193. 危機
「吉田様、どうしますか? このまま御母上の治療を進めますか?」
ピーケさんは美沙佳さんのことは眼中にないらしい。 僕はちらりと美沙佳さんを見てからピーケさんに答えた。
「う~ん、そりゃ治るんなら僕は嬉しいけど……。 エミリはどう思う?」
「エミちゃんは絶対に治療してほしいと思う。 お母さんが混乱して苦しんでた所を何度も見てるから」
「混乱して苦しんでたってどういう事?」
「お兄ぃが大学へ行ってからは時々思い出したようにお父さんが亡くなった事を初めて知らされたような顔をして泣いてたの。 暫くすると落ち着くんだけど、……やがて忘れてしまって繰り返すの」
「ピーケさん、是非治療をお願いします。 このままじゃ母が不幸なままです。 今は苦しくとも今後を考えたら現実を受け入れて貰った方がいいと思う」
「吉田様、承知いたしました。 では治療を開始します。 治療後の精神的ショックも緩和する対策を同時に行い、再発しないよう配慮致します」
「お願いします……」
ピーケさんは母を抱きかかえると、自動で開いた治療カプセルの中へ寝かせた。 ピーケさんがカプセルから離れると蓋が自動で閉じられて、カプセルの上部が青色に光りはじめた。
「12分程お待ちください」
事務的ともいえるアッサリしたピーケさんの言葉に頷いて、僕等はそのまま待つことにした。 そして12分が経過したのだろう、治療カプセルの上部が青から赤へ変わり蓋が開き始めた。
僕等が固唾を飲んで見守る中、カプセルの中の母はゆっくりと目を開けた。 開かれた目は空中を不安定に凝視したあとで僕に、そしてエミリに向けられた。
「幸大、絵美里、……お帰りなさい。 私はもう大丈夫。」
「それは僕のセリフだよ。 母さん、お帰りなさい……。 ってもしかして最近のこと覚えてるの?」
「ええ、覚えていますとも。 私は、一体全体、どうしてあんな風になったのかしら……」
それから暫くの間、僕とエミリ、そして正気を取り戻した母の3人で他愛もない会話を交わした。 母の中ではどうやら父の件は既に受け入れ済のようだったのには安心した。
ポロポロピッチ、ポロポロピッチ。
ポロポロピッチ、ポロポロピッチ。
そんなリラックスしたムードを破壊するように美沙佳さんの方から携帯端末の変な音が聞こえた。
「吉田様、たった今、事態が急変したようです」
美沙佳さんが携帯端末を操作するよりも早くピーケさんが皆に状況を伝えてきた。
美沙佳さんは一瞬迷ったそぶりを示したが端末操作を止めてピーケさんへと視線を移した。
「何があったんです?」
「一般にはまだ秘匿されておりますが、どうやらアナンダ–ミレキュアダンジョンのS国側でミサイルと思われる飛行物体が迎撃されたようです。 その飛行物体が核ミサイルだったかどうかで関係各国が騒ぎ始めております」
「い、いやだな~ピーケさん、何の冗談を……」
「私ピーケは各国の秘匿通信を傍受した上でご報告申し上げました。 これは世界的な紛争に発展する恐れが出てきたものと判断いたします」
「まさか第三次……」
「ご安心ください。 ネットに繋がっているシステムは一旦全て私の制御下に置きました。 なので、とりあえず危機的な状況は阻止させていただきました。 その上で申し上げると実際にミサイル攻撃を実施しようとして、私が取り消した命令は3件ほどございました」
「3件もっ? いや、そんなに? だとしたら、いいタイミングでピーケさんが居て良かった。 人類って僕が思ってたよりずっと愚かだったんだな……」
「そうとも言い切れません」
「どして?」
「その3件は上層部からの命令で実行されようとしたものではございませんでした。 特定の団体、こちらではダンジョン教という団体の過激組織メンバーが関わっています。 それは私が収集した映像や前後関係から判定すると95%の信頼度で明らかです。 これは人類に対して行われたテロだと推測できます」
それには美沙佳さんが目を剥いた。
「そんなはずはありません。 ダンジョン教関係者は各国総力を上げて徹底的に軍から排除したはずです」
そんな美沙佳さんにピーケさんは表情を変えなかった。 まあAIなんだから当たり前なのかもだが。
「おっしゃる通り、主要な核保有国では問題は起こりませんでしたが、核兵器の保有を公言している弱小国には効果は薄かったようですね」
「弱小国って、そんな……。 実際彼らは核ミサイルなど保有していないはずです」
美沙佳さんは信じられないというような顔をした。 僕とエミリ、そして母は状況が十分には理解できていない。 病院内部は平和そのものだ、そんな物騒な話は現実離れしている。
「ただし私の言う核は一般的な核ミサイルのことではございません。 核廃棄物のような放射性物質を搭載した通常火薬を用いた弾道ミサイルのことです。 原子力発電所を保有する国々ならば実験せずにそれらを保有することが可能です」
「いわゆる汚い爆弾ってことなのね。 破壊よりも生物が住めなくなることを意図とした攻撃。 そんな非人道的な手段を取ろうとするなんて、あんまりだわ」
美沙佳さんは顔をしかめた。
さすがに僕等もこんな状況で何ができるわけでなく、黙りこむしかなかった。
「貴方達は一体何の話をしているの? サロナーズオンラインの中のゲームの話?」
そういえば母は、ピーケさんや美沙佳さんの正体を分かっていない。
その中で僕等が現実の話をしていないと母が考えるのは至極もっともである。
しかし、AIであるピーケさんがこのような重要な話を、戯れで言い出すはずはないのだ。
「吉田様の御母上様、確かにこれはある意味ゲームのようなものでございますね。 ただし早急に対処するべき状況でもあります。 吉田様とエミリ様にご協力いただきたいのです」
「ちょ、ちょっと。 何を言い出すんですかピーケさん。 この状況で僕等に何ができるって言うんです?}
「ご説明いたします。 まずダンジョン教なる団体の過激派狂信者達についてですが、これはアフィアリアとの類似性がございます。 そしてアフィアリアのそれの元凶はダンジョンの中の魔物だったのです」
その発言には僕だけでなく、エミリも美沙佳さんも、そして母までもが疑いの目を向けた。
「魔物? ダンジョンの外で魔物ってどういうこと?」
「その魔物はハイクマンと言います。 レベルが高く知能も高い魔物で、ピュプノシスという人を操る能力を持っています」
「そんな魔物がいるんだ~。 あっ、そういえばミーアンキャットの上位種もそんな感じの能力があったな~」
「スーパーミーアンのことですね? その能力は確かに精神に影響を及ぼしますが、ハイクマンのそれとは根本的に異なります。 何よりもピュプノシスというスキルで操られた人間は、ダンジョン外に出ても効果が継続します。 その効果は1年程かけて次第に弱まるようですが、短期間で治療するにはハイクマンを倒す必要があるのです」
「つまり、その元凶となったハイクマンを倒せということなんですか?」
「ええその通りです。 ハイクマンは人型でゴーストタイプの能力も持っているので、私共のようなAIロボットには倒せない相手です。 吉田様なら、ステータスが高いのでピュプノシスの影響を受けずに“雑魚掃除”のスキルで容易に倒せるものと期待します」
「た、確かに精神系のスキルはステータスでレジストできそうだけど、本当に大丈夫かな……」
「“雑魚掃除”が通用するなら、察知される前に遠方から倒せるはずです。 万が一、ピュプノシスに影響されたとしても、治療カプセルにて安全に治療できます。 これはアフィアリアで実績がある対処法なのです」
「……まっ、まあいいです。 わかりました、やってやります。 で? 何処へ行けば? ってその前に僕のステータスを上げきってしまいたいです。 アフィアリア産のユニークスキルオーブを一個使いますね」
「現在でもレベル的、ステータス的には十分かと思われますが、吉田様の御意向がそうであるならば、その方が良いでしょう」
「レベル的に十分かどうかなんて、分かるんですか? そのハイクマンって結構ヤバイ魔物のように思うんだけど」
「我々の推定では、魔物のレベルは640程です。 吉田様にとっては正真正銘な雑魚ですので余裕かと存じます」
ピーケさんから魔物のレベルを聞いて多少安心できたが、良い機会だから、ここでユニークスキルを使ってステータスの上限を一段階突破してしまっても良いと考えた。 以前は強くなりすぎるのを怖がって一旦保留としていたが、こうなると話は変わって来る。 そしてそう考えた僕は躊躇せず、その場で一個のユニークスキルオーブを使った。
<ユニークスキル、<透視>を取得しました>
おっ! これは、もしかしたら大当たりかもしれない。 僕の顔は思わず綻ばせた。
そうとなれば優先的にやることは一つだ。
僕はエミリに目を向けた。 だが正直言って対象外。
次にピーケさんに目を向けてスキルを使った。 ……残念ながら効果なし。
次は母に目がいったが、流石にそれは罪深いと思えた。
そしてファイナリー、僕の視線は美沙佳さんへと注がれた。
「よ、吉田君。 その目は何? もしかして取得したスキルと関係あったりするの?」
僕は答えずに即座にスキルを使ってみた。
そして見えたものは……。
「あれっ? これは一体。 美沙佳さんて、ユニークスキルは未だ一個しか持ってなかったんですね」
そう、“透視”の効果は、人間のスキルを見通すことができる能力だった。
つまり、僕の淡い期待は実現しなかったということである。
「吉田君は、何のスキルを手にしたの? まさか“透視”みたいなユニークスキルを取得したの?」
美沙佳さんの言葉には正直多少慌てたが、もちろん僕は表情に出すほど未熟ではない。
「あ、ああ。 え~と、僕の取得したスキルは、“スキル透視”って奴でした。 ごめんなさい美沙佳さんで試させてもらいました」
「そうだったのね。 それって名前だけで判断すると“透視”と同じスキルのようだわね。 ユニークスキルだもの、“透視”は確か辺見中尉という男性自衛官が取得済だから、吉田君は異なるスキルを取得したはずですね」
「そうですよ。 僕が取得したのは“スキル透視”であって、“透視”じゃなかったです」
「それは良かったわね。 “透視”を取得した中尉は、そのユニークスキルでは相手のスキルだけが見える、って言い張ってたけど、彼のスキル名が皆に知られるようになってからは女性も男性も彼を遠ざけるようになってしまってね、別名不幸のスキルと言われるようになったと聞いてます」
げっ、“透視”にはそんな罠があったのか。
こ、これは絶対に知られちゃいけないやつだ。
てっきり大当たりスキルを獲得したと思った僕がはずかしい。
「今お兄ぃが使ったのは、アフィアリアでドロップしたユニークスキルオーブなの。 アフィアリアでは地球と同じユニークスキルを取得できるんだよ? エミちゃんが思うに、お兄ぃの態度からして、取得したのはきっと“透視”なんじゃないかな」
え、エミリ。 お前はまた余計なことをベラベラと。
分かっているのか? その発言は、誰にも得が無いんだぞ? お前は僕が不幸になってもいいとか言うんじゃないだろうな。
僕は非難の眼差しをエミリへと向けた。
それを聞いて美沙佳さんは一歩後ろへと後退した。
「エミリちゃん。 今では辺見中尉の証言は本当だったってわかってるのよ。 例え吉田君が取得したのが“透視”だったとしても実害はないのよ?」
僕を救ってくれたのは美沙佳さんだった。
だが安心した僕の不意を母がついてきた。
「幸大、貴方って子は昔から全く進歩ないようね。 反省しなさいね」
ちくせう、母に子共扱いされてしまったけど、これには反抗できない。
いや待てよ?
ここで反論せねば、状況を認めたことにならないか?
「ち、違うよ、母さん。 僕が取得したのは本当に“スキル透視”であって、“透視”じゃないんだ。 信じてくれよ」
「吉田様。 “スキル透視”というユニークスキルは確かにアフィアリアにも存在いたします」
そんなピーケさんの力添えに僕は感謝した。
「ほ、ほら本当だっただろう?」
「お兄ぃ、アフィアリアで “スキル透視”が知られているってことは、お兄ぃがアフィアリアでドロップさせたユニークスキルオーブは“スキル透視”じゃ無かったってことだよね?」
くっ、しまった。 これは泥沼に嵌ってしまったか。
僕は絶望感に苛まれた。
「エミリ様、確かにアフィアリアでは過去、“スキル透視”を取得した隊員が御座いました。 ですがユニークスキルオーブは時として繰り返してドロップすることがあるのです。 吉田様は多分、その繰り返してドロップしたスキルを得たということなのでしょう」
ピーケさん。 今度こそ感謝。
しかし母やエミリ、そして美沙佳さんが僕に向ける疑惑の眼差しは晴れなかった。
だが今はそんな場合じゃないだろう。
僕はこの件は直ぐに終わらせようと行動を開始した。
つまり僕は何食わぬ顔をして、アイテムボックスから通常のオーブを取り出して使い始めたのである。 早急に僕の全ステータスが64000まで高めておくのだ。
「それでピーケさん。 そのハイクマンって魔物は何処にいるんです? 何処へ行けばいいんです?」
通常のオーブを使い続けながら僕はピーケさんに訊ねてみた。
あっ、誤魔化した、とかいう囁き声が聞こえたような気がしたが、そんなのは無視である。
「吉田様、ハイクマンがいると推測されるダンジョンは日本には1箇所のみございます。 ですがそこは今は閉鎖されているようなので、海外のダンジョン由来なのかもしれません。 それにしても多少奇妙な点がございます。 海外のダンジョンも閉鎖状態なのです」
「それはつまりどういうことですか?」
「つまり、現在暗躍しているダンジョン教の狂信者たちを操っているのが何処のダンジョン由来のハイクマンなのか特定できないということなのです」
「じゃあ、どうしようもない状況じゃないですか?」
「いえ、そんなことはございません。 吉田様にはハイクマン討伐をお願いしたいと思っております」
「でも何処のダンジョンのハイクマンかわからないんでしょう?」
「ですから、ハイクマンがいると思われるダンジョンを端から掃除して回るのです。 それで効果がなければ……」
「効果がなければ?」
「一から調査し直しです。 未知の発見されてないダンジョンを見つけて検証することになります」
「それで、ハイクマンがいると思われるダンジョンは地球全体で何か所あるんです?」
「5箇所でございます」
5箇所もか。 こりゃ思ったよりも大変だな。
僕は思わずため息を漏らすしかなかった。