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ヴラジミールとゾーヤ。
その二人と、ベオウルフ様とゼムリャ。
私とお父様とのすれ違いとはとても思えないほど、二人の反応には敵意があった。
そもそも獣人は五感が優れている。特に狼族の彼らには、臭いだけで人の感情も嗅ぎ分けられるという能力が備わっているのだ。大切な人、家族に対してだけ発する臭いに気づいていたら、彼らもあんなに威嚇することなんてない。
「ゼムリャ、聞いてもいいかしら。あなたたちはヴラジミールとゾーヤに一体何をされたの?」
彼らが来た日の夜。どうしても気になった私は、探りをゼムリャに入れた。ベオウルフ様に夕食の時に聞いたけれど、彼は答えもしなかった。ただ無表情にご飯を食べて、何も聞かなかったかのように後を去ってしまったし。
「そうですね。これは奥様には言うべきことです」
そう言うと、彼女は私の向かい側の席に座った。夕食も片付けられた食堂で、彼女は切なそうに屋敷の当主が座る、一番端の席へと目を向ける。
「アタシたちの両親は、早くに死んだんです。まだ冬の深い頃、冬眠したはずの魔物が森に出てきて」
それはゼムリャが赤子のときだったと言う。この話は大きくなって、ベオウルフ様から伝えられた話だと。
「冬眠しない魔物というのは、穴持たずとも言われるんです。奴らは体格も大きくて、力も強い。倒すのなんて、『黒天狼の牙』をもってしても苦しかった。
父はその時、団員たちを引き連れて真っ先に駆けていきました。それで、亡くなったんです」
「じゃあそれからは、母親があなた達を育ててくれたのね」
「いいえ。母は、『最後の誓い』を立てました」
「『最後の誓い』?」
「獣人は番というものがあることはもうご存知ですよね。狼族は代々、たった一人の番を持ちます。その番が亡くなった時、アタシらは谷底へと身を投げて自決するんですよ」
衝撃的な告白に、私は耳を疑った。『最後の誓い』というのは、辺境伯家の領土である森の深くにある谷底の名前らしい。
「谷底に身を投げてどうするのよ。残ってしまった子供が困ってしまうわ」
「そういうものなんです。アタシらは、そういう種族なんです。他種族にも理解はされにくいことなんですけどね」
そういう文化なのだと、彼女は苦笑いした。
私、もしベオウルフ様が亡くなっても谷底に身なんて投げられるだろうか。未来のことを考えてから、難しいことは後にしようと飲み込んだ。
「『最後の誓い』を立てた両親の死を、身内が聞きつけました。それで、分家であるヴラジミールとゾーヤの二人が養父母として名をあげたんです」
そこまではよくある話だ。貴族でも、本家の両親がなくなった場合、分家にその親権がゆだねられる。
でもその多くが…本家の財産目当て。
「叔父たちはアタシたちを養うことなく、財産ばかりを食い尽くしました。それに怒ったのは、まず姉様で。姉様が反抗すると、彼らは手を上げ始めました。
それから姉様は賢いから邪魔だと、叔父たちは早くに嫁にやってしまって。姉様とは離れ離れになってしまい。
それで今度は兄様が、叔父達に牙を向けるようになって。そしたら、今度は……」
「今度は?」
「………叔父たちは、まだ幼い兄様を殺害しようと計画したんです」
言葉につまってしまう。
ゼムリャがあれだけ叔父たちに震えていたというのは、兄であるベオウルフ様を失うのが怖いからだろう。それと、きっと彼女もまたあの人たちに何かをされたに違いなかった。
普段から、私に対していつも犬みたいな態度に接してくるベオウルフ様。好きだ、なんてグライフ語で何度も伝えてくる人だから、両親に恵まれて甘い環境で育ってきたのかと思っていた。
でも、それにしては、たしかに彼は表情に硬い。感情があまり外に出なくて、尻尾と耳を見なければ分からないほどだ。それは彼が幼い時に、叔父たちに手を挙げられ、しまいには殺害未遂があってからという出来事を通したせいではなかろうか。
それは明るい性格をしたゼムリャとは、とても正反対のことだ。
「兄様はそれで、致命傷を負ったんです。叔父たちに追い込まれて、兄様は森へと逃げました。狼の姿でなら、アタシたちはいくらでも駆け抜けることができますから」
「そうね。森でなら獣の姿で、紛れながら逃げれるでしょう」
「そこからは…具体的にはわからないんです。ただ兄様は、夏になると帰ってきました。そして叔父たちの犯行のことを親戚に訴えました。おかげで、しばらくは屋敷も静かになったんです。でも、やはり大人がいなければなりませんでした。アタシが十歳になる頃には、彼らがまたちょっかいをかけてきて。兄様が家督を継いで、すぐに追い返してくれましたけど」
「聞いていると耳が痛くなるわね」
大体のことは良くわかった。ようは、叔父たちがものすごく悪いやつ。ソレも童話の『赤ずきんちゃん』に出てくる狼並みに。
両親がなくなったばかりのひ弱な子供になんてことをしようとしているのか。というか、他の親族達の無干渉というか、そういうのが腹立たしい。叔父たち以外にも、頼れる大人はいたはずだ。
ベオウルフ様が瀕死になったのは奴らのせいなのに、容疑にかけても逮捕までしないなんて。
「それでその…多分、今回の婚約破棄の件は、叔父たちが取り入ろうとしている家でしょう。ですからどうか、奥様は婚約破棄にサインなんてしないでください」
「別に、私がいなくなろうとここはもうベオウルフ様が守ってくれるわよ」
「違うんです。兄様は、奥様がいたから生きてこられたんです。夏に帰ってきた兄様が言っていました。
シンシアという『月』の少女に助けられたと」
公爵家で手紙をお父様に見せられた時。その一番古い中に、助けられたと書かれていた。
でも、私がベオウルフ様を助けたなんてそんな記憶ない。
「勘違いじゃないかしら。私、幼い男の子を拾ったなんてしたことないわ」
その時、ズキリと右目が痛くなった。頭の奥底が叩かれるような衝動に一瞬、めまいがする。
「奥様、大丈夫ですか」
「うんっ…平気よ。少しめまいがしただけだわ。それよりゼムリャ、とにかく私はそのあなたたちの叔父たちをどうにかしちゃうけど、いいかしら」
「どうにかって……また殴られるなんてことしないでくださいよ」
「殴られるのには慣れてるのよ。お父様にウィスキー瓶で頭をたたかれてからというもの、頭の衝撃には慣れっこだもの」
「そんなことしてたら、いつか奥様の頭がおかしくなられてしまいそうです」
「言ったわね。もしこれが無事に解決したら、あなたにこれから毎日、その尻尾をもふもふさせてもらうことにするわよ」
胸の前で手のひらをもみもみすると、彼女は完全に怯えて尻尾を巻いた。逃げることまではしないけど、やはりそこをもふもふされるのは何かしらの意味があるらしい。
「し、尻尾はやめてくだしゃいっ。獣の姿で触れられることなら良いんですけど。本当、尻尾だけは」
「ふふふ、冗談よ。そんなに怯えちゃって、可愛いわね」
「ううっ……奥様の意地悪」
ベオウルフ様と言っていることが同じだとニヤニヤした。ヘレナとは違って、ゼムリャはいじりがいがある。彼女の反応が一々可愛いので、何とかしてでもこのことを解決しなければ。
寝室の部屋に入ると、ベオウルフ様の姿はなかった。彼はおそらく、こことは違うところで悩んでいるのだろう。
「殺されそうになったんだもの。考えて当然よ」
彼なりに考えたいことはたくさんあるだろうと理解しながら。少しだけ虚しくなるのは、彼が昼間に言った言葉のせいだとおもう。
『何も心配するな。これは俺がケリをつけるものだ』
「私のお父様に、先に口を出したのはあの人なのに」
突き放されたように言われたことを思い出して、胸が痛くなった。




