翻訳は始めていましたが、販売はしてませんよ?」


公爵邸で幼い頃から言葉にたくさん触れてきた。辞書を片手に、父様に認められたくて何冊か訳し続けたこともある。獣人語の書物がまだグライフ語に訳されていないという代物を手がけてみたことはあったが。売りにいけるようなものではなかったはずだ。

首を傾げると、紅茶を片手に彼女は少し口を潤した。


「エストレリャ公爵が城で売っていたわ。娘が通訳したものだと言って、大事そうに抱えたものを、出版社の商会に何度も持ち込んでいたもの」


「お父様が…」


「ふふふ、驚くなんてトニトルがかわいそうよ。あんな娘思いの父親なんて、滅多に見ないもの」


城に通い詰めな外交もしているお父様。私の知らない姿をそこに見た気がして、ほんの少し胸が温かくなる。

私が正式に翻訳を頼まれることになったのは、十四歳を超えてから。そのときから本の商会と城に手紙や完成品を郵送したりしていた。行き詰まるようなこともなくスムーズに若いときから働けたのは、お父様が何度も話を通しておいてくれたおかげなのかもしれない。

まだまだ自分が親のスネをかじるような未熟さを考慮されたことである。それでもそこにお父様なりの愛の形が残っているのが嬉しかった。


「あなたの本を息子に見せたのは私なのよ。近しい年であるのに、あなたと同じように頑張ってる子がいるって教えたものだわ」


「ありがとうございます」


「いいのよ。それまでは元気がなくなってたアルヴィンも、本を読んでからたくさん頑張るようになったわ。元はね、すごく臆病な子だったのよ」


懐かしむように言う王妃様。臆病だなんて、あの悪魔的な心を持つ殿下からは想像もできなかった。周りから理想の王子様として尊敬され、令嬢たちをいつも取り巻いている。口説き文句をいくらでも吐ける体力おばけみたいな存在だと、最近知ったが。


「人と話すことが苦手なのを克服しようとしたのは、あなたの本のおかげよ。『狼と七匹の子ヤギ』の絵本に魅入られたのよ。優しい言葉遣いに、悪者の狼もどこか憎めない。そのぐらい、あなたの本はいつも登場人物一人一人に寄り添うの」


お恐れたことを言われている気がして、素直に顔が熱くなる。褒められるのは未だに慣れないので、ここは父親を恨んだ。彼がもう少し私に素直になってくれていれば、今頃褒められた時にそれなりの反応を返せるのに。


「今ではいろんな子に難なく会話を持ちかけることができるようになったわ。でもそれは、狼も子ヤギも関係なく、精一杯今を生きてることに気付かされたからよ」


「精一杯に生きる…」


「貴族界というのは、上の立場になるほど努力する手を抜いて、怠けてしまうものでしょう?身分的に仕方ないことだけれど、下の人たちの作り上げた努力を横領したりして、ねじ伏せてしまう。

この国には王子が一人だけだから、そういう人の闇を見てきたあの子には荷が重かったのかもしれないわね」


令嬢たちは蝶よ花よと育てられ、真面目な一部を除けば彼女たちはほとんど勉強もしない。すると言えば、ちょっとした裁縫やら多額の買い物ぐらい。

令息たちは常に己の見た目を気にかけて繕うばかり。どれほど身分が良くて美しい女の子たちにモテるかどうかと、互いに争ってばかりだ。

アル殿下はその点、令嬢たちを囲う滲み出る良さがあるから、悪口も良く聞いていた。思えば彼は、令息たちには金髪の悪魔なんて言われるほど、笑顔を振りまいていた気がする。


「王子という立場はどうしても努力を怠ってはならないものよ。この国の将来がかかっているものね。でも同年代の周りは、どこか気が抜けていて、己を律し続けるという苦しさがあったはずよ。その悩みを解消したのはシンシアさん」


「そんなにすごい本を訳した覚えはないのですが」


「ふふふ、これはあくまで私の意見よ。でもあの時のアルヴィンには大きな心の支えになったのは間違いないわ。難しい獣人語を巧みに操る令嬢がいるのだと、自分と同じように頑張る人がいるのだと」


たった一人で頑張り続けるというのは、とても苦しい。周りは遊んでばかりで、なぜ自分ばかり頑張らねばならないのかという、どうしても周りが羨ましく見える。

私の本が、彼の助けになったこと。彼が私に、異様に構ってくるのは、友達になりたいからだろうか。

私にとってのヘレナのように、心を支え続けてくれる人がきっと彼には必要なのだ。膝の上で拳を握ると、王妃様に礼をのべた。彼女もちゃんと、国民だけではなく息子のことを考えている母親だ。

私のお母様と違うことが、殿下のことを羨ましく思う。


「向き合わなくてはダメよね、クロウ」


前に、ベオウルフ様の辛い過去を思い出させたくないと思いやりを向けたことがある。けれどそれは、必要のないもの。


『そんな甘っちょろいことしてたら、いつだって大切なことを聞き逃すっす』


クロウの言葉を借りるなら、私は殿下とちゃんと向き合いたい。彼がなぜ私にそういう感情を向けるのか、王妃様に聞くだけではきっと足りない。


「でも……どう聞き出そうかしら。闘技場でのあの出来事さえなければ、まともに話し出せそうではあるけれど…」


「シンシア」


「!?」


名を呼ばれて振り返ると、すぐ後ろに大男が立っていた。手を伸ばしてきたかと思えば、すぐに抱き寄せてくる。


「さすがに疲れてきた。騎士たちが俺に一本勝負を何度も仕掛けてくるんだ。人間は一度負けても、何度も起き上がってくるから面倒くさい」


「獣人は敗者の方から、本能的に逃げ出しますからね」


「……人間の言葉になってる。シンシア、獣人語にして」


グリグリ首筋にのしかかってくるベオウルフ様の重み。彼から甘えるなんて何度もあったと思えるが、今日は特別辛そうに見えた。

伏せられた三角耳を起き上がらせてやろうと、たてがみのような黒髪に手を伸ばす。


「良く頑張りました。闘技場での試合、少し覗かせていただきましたが。すごかったですよ。よくあんなに多くの人を相手にできますね」


褒めて、頭を撫でる。

もはや犬への接し方なのであるが、フサフサの黒い尻尾が左右に揺れた。


「ふへへ」


「……顔が変なふうに溶けてますよ?」


「嬉しい。やはり獣人語で君に話しかけられるのは、幸せだな」


狼はベットリ、客室に行くまでひっついた。今日は少し彼を褒めてやりたい気分だ。

殿下からの容赦無い攻撃を耐えきったと、私はあくまで犬として褒めた。夫の頭をなでて褒めるなんて、ちょっと恥ずかしいのでそういう考えはしばらく捨てることにした。



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