表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

24/34

23

グライフ王国へと馬車を走らせて六日。以前よりも雪が深いために大幅に移動は遅れているが、魔物を避ける必要もないために道中は安全であった。


「ゼムリャもついてこればよかったのに」


授賞式では普通の舞踏会よりも、優れた文芸家たちが集うのだ。そういう人との会話はとても良く弾むし、周りにはお酒のツマミと言わんばかりにいろんな料理が運ばれてくる。しかも陛下が会場の玉座に座っていて、私達に直接賞状やトロフィーを授与してくれる。


しかも今回は、殿下が私に会いたいとのこと。授賞式の二週間前より向こうに着いて、殿下とお話をする機会があるというのだから。

手元にある竜語と獣語の辞書をお守りのように胸にいだいた。


「お父様もお喜びになられるわ」


私の傷を作ってしまった罪悪感から、彼は私に教養を身に着けさせた。それは普通なら令息たちが学ぶことだったけれど、彼なりの配慮がこうして今も生きている。

右頬を撫でて、父へ感謝した。





「ご到着です、シンシア・エストレリャ様」


白い城は雪に紛れる白鳥の如き輝き。使用人に招かれて中に入ると、もはや芸術の作品みたいに整えられていた。ありとあらゆる絵画にツボが、壁や天井など至るところに描かれていたり、飾られている。案内された客間ですら、ソファが高そうだ。猫足のそれらに己の体重を預ける恐れを抱きつつ、キシっと音を立てて座した。


「君がシンシア?」


座ってすぐに金髪に翡翠(ひすい)色の瞳をした、いかにも好青年な子が入ってくる。疑問で尋ねてくるのは、私がヴェールを被っているせいだろう。立ち上がって挨拶しようとすると、彼は私の手を握っていきなり膝をついた。


「優秀な翻訳家の令嬢に会えるなんて、僕はなんて幸運なんだろう。三日月のお姫様」


と、手の甲へキスをする彼。

その眩しさと言ったら、もはや顔に熱が昇るほどだ。

我がグライフ王国の民ならば知らないものなどいない。


アルヴィン・グライフ第一王子。


「ああ、名乗り遅れてしまったけど。僕のことはアルとでも呼んでね」


ウィンクする彼は、そっと向かい側に座った。その手にあるのは、私がこれまで訳してきた本だ。


「君が訳した本の中でも、『狼と七匹の子ヤギ』はなかなか可愛らしいよね。他の人が訳したのも見たけど、君のは悪者の狼がやたらと可愛く思える」


最近訳した一つを彼は気に入っているようだった。

私は難しい本も訳すけれど、一番得意分野は絵本である。擬音語や感情表現などを可愛らしく描写するのが好きで、しょっちゅうアレンジしすぎて何度も書き直すが。絵本は挿絵と言い、温かいものばかりなので見てるこっちも口元を緩めて笑ってしまう。


「だけど今回、称されるのは『獣人の生態学』の専門書だよ。よくもあんなに訳したね」


「いえいえ、秋といい冬と言い。私の周りには動物がいっぱいいましたので」


それはもちろん獣人という、面白い種族のことである。獣の耳、尻尾、それから角や翼。生えている特徴的な物を目にしていると、その手入れの仕方や構造など、本の説明文より随分と理解しやすかった。

獣人語のものをグライフ語に訳すのは人間たちにとって一番難しいが、常日頃使っているので、簡単であった。


「動物というのは、君の隣にいる犬のことかな?」


「犬?」


チラ、と隣を見ると、真っ赤な舌をハッハッと出しながらこちらを見ている。

ソファに座っても座高はたかく、私と同じぐらいの大きさ。その首元には何かついている。


[シンシアへ


ベオウルフ様が公爵家に泣きついて来ていたぞ。お前の夫なんだから、忘れていたなんてないだろうな?


お父様より]



雷が走った気がした。

父様からの手紙に書かれた内容を察するに、隣にいつの間にかいたこの狼というのは……


「べ、ベオウルフっ……様」


黙って出てきたのには理由がある。

私はこの人が最近、とてもわずらわしい。暖炉で十分温かい部屋で翻訳しているとき。用事があると部屋に入ってきたかと思えば、わざと暖炉の炎にコップの水をぶちまけるのだ。それで寒くなった私が、彼の腕の中に入るまで。部屋に居座り続ける、迷惑狼。


だから黙って出ていった。こいつが来たら、城中の暖炉を水浸しにされて困るし。そういうのって、モラル的に迷惑でしかないから。

ひきつる口元に、隣の狼はのほほんと私に額をすり寄ってくる。


「随分と懐かれているようだけど、ベオウルフっていうの?」


「あはは……はい」


「そう言えば君って、もうエストレリャじゃないんだっけ?」


獣人の国に嫁いだというのは、グライフ王国ではあまり公にはなっていない。お父様の配慮だろうかわからないが、そのへん私は舞踏会の中でも壁の花であったためかもしれない。

殿下は疑問をぶつけてくるが、今はこの犬がベオウルフ様だとバレたら大変なことになりそうだ。

グライフ王国ではまだ、獣人の差別が少し見られるから。


「まあ、そんなことよりですね。医術書なども、この狼のおかげなんですよ。ね、ベ・オ・ウ・ル・フ」


三角耳に言い聞かせるように言うと、大きな黒狼はワンと吠えた。


「賢そうな犬だね。僕も触っていい?」


「ええ、どうぞどうぞ」


隣にお座りする犬に、殿下は近づいた。ベオウルフ様は幸い、私から発せられる臭いを嗅ぎ取ったのかは知らないけれど。従うように狼の姿のままでいてくれた。

が、しかし…


「ワウ!グルルルッ…」


「ねえこの犬、少し頭が悪いの?僕に威嚇してきてるんだけど」


あろうことか殿下に吠え立てるベオウルフ様。


このバカ!相手は人間の国の高貴な人。その相手に唸ったら、首と胴がどうなってもわからないのに。


「そ、そんなこと滅相もございませんよ。ほら、背中ぐらい、大丈夫ですから」


「キャウウン?」


狼の大きな頭を胸に抱き込んで、威嚇していた顔を無理矢理私に向けた。


「城にいる間は私に従いなさいっ。あなたは私の犬よ」


ささやくと、彼の尻尾はむしろブンブンと横に振れる。背中を撫でる殿下は犬が喜んだと勘違いして、少年のような顔をして笑う。


「これはなかなかいい毛皮だね。死んだらカーペットにでもよさそうだ」


「グルルルル」


「あれ、また唸って」


「唸ってません!これは私のお腹の音でございます」


殿下の地雷発言に、何かを察したベオウルフ様がまともに反応するものだから、やりにくい。


というか、なぜ私のところに来た??


いくら父様が彼との仲介役として手紙を首にくくろうと、やっていいこととダメなことがある。人間の城に獣人を連れてくるというのは、その一つ。


特にこの変態狼。


「そうだ、夕食はよかったら僕と一緒にね。父上も母上も君に会いたがってるんだ。客室で少し休んだら、ご一緒にどうかな?」


「それは喜んで、アル殿下」


お辞儀をして答えると、私よりも少し年下のアルヴィン様は口の端を上げた。無事に狼のヘマをなんとかしたところで、私は息を切らす思いで客室へと入る。

中は辺境伯邸の自室と似たような間取り。机にドッサリ、城での滞在中の辞書を乗せてから額の汗を拭う。


「なぜ、なぜ来たのですかベオウルフ様」


周りに誰もいないことを確認して話しかける。


「君は俺の番だ。離れたらいけない」


「離れたらいけない……とかじゃなくてですね」


この子供みたいなワガママに付きやってやれるのかも問題だということ。と、油断していたせいで暖炉の炎がまた白い煙を上げていた。


「あなたという人は……いい加減、炎を消さないでください!寒いったらありゃしないんですから!!」


「ほら、寒いんだろ。離れたら寒くなる。だから俺が近くにいないといけない」


ドヤ顔で手を伸ばしては、彼は私を抱きしめてきた。それで丸く治められるのに、だんだんと腹が立ってくる。私を膝の上に乗せたままソファに座るベオウルフ様。ワシワシと尻尾が叩かれる音に、もはや私の耳は狂ってきた。


「絶対に人前では狼の姿を保ってください。その姿では、城の中で(おおやけ)にできませんから」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ