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混乱する会場。

それは獣人に対する根強い差別意識がまだあることを示している。一瞬、その態度に心が痛くなったが、彼らに構わず、ベオウルフ様は睨みをきかせていた。


「シンシアに気安く触れるな。これは俺のもの。お前のものではない」


「今のを見た?さっきの狼はこの獣人なんだよ。でさ、この獣人は僕のワインをはねのけた。これは国に対する反抗と捉えてもいいよね?」


笑う殿下はこぼれたグラスを持ち上げた。それをベオウルフ様は睨んで、頭上で唸り声を上げる。

獣人語で訴えるベオウルフ様の言葉は、会場の皆には届かない。殿下はそこを利用して、獣人語に切り替える。


「毒の臭い。お前がつけたんだな」


「毒?この僕がどうしてシンシアに毒を盛らなきゃいけないの?」


「グルルっとぼけるな。お前は悪い臭いがする。憎悪、嫉妬、それから略奪。俺に向ける臭い」


「はっ、獣風情が。僕たちに臭いなんてわからないんだよ。それはケダモノが交流する時に使う道具だからね」


コケにして笑う殿下に、ベオウルフ様は一瞬怯んだ顔を見せた。畳み掛けるように、殿下は後ろにいる彼を罵倒する。


「犬の姿でご飯を食べて、飼い主には忠実。それはもう犬そのものだよ。君らは人じゃない。シンシアがエストレリャの名で、フェンリルの名に変えないのは、君のようなやつが夫なのが嫌なんじゃない?」


「そ、そんなことっ彼女は」


「聞くけどさ。君、獣人語に“好き”の言葉がないの知ってるよね。彼女から一度でも、人間の言葉で言われたことある?」


聞き返す殿下に、彼の尻尾はどんどんと下に下がった。ペタンと三角耳は頭につくほど伏せられて、もはや捨てられて雨に打たれる子犬のような表情だ。会場のみんなに向けて、顔色を変えるように、殿下はグライフ語に戻した。


「皆さん、僕は優しいからね。シンシア殿と初めのダンスを踊ることで、これは和解にしようと思うよ」


何を言い出すかと言えば。

殿下の目は私に執拗に向けられていた。それはベオウルフ様に対する、あてつけでもあった。


獣人と人間の差別意識。

何事にも秀でている殿下からすれば、ベオウルフ様のような獣人が私と婚約していることが気にくわないのだろう。人間の国で、公爵令嬢という上の立場にある私が。人間からすれば獣風情だと罵られる立場であるはずの獣人と婚約している。

それは一見すれば滑稽かもしれない。でも私は……この人の隣だからいいのだと思う。彼が獣人だろうと、そうでなかろうと。

私の文化を知ってくれようとして、たくさん励んでくれる彼が。


「シンシア、さあ」


「嫌です」


「何を言ってるのかな?これで和解するって、僕は妥協して上げてるんだけど」


誰もがアル殿下に見惚れる。そのぐらい彼は美しいはずなのに。

その醜い手のひらを、私は払い除けた。


「皆様、お聞きください。私はこの狼の妻です」


「ほ、本当なのか」


「ありえない。公爵令嬢が獣人風情に?」


しょうもない、獣人の噂話がどこまであるのか知らないけれど。ベールを外した。


「あ、あの傷だ。本当に顔にひどい傷があったなんて」


「あんなの、手負いの騎士でも見たことがないぞ」


『いばら姫』そう言われた来た顔を、彼らは今始めて見る。私の顔はお父様に傷つけられて以来、ほとんど公の場にさらすことなどなかった。これは醜く、いいように噂が独り歩きしてしまうから。これをさらすなんて、本当はとっても怖い。ベールがあってこそ、いろんな人に受け入れられて、話すことができたから。

それでも外したのは、今この場でベオウルフ様の手を強く握るため。


「この方は私の夫。ベオウルフ・フェンリル。そして私はシンシア・フェンリル。傷物、『いばら姫』と呼ばれた私を唯一受け入れてくれたお方」


グライフ語を彼はまだ知らなかった。だからきっと、この言葉は狼にはわからない。それでも胸を張って言うのは、私が彼に意地悪だからかもしれない。


「どういうことかな、シンシア。僕の和解の案は」


「お断りさせていただきます」


それから受け取っていたトロフィーやらを、殿下の方に突き返した。


「私、気分が少し優れないようですの。それでは、皆様ごきげんよう」


ベオウルフ様の手を自信を持って握ると、すぐに会場を後にした。夜の城はとても暗いために、人の目から避けるように動くのには最適らしい。使用人たちとすらすれ違うことなく、廊下を突き進み庭園へと出ていく。噴水のあるところに着くと、ようやく腰を下ろした。

後で流れる水の音は、辺境伯にいたときのと似たような音を奏でる。


「シンシア」


「はぁ……もう、あんなことになるなんて思いもしませんでした」


「その…」


眼の前に立ち尽くす大男は、なぜかシュンと耳を下げている。尻尾すらただのストラップみたいに垂れ下げて、何かオドオドと言い出そうとしていた。


「すまない…」


「どうして謝られるのですか」


「俺のせいだ」


この事態は、間違いなくあの悪魔王子のせいであるが。何を勘違いしているのか問いただすために、深く尋ねた。


「俺が君を片時も離したくなくて…城についてきたせいだ。すまない…君が名誉ある賞を評価され、喜びに浸かり、皆から称えられるはずだったのに。俺は………人に姿を変えてしまった」


悲しみに暮れるような顔をするのは、『美女と野獣』の野獣に見えた。見た目ばかり非難され、その優しい心を認められない人。

彼は野獣のように、獣人という見た目からここでは差別されてしまう。彼の優しい心を誰も認めてはくれない。


「君の努力が報われる時なのに。俺が…俺が………無闇に」


「もうやめてください」


「すまなかった……」


「いいですから。顔をあげてください」


満月色の双眸をこちらに向けた彼は、どうしようもなさそうに耳を下げていた。捨てられた子犬のような顔をするベオウルフ様。それはきっと私のせいでもある。


「私もすみませんでした。あなたに狼の姿でいることを強制して」


「仕方ない。俺は城に入ることすら許されないような獣人で…」


「私のせいです。最初からあなたを、私の夫だときっぱり言って連れて来るべきでした」


城に入れようが入れないだろうが、ありのままの彼を連れてくることのほうがよっぽど大切だったと気付かされる。獣人だからといって、私から城に入る時に彼を獣人として扱い始めていたら、差別はなくならない。この世から差別をなくすというのはとても大変なことだと思う。

受け入れるということも、それも心の内では差別なのかもしれないけれど。認めるということはできたはず。

ベオウルフ・フェンリルは私の夫であると。


「謝らなければならないのは、私の方ですよベオウルフ様」


「違う…シンシアは俺を守るために狼でいろと言ってくれたんだ。それを破ったのは俺で」


この狼はどこまで都合がいいのだろうか。私の行為をすべて良いものに置き換え、飲み込もうとしている。

改めて言ったほうがいいのかもしれない。


あなたが恋をした小さな昔の私は、子犬として扱っていたこと。傷ついた子犬をたまたま哀れに思って助けたこと。

それすら忘れるほどの小さすぎる思い出で、彼に尽くされるような義理はないということ。


「ベオウルフ様、私、そんなにいい人じゃありません」



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