165. 大事に到る
セーフティゾーンは魔物がいない場所――正確にはアクティブな魔物がいない場所であると言える。 普通のセーフティゾーンでは大体において無害な噛み付き石がいたりするのだが、時には幽霊のように現れては消える魔物がいることもある。 本当にそれが魔物かどうかは看破スキルによりレベル持ちであることがわかっているため確定的だとされている。 それでその魔物には各種魔法も物理的な接触でもあらゆる方法でこちらから手出しできず、襲ってもこないことから無視するのが通常だった。
そのような幽霊魔物がこのダンジョンのセーフティゾーンにもいたのである。
それにしても実際に間近で見ると気持ち悪いことこの上ない奴等だ。 このセーフティゾーンのキャンプに駐在するにはソイツ等の存在を無視できるだけ強固な精神の持ち主である必要があるのではないだろうか。
「ぎゃ~~!! 私こういうの苦手になったかも!」
ミレイさんはソイツが目の前に突然現れたとたん悲鳴を上げてしまった。 いつもは毅然とした態度の女王様タイプなのだが、この時は違っていた。 まあ魔物と一番最初に対峙した時の彼女は可愛いらしいものだったが、今ではその片鱗は消えてしまっていた。
今回は例外なのだろう、彼女はすぐに軍用の最新セーフティテントをアイテムボックスから出して中へ逃げ込んでしまった。
「キモイ、キモすぎる。 ウザい、ウザすぎる。 吐きそう」
カナさんも耐えられなかったようで、同じく中へ避難してしまった。
これに反してレイナさんは動かない。 一瞬この手の奴に強いのかと思ったが、表情が固まったままであることから、むしろその逆で、金縛り状態になってしまっているようである。
「エミリ、レイナさんもテントの中へ入れてあげてよ。 何となく自力じゃ動けない気がする」
僕はエミリにそのようにお願いしてみた。 だがそのお願いは叶わなかった。
「お、お兄ぃ。 エミちゃんは脚が思うように動かなくなっちゃった。 一体どうしちゃったのかな」
エミリも何かしら影響を受けていた。 あとは美沙佳さんに期待するしかない、そう思って美沙佳さんに目を向けると電撃の魔女も涙目になってしまっていた。 つまり女性陣は総崩れとなっていたのである。
「ふぅ、存外女子たちは駄目だな~。 仕方がないな、僕が何とかしてあげるよ」
僕はそう言ってからレイナさんに近づいていった。 そして彼女を抱き上げて運ぼうと手を差し伸べたところで、レイナさんの下の地面が濡れていることに気がついた。
う、うあっ! こんなにかっ! こんなに恐ろしく感じてしまったのか……。
僕はある意味ショックを受けた。 そしてレイナさんに手をかけるのを躊躇した。 誤解しないでほしいが、決してその地面の液体が怖いのではない。 レイナさんがその状態にあることを僕が気づいたことで、彼女を傷づけるのが怖いのだ。
こ、これは一体どうしたらいいのだろうか。 僕はほんの少しだけ考えてピンときた。 こういうときには古から使われてきた手法を採用するのが良い。
ざばぁ~。
僕はアイテムボックスから水の固まりを少しだけ取り出してレイナさんの頭から浴びせかけてあげた。
「おい、ヨシ。 一体それは何の真似だ!」
マリがめずらしく僕に気色ばんだ。
「ご、誤解だマリ。 僕は、その、僕は……」
これは想定外だった。 僕の行動をどのように釈明したら良いのか予め考えおくのを忘れていた。
「何がどう誤解なんだ?」
「い、いや。 う~んそうだな。 あ、あれっ? そう、アレなんだ」
「アレってなんだ?」
「ほ、ほら、水も滴る良い、じゃなくて、その。 そう、逮捕されるのが怖かったんだ」
「逮捕?」
「そうだよ。 知らないのか? 昨今は事前了承なしに女性に勝手に触れると婦女ぼうこ、いや、せ、セクハラで逮捕されるんだよ」
「知り合いへのセクハラなんぞで逮捕されることがあるのか? そもそも何故てめーは勝手に触れようとしたんだ?」
「セクハラは重罪なんだぞ! いいか、これは忠告だ。 マリも気をつけておけよなっ」
「お、おお。 そこは分かったぜ」
納得してくれたか。 やはりマリはある意味扱いやすい奴だ。
「で? なんで触れようとしたんだ?」
前言撤回。 マリは普通な奴だったみたい。
「それは、レイナさんが金縛りだったから、僕がテントへ運んであげようとしたんだよ」
「ほほ~、それで?」
「だからその前に水をかけてあげたんだよ」
「なんで、運ぶのに水をかけたのかって聞いてるんだ、俺は」
「さっきも言った通り、女性に勝手に手を触れると逮捕されるかもだから、先ず水を掛けて金縛りが解けるかを試してみたっとことだよ」
「……」
「なるほど、つまり今回は『ええっ!』を使うのを忘れてたってことか……」
くっ、その手があったか。 い、いや違う。 今回の本当の目的はそれじゃない。
「ええっ! そうだった、忘れてたっ!」
とりあえずマリの助言通りに『ええっ!』を使ってみた。 レイナさんの金縛りを解くためではなく、エミリや美沙佳さんに効くことを期待してのことである。 そしてその一撃の効果は覿面だった。 レイナさんは一旦解放されたが直ぐに金縛りに戻ってしまったものの、エミリ達は違った。
「くっ、お兄ぃ。 動く。 エミちゃんの脚は動くみたいだよ」
「エミリ、この隙にレイナさんをテントへ運べ」
僕の命令とも取れるお願いにエミリは頷いてから素早く行動に移して無事にレイナさんの救出劇が完了した。 ちなみに美沙佳さんはそれを見届けながら自力でテントへ逃げ込むことに成功していた。
全く何てことだ。 どうして女性陣だけがこんな?
そう思って辺りを見回したところすぐに違和感に気づいた。
確かに男性陣は皆無事だったのだが、僕とマリ以外全員がVRヘルメットを装着していたのである。
そんなわけで即座に僕が中佐に疑問を投げかけることは必然の流れだった。
「中佐、どうして皆はVRヘルメットを装着してるんです?」
僕の質問に中佐は目を逸らしたように思える仕草をしてから答えた。
「それは、この場所ではVRヘルメットを装着しないと、恐怖で身動きできなくなるからに決まっている。 むしろ何でお前が平然としているのかが不思議だぜ。 なんでだ?」
えっ? もしかしてVRヘルメットを装着せずにこの場所へ踏み込んだ僕らが悪いってこと? でもそんなことは事前に忠告してもらっていない。
「そんなこと知りませんよ。 というかそんなノウハウがあるなら出し惜しみせずに事前に教えてもらいたいものですね」
「あ、ああ。 そうだったか。 いや、変だなとは思ったんだ。 この場所の特異性についてお前らは本当に知らされてなかったのか? だとしたらこちらの落ち度だなこれは」
「酷いです。 後で美沙佳さんとミレカ姉妹の女性陣にも十分謝罪してくださいね。 僕とマリは無事だったんでいいんですが」
それを聞いた中佐は狼狽えた。
「お、俺のせいじゃねーぞ。 こ、これは少佐、 そうだこの場にいない少佐が伝えておくべき事項だったはずだ」
「全く見かけと違って男らしくないですね。 少佐とはあれから会ってないのだから、貴方が伝えずして誰が伝えることができたって言うんです?」
マリが一瞬だけ僕を睨めつけたように見えたが、そんなのは気にしていられない。
「ぐっ、そうなると、お、俺の責任か……。 ……まあそれはいい。 それよりも何故お前らが無事だったのかを教えてくれ」
こ、この人は、切り替えが早いな! この後、美沙佳さんからどのような恐ろしい目に合わされるか理解していないんじゃなかろうか。
「今回の責任云々は中佐で決まりですね。 まあ覚悟しておいてください」
「いや、俺が聞きたいのは何故お前らが……」
「そんなこと分かるわけないです。 強いてあげれば……、今はお答えできかねます」
「どうしてだ? この後に及んで何か問題が?」
「一応美沙佳さんの許可を得ないと今度は僕が怒られてしまうかもだからです」
「お前はその年になっても独立心ってものが芽生えてねーのか?」
「ふっふっふ。 今の僕をいくら煽っても効果ないです。 怒られるのは中佐だけで十分だと思う。 僕はそれを傍らから暖かい目で見守っておきます」
「お前って分かってはいたが、いい性格の持ち主だな。 でもお前が怒られないって? レイナお嬢さんにあんなことをしておいて、どの口がそんな事がいうのかな?」
「……例え怒られたとしても、レイナさんの件だけです。 それにそれはさっき説明した通り、やむなくやったことです。 僕を道ずれにしようとしても無駄です」
「俺は道連れにしようなんて考えてないぞ?」
「それが本当にそうかは、その時になればわかることです。 それに僕の仮説はかなり当たるし、今後の方針も関係してくるから今は言えません」
「そうか……。 今は言えんが後で理由を聞けるかもしれんという理解でいいんだな? もしこの場でVRヘルメットを外しても平静でいられる理由と対策がわかるなら、多少は待てる」
「ここでVRヘルメットを外すことがそんなに重要ですか?」
「まあな、長期間ここに滞在するとVRヘルメットは破損する恐れがある。 その破損が作業中だった場合、そしてそれに誰も気づいてやれなかった場合には人命にかかわるかもだからな」
「大げさな、今時VRヘルメットなんてそうそう破損するものじゃないでしょ?」
「何故かここではかなりの頻度で破損するんだよ。 だから皆戦々恐々としているんだ。 何時自分のVRヘルメットが破損して、恐怖で竦みあがって、失禁どころか、大事に到ることさえあるからな」
うあっ! この人失禁って言っちゃったよ。 頼むからレイナさんの前でそれを言うなよな。 ってか僕がレイナさんにした行為が、それに関係してるってどうして気づかないんだろう。 この人って鋭いところがあるけど抜けているところもある不安定な人?
「大事ってなんです?」
「それは聞いちゃいけねーことだ。 小に対して大ってことだ。 これで分かるだろう?」
げっ、そうだったのか。 大の大人がそんな目に合うのか。 確かにできればそんな目には合いたくないところだ。 そんなことが起きてしまったら水を浴びせかけるという簡単な手段で誤魔化すこともできなくなってしまう。
「……」
僕等はその場で黙り込んだ。 そして少し時間をおいてからセーフティテントの中へ入って行った。 そこには疲れた顔をして女性陣が居た。 疲れた顔と言ってもそれぞれ可愛らしいかったり美しい顔つきは隠しきれない。
「どうです? 落ち着きましたか?」
「ええ、セーフティテントに入ったら恐怖感も消えたわ。 それにしても吉田君やマリちゃんは大丈夫だったの? というかあれは何?」
「それについては中佐が説明してくれるはずです」
そう言って僕はニコニコしながら中佐へと振り返った。 さてどうこの場を切り抜けるのだろうか、お手並み拝見といこう。
「大変申し訳ありませんでした!!!」
そのとたん中佐はでっかい声を張り上げてから、ジャパニーズ方式のジャンピング土下座を嚙ましてきた。 こういうのは幼少期に見たアニメの影響で、今では全世界がどうゆうものかを理解している。
この迫力ある大男が、大声を張り上げてそれを突然実行したことにより、流石の僕も驚愕して声がだせなくなってしまった。
「わ、わかったけど、何がそんなに申し訳なかったの?」
「それはこちらの手違いで、ここで出現する幽霊魔物が強い恐怖感を与えてくること、そしてその対策としてVRヘルメットが必須であることを伝え忘れてたことであります」
「……そうだったのね。 ちょっと動転してしまったけど、それで納得がいったわ。 でもなぜ吉田君やマリちゃんは無事だったのかしら?」
あ、あれっ? これだけ? まさかこれだけで中佐はお咎め無しになったってこと?
ずりぃ、ずりぃぞ中佐! 卑怯者っ!
それに、なんで今度は僕に注目が集まっているんだ?
まずい、これはどうしたもんだろう。
「ど、どうしてでしょうね?」
「そういえば、吉田さんは何か心当たりがあるとか言ってたな」
「ちょっ、中佐。 それは未だ時期尚早だと言ったでしょ?」
「いや、俺の記憶じゃそんな風には言ってなかったな」
「え、ええと僕は今後の方針を決める時に、僕の仮説を披露すると言ったんです」
「今がその方針を決める時に当たるんじゃないのか?」
決断を下すのは美沙佳さんの役目である。 僕は美沙佳さんの意見を待つことにした。
「そうですね、この状況を切り抜ける手段があるなら、例え仮説であったとしても教えて頂戴」
結局僕の言い分が採用されず、美沙佳さんも中佐に同意してしまった。
そうなれば仕方がない。 もったいつけることでもないから言ってしまおう。
「分かりました。 コッホン。 僕が思うに、そもそも僕やマリは幽霊が怖くありません。 そして多分ですが、レイナさんは凄く苦手で、エミリは幽霊が全く怖くない性格なんじゃないかと思うのです」
「た、確かにわたくしは幽霊が大の苦手です。 でもこれほど酷い目にあったことはございません」
「エミちゃんも、お姉様方と同じく幽霊は苦手ですぅ」
「エミリ、可愛く振る舞っても僕にはお前の本性はバレているんだ。 今更無駄な抵抗はよせ」
「……」
「つまり、その人の持つ性分が強調されて恐怖感が襲ってくるってこと? でも私は幽霊なんて信じてないし全く怖く無いのに、今回は非常に怖かったわよ?」
「美沙佳さん、忘れてませんか? ここはダンジョンの中です。 ダンジョンの中ではステータスが増強されます。 つまり耐性が高くなるってことです」
「あ、ああそうなのね。 確かに吉田君のステータスは高いから影響が無かったってことね。 それにしてもマリちゃんは?」
「それはマリもここへ来る直前にステータスの限界突破を果たしたからだよ。 マリそうだよな?」
「ああ、確かにそうだ。 ヨシにな、ユニークスキルを2つ持つことになったからステータスの限界突破が可能になったかどうか調べろって言われたから試したんだじぇ。 そしたら実際にそうだったんで、オープを沢山使ってステータスアップしたばかりってこった」
「そうだったのね。 ステータスの高さによってアレを防ぐことができる可能性があるわけね。 つまりゲームにおけるレジストってやつと同じかな」
「だと思います。 それから僕に関してなんですが、ここへ来てから僕もまた限界突破しました」
「ええっ? ヨシ君もって、まさかステータスが8000を超えたってこと?」
「ああ、そうだよ。 でも未だ全部のステータスは上げ切れてないけどね。 一応16000が今度の限界なのは判明しているけど」
「どうして止めてるの」
「オーブがもったいないからさ。 今飽和しているINT以外のオーブをミレイさんに選別してもらいたいんだよ」
「なるほどね~。 ミレイそれでいいの?」
「はい、お姉様。 手持ちオーブの選別は完了しているのでヨシ君に渡しておきます」
「ちょ、ちょっと待て。 8000とか16000って何のことだ。 ステータスなら1000が限界だろ?」
ふぅ、メンドクサイ。 中佐にはマリから説明しておいてもらうことにしよう。
「マリ、僕等のこと必要な範囲でいいから中佐に説明しておいてね。 それで幽霊魔物の件についてだけど、ステータスが高い僕とマリだけが助かったってことでいい? それとも証明が必要?」
「どうやって証明するつもり?」
「それはほら、唐辛子の魔物がドロップしたユニークがあるじゃないか。 強化を受けた誰かが、幽霊魔物に平気となればQ.E.D.ってことで」
「その役は誰が?」
「そうだな。 やはり守りの要であるレイナさんがいいかな~」
「ヨシ君。 頼むから、少なくとも今はわたくしだけは勘弁して頂戴。 もしもステータスが上がって効果があったとしても、苦手な事には変わりないのです」
「でもレイナさん以外に誰かを選ぶとなると……」
そんな時、意図せずエミリのつぶやき声が聞こえてきた。
「強化スキルはステータスを倍にできるって話だったような」
「……」
「……」
「……」
全員の視線がエミリに向かった。 エミリはそれを受けて縮こまった。
「そうね、強化スキルでステータスの強弱で変化があるかを検証すれば済むことね。 それならば私が代表して実験台になるわ。 私はアイツ等の前に出ても、ただ涙が出て動けなくなるだけだしね」
美沙佳さんが名乗りをあげた。 でも美沙佳さんは、ミレイさんやカナさんよりも重傷だったはずだ。 なにせその場から動けなかったのだから。 それでも実験台を買って出たのは年長者の矜持というものなのかもしれない。 そうなるとここで止めるわけにはいかない。
「中佐はどうします? やってみますか?」
「い、いや。 話を聞いている限り、俺のステータスはお前らよりも低そうだ。 そうなると強化スキルで底上げしても効果が無いかもしれん。 俺は大事に到りたくね~」
「……では、美沙佳さんだけでいいですね? ならここで強化スキルを使いますけど良いですか」
「ええ、お願いするわね」
結果、美沙佳さんには効果は無かった。 どうしてかと思ったが、考えて見れば今の美沙佳さんの素のステータスは2000なので、強化スキルで倍になったところで精々4000なのだ。 レイナさん達はレベルが100を超えた時点で早々に4000になっていて、それでも影響を受けたのだから、倍のステータスで4000になった美沙佳さんが影響を受けても不思議ではなかったのだ。 しかし、その様子を観察していたエミリが勇敢にも外へ飛び出して美沙佳さんをテントへ避難させたのには驚いた。
僕の強化スキルはパーティ全員に作用していたので、当然エミリも倍のステータス。 つまり8000になっていた。
現在素のステータスは以下の通り。
僕 16000になる予定 ユニークスキル5こ、レベル111
マリ 8000 ユニークスキル2つ レベル109
ミレイ 4000 ユニークスキル1つ レベル109
レイナ 4000 ユニークスキル1つ レベル109
カナ 4000 ユニークスキル1つ レベル109
エミリ 4000 ユニークスキル1つ レベル108
美沙佳 2000 ユニークスキル1つ レベル84
中佐 1000 ユニークスキル1つ レベルは不明
今後の課題としては美沙佳さんのレベル上げと、ユニークを誰が使うかである。 中佐についてはとりあえずプライベートダンジョンで魔物を倒すか、叩き出されるかで限界突破を達成してもらうことになる。
それにしても、ここの幽霊魔物って恐怖の精神攻撃を使っているんじゃ? そうなると、実はここはセーフティーゾーンでなかった可能性もあるんじゃないだろうか。
そんなことを考えたのだが、流石に今日は盛沢山の一日で疲れたので、今夜はプライベートダンジョンの中でゆっくり過ごすことに決めたのだった。