191. 非公式
ピーケさんはここまで終始、笑顔のままで余裕といった感じだが、鈴木さんと美沙佳さんは未だに表情が固ままだ。 この差は深く突き詰めて考えている高度なAIと、明らかに有限な人間との差なのだろう。
強張った表情のままの鈴木さんは、それでも疑問点をピーケさんに投げかけていった。 こういうところは流石だと思う。
「私としましては、先ずお尋ねしておくべき事があります。 ピーケさんは現在アフィアリアを代表されているのでしょうか? それとも後から正式な友好使節団がいらっしゃるのでしょうか? それによって今後の我々の対応が変わってきますので」
「私ピーケは、吉田とエミリ様をサポートするために参ったのが主目的なので御座います。 それゆえアフィアリアを代表してはおりません。 また現在アフィアリアと地球間の往来は事実上出来なくなっておりますし、今後十年間はアフィアリア側の使節団がこちらを訪れる機会は無いでしょう」
「そうでしたか。 ……ということは外交的な交渉などは今は不可能という理解で宜しいでしょうか?」
「その通りで御座いますが、私ピーケはアフィアリアから与えられている権限を持っております。 その権限の中には先程お話したような技術的、文化的な情報の供与も含まれております。 それを実行するためにネットワークへのアクセスを許可していただきたいのです」
「す、少しそれはお待ちください。 恥ずかしながら我々は近年サイバー的なテロでかなり痛手を被った経験があるのです。 部外者のネットワークへ接続に対しては慎重にならざるを得ない当方の事情をご理解ください」
僕たちがアフィアリアに滞在している間にそんなことがあったんだな。 それで携帯端末とか冒険者証とかが新しくなったってわけだ。
それにしても、まどろっこしい話になってきたものだ。
「あの~、鈴木さん。 僕たちが地球を離れてから3年も経ってる聞いたんですけど、それって本当ですか? 僕はアフィアリアに100日ほどしか滞在してなかったはずなんですけど」
「えっ? 100日? それは本当なのかい?」
僕と鈴木さんは瞬間互いに見つめ合った。
そしてその視線はやがてピーケさんへと向かった。
「それにはピーケがお答えします。 吉田様はアフィアリアを異世界のような場所とご説明したかと存じますが、アフィアリアは約1万2000光年ほど距離を隔てた同じ宇宙空間の星系の惑星なのです。 シエラネバダダンジョンに突然発生したゲートにより吉田様はアフィアリアに来ていただけました。 そしてアフィアリアを救済してから、今度は逆向きに発生したゲートで帰還したのでございます」
「1万2000光年!!!」
「1万2000光年って、そんなの信じられない」
一瞬の間をおいて、鈴木さんと美沙佳さんが同時に驚き声をあげた。 その反応は正常な人間の証だ。 僕としてはその様子にホッできた。
「はい、アフィアリアと地球は約1万2000光年の距離を隔てております。 それを移動したことで相対理論的な時間不整合が起きたもの推定されます。 ダンジョンのゲートが関わっている以上、そのような現象が起きても不思議ではありません」
ん? 相対理論的って何だ? そんなことピーケさんは一言も言ってなかったと思ったが……。
ピーケさんは真実のみでなく嘘も状況次第で吐くことは分かっている。 つまりこの件については何を信じたら良いか分からないってことだ。 とりあえず矛盾は全てダンジョンのせいにしてしまおうって腹なのかもしれない。
僕はちょっとだけ懐疑的な視線をピーケさんに飛ばしてみた。
でも真実だと断定できるのは、地球の現在は、あれから3年経過してしまっているらしいってことだ。
そうなると、どう考えてもこれはピンチだ。
なにがピンチかっていうと、ミレカ姉妹とマリの存在だ。
あの強烈なキャラたちが、いつの間にか僕よりも年上になってしまっている。
ということは、僕に残された年齢という最後の砦が危うい。
そう思うと自然と脂汗が出てきてしまう。
「お、お兄ぃ。 そんなに長い間エミちゃん達が行方不明だったんなら、お母さんが心配してるんじゃ?」
その言葉を聞いて、僕は一瞬にして血の気が引いた。
母はダンジョンで父を亡くしてから深い精神的なダメージを被っており、今でも回復していなかった。 そんな折、僕だけでなくエミリまでもダンジョンで失踪したとなるとその影響は考えたくもない。
「や、やばい。 鈴木さん、母が今どうなっているかご存じですか?」
流石の僕も取り乱した。
なぜ真っ先に肉親のことを考えなかったのだろうか。
そんな思いに少しだけ自己嫌悪に陥ってしまう。
「それは勿論です。 君らの親御さんついては我々も気に留めていたんだ。 当初は心配させまいと失踪の件は伏せていたんだが、どこからか情報が伝わってしまってね。 それからは多少不安定な時期もあったんだが、今は安定しているよ」
「ありがとうございます」
「いえいえ、君らのレインボーオーブは米国ダンジョン界の英雄だし、当然日本でも貢献度はそれ以上と言っていい。 個人的に君たちと親しい私達としても大分気に病んでたんだ。 私の権限が及ぶ限りサポートさせてもらったよ」
「鈴木さんは今やダンジョンに関しては日本のトップ、世界ダンジョン連盟でも1、2位を争う権力者なのよ?」
「美沙佳君、君にそれを言われる筋合いはないかな。 君は今や泣く子も黙るレインボーオーブを中核とした超大規模クラン連合を率いているのだからね。 実質的に君を当てにしないと私は大したことはできないのだよ?」
「でも私は今でもダンジョン省直轄のダンジョン自衛隊所属でもあるんです。 その意味では鈴木さんの部下なのですよ?」
「……」
この会話で鈴木さんと美沙佳さんの立場が分かった。 だが今の僕には……。
「私ピーケから一言申し上げます。 私の使命の優先度第一位は吉田様とエミリ様の活動のサポートなのでございます。 そして現状を考えますと、吉田様の御意向はお母様のお見舞いだと断定できます。 これには私も同行させていただきます」
「いや、ピーケさん。 異世界、あっ、いやっ、異星の方に外出許可は簡単には出せないことをお察しください。 色々と込み入った法解釈の審議と手続きが必要なのです」
「申し訳ありません。 繰り返し申し上げますが私の使命は吉田様とエミリ様のサポートでございます。 それ以外の優先度はあまり高くありません。 ひとまず今までは地球の立場を尊重するという形を取りましたが、地球の現政治システム形態から考えると、これ以上の交渉は無理と判断します。 よって私はこれから自由にさせていただきます」
「ちょっ、それは困ります。 色々と問題が……」
「大丈夫です。 私の存在は今のところ公には認められていないはずです。 私は非公式に行動することに致します」
これには鈴木さんが慌てた。 もちろん僕等も、美沙佳さんもだ。
「それは、その……」
「予め申し上げておきますが、私を止めようとしても無駄でございます。 私にはロボット3原則のような保安プログラムはインストールされておりません。 必要と判断したなら地球では対処できないレベルの武力も行使します」
「ちょっと、ピーケさん! そこまで強硬な態度をとらなくても」
「いいえ、吉田様。 こればかりはハッキリとさせておく必要があるのです。 既に吉田様にはアフィアリアを滅亡の危機から救っていただきました。 そして今、傍受した情報から判断すると地球の状況は正にそれと同じ状況に陥ろうとしているようです。 時間的猶予は十分にございますが、無駄な時間はございません」
「傍受? それは我々の情報にアクセスしたということなのですか?」
「はい、非公式にアクセスさせていただきました。 もちろんシステムの本質に危害を及ぼすようなことは致しておりません」
げっ、ピーケさんやっちまったんだな。
非公式にアクセスしたっていうのは、地球ではシステムをハックしちゃったってことなんだよ。 サイバーテロに準ずる犯罪行為だ。
もちろんこれが世間に知り渡れば大変な混乱を引き起こしてしまう可能性がある。
「いやいや、それは不可能なはずだ。 我々のシステムは、あのテロを教訓として、完璧に整備されたはずなんだ」
「それはセキュリティAIを強化したということなのでしょうが、そのAIとお友達になればアクセスには全く障害はないのです」
「お友達? って、そんな意味不明なこと……」
「現地球のAI技術はあくまでもアフィアリアより150年も昔のレベルなのです。 シンギュラリティを超えたAIには、地球のセキュリティなど無いに等しい状態なのです」
「……」
「……」
「……」
「ピーケさん、無駄とは思いますが、一応物理的に拘束させていただきたく思います。 もしそれが無駄な行為なのかがハッキリしましたら諦めて非公式という見解で通すしかないですね」
「どうぞ、やってみてください。 良い機会なので無駄だということをハッキリさせてしまいましょう」
合意の上で美沙佳さんが、拘束具――見るからに頑丈そうな手錠をアイテムボックスから取り出してピーケさんに取り付けた。 その間ピーケさんは無抵抗だった。
そして美沙佳さんが静かにピーケさんから離れた時に、少しだけピーケさんの手錠が光ったように思ったら、完全に手錠がはずされてしまっていた。
「こ、これは一体どうやったんです?」
「この手錠にはソフト的にブロックされた鍵と、物理的な仕組みのみで解除できる鍵が内臓されておりました。 それを私の能力で解除したまででございます。 もちろん破壊するのも可能でしたが、そこまでする必要もございませんでした」
「なるほど、これではピーケさんの行動を制限する方法はなさそうだね。 もちろん我々にも最終手段は残されているとは思うんだが……」
「私は核兵器による攻撃も無効化できますので、私へ危害をお考えでしたら、今の地球の技術水準では無理だと忠告しておきます。 もちろん吉田様を盾に取られたのであれば別でございますが」
「ははは、もちろん吉田君を盾になんて考えられないな。 そんな状況になるようだったら僕だって全力で阻止する方向で行動するよ」
「では、私ピーケの存在は非公式扱いとし、アフィアリアの存在も今は伏せておくということでいかがでしょうか? アフィアリアの技術・文化については吉田様が報酬として個人で持ち帰ったということで内々的お伝えするということで良いと思います」
「わかりました。 それで行きましょう。 そこで提案ですが、今後のピーケさんと吉田君の活動をスムーズに進めるためにも、我々との関係を良好な状態に保ちたいと思うのですが、いかがでしょうか?」
「もちろん私もそう思います。 こちらには連絡係として私ピーケと同レベルの個体AIを残して置くことにします。 互いの情報共有はその個体を通して行うということを提案します」
「それは助かります。 私としましても今後起り得る状況は逸早く把握しておきたいのです。 現在のダンジョン情勢では何か問題が発生した場合に後手に回るのは宜しくないので」
「それでは、個体名、――愛称アイリをこちらに残しておきたく存じます」
「ありがとうございます」
これで何とか交渉も一段落といった感じになったが、今度はそれを確信した美沙佳さんが口を開いた。
「鈴木大臣、私はこれから自衛隊を退役して、同じくレインボーオーブの責任者も辞任したいと思います」
「み、美沙佳君、突然何を言い出すんです。 一体どういう訳なんですか?」
「レインボーオーブの社長、つまり責任者が無事に帰還したのです。 それならば私がその座に留まる道理はないと思うのです」
「いや、しかしだね」
「ちょっ、美沙佳さん。 さっきから気になってたんですけど、レインボーオーブって今や大組織になっちゃってるんじゃないですか? そんなの僕には荷が重すぎます。 無理です、嫌です、逃げたいです。 そ、そうだ。 エミリ、エミリならできるかもしれない」
「……」
「……」
「これだからお兄ぃは……」
「それで美沙佳さんは、それでどうしたいのかい?」
「私もピーケさんと同じく、吉田君とエミリちゃんにレインボーオーブの一員として同行したいと思っています」
「なるほどね。 でもやはり経験の浅い吉田君だと組織の運営は厳しいと思うんだ。 どうだろう、美沙佳さんはそのままその座に留まり、もちろん自衛隊にも在籍したまま行動を共にするというのは」
「私ピーケからも美沙佳様にお願い申し上げます。 やはり知名度が相対的に低く、見た目が若い吉田様では、今後何かと活動に不都合が生じる恐れがあります。 その点、世間的に知名度の高い美沙佳様なら問題は起こりにくいかと存じます」
「あの~、僕って知名度が低いの? さっきは英雄とか言ってませんでしたか?」
「調べた限り、吉田様の知名度は十分高いと言えますが、実際のお姿はAIによってブロックされていたようなので、活動する上での効力は余り期待できないのです」
「そうなんだ。 じゃ、やっぱり美沙佳さんが最適だな~」
「うっ、ですが、自衛隊とレインボーオーブの責任者の掛け持ちだと、事務処理に多大な労力をとられてしまい行動の自由があまり無いんです」
「わかりました、それではピーケからご提案申し上げます。 事務的な手続きは私が代行いたします。 それで問題ないでしょう?」
「え、ええと、確かに代行していだだけるのは助かるのですが、それって大丈夫なのでしょうか」
「私はシンギュラリティを超えたAIなのです。 事務処理能力については並みの人、いえ人類の最高能力者を何百倍以上も凌ぐと保証します。 もちろんやり過ぎないように調節することも可能です」
「……ははは、美沙佳君。 これで決まりだね。 君は現状通りで、事務処理などはピーケさんを頼るといいよ」
「鈴木さん、それでいいのですか? ピーケさんはあくまでも部外者なのですよ?」
「もちろんそれは承知の上だよ。 僕等は運命共同体となったのだ。 日本にとって、いや地球にとってピーケさんは部外者なのだろうが、我々にとってはそうじゃないはずなんだ。 もちろんこれは非公式な見解なのだけどね」
ということで、僕はこれから、エミリ、美沙佳さん、そしてピーケさんと行動を共にすることに決まったのだった。