とある側近の物語 ②
「イズミル」
既に安定期に入っているイズミルが軽い運動も兼ねて中庭を散歩している時に、ふいに声をかけられた。
「グレアム様」
振り返ると、イズミルが時折『わたしの陛下』と愛情を込めてそう呼称する最愛の夫の姿がそこにあった。
ハイラント・オ・レギオン・グレアム言うまでもなくこの国の王である。
「回廊からキミの姿が見えてな。食後の散歩か?」
グレアムが最愛の妃の側に歩み寄り、まるで宝ものを扱う様にその白くて細い手を取る。
「ええ。とてもお天気がいいから、お部屋でじっとしているのが勿体なくなりましたの」
「しかし転ばないように気をつけろよ?」
「ふふ、また階段禁止令を発令なさいます?」
「必要とあらば直ぐにでも公布する」
「まぁ、ふふふ」
おかしそうに笑うイズミルを蕩けきった眼差しで見つめるグレアム。
さすがに3人目なので、超過保護っぷりは落ち着いてはいるが、それでもイズミルの事となると国内外から賢王と評されるグレアムも、たちまち愚王に成り下がってしまうところは何ら変わってはいなかった。
イズミルがグレアムとその側にいた側近二人に言う。
「丁度よろしゅうございました、お三方にご紹介
しますわね。お腹の子の乳母として迎え入れました前ブレイリー子爵夫人エルネリアです。以後、お見知り置きをお願い致しますわ」
イズミルが侍女と共に散歩の付き添いに来ていたエルネリアを皆に紹介した。
エルネリアはその場で礼を執る。
「お初に御目にかかります。エルネリア・ブレイリー、国王陛下にご挨拶申し上げます。」
さすがは自身も子爵家の出、隙のない礼儀作法を卒無くこなす。
イズミルに向けるものとは全然違うが、グレアムも笑顔で挨拶を受け返す。
「イズミルから話は聞いている。よろしく励んでくれ」
「勿体なきお言葉、ありがとう存じます」
マルセルが横からひょいっと顔を出して軽口を
叩いた。
「礼節を重んじるのは最初だけでいいよ。こう見えてウチの王様、周りの人間には寛容だし、堅苦しいのは嫌いだからさ」
「え……?」
要領を得ずに瞬きをするエルネリアを他所に、同じく側にいたランスロットが呆れたように口を挟む。
「堅苦しいのが嫌いなのはお前でしょうマルセル。私はいつでも礼節は大切だと思っていますよ」
「またまたぁ」
側近二人のやり取りを見て、イズミルが今度はエルネリアに紹介する。
「ふふ、エルネリア、こちらの二人はマルセル・カルトールとランスロット・オルガ。二人とも陛下の優秀な側近よ」
マルセルとランスロット、二人がエルネリアに目礼をした。
対してエルネリアは頭を下げて礼をする。
「お二人のお話は予々お聞きしておりました。カルトール様はリズル様のご夫君でいらっしゃいますね」
マルセルとの結婚後は侍女ではなくイズミルの
側付きになったリズル。
当然エルネリアとは既に共に王妃に仕える同僚として仲良くなっていた。
「うん、こちらも話は妻から聞いてるよ。一人娘のリュアンちゃんが食べちゃいたいくらいに可愛いって」
「皆さまに可愛がって頂いて、本当に有り難く感じております」
エルネリアとリュアン親子は既に王城で生活しており、イズミルの侍女達が挙って世話を焼いていた。誰がリュアンの子守りをするかで揉めないようにクジを引いているほどだ。
グレアムがイズミルに告げた。
「いつまでも立ち話をしていて体を冷やしては
いけない。部屋へ戻ろう」
「わかりました。でも陛下はご政務中でございましょう?わたしの事はお気になさらず、お仕事にお戻りくださいませ」
「何を言う。大切な妻を部屋に送るくらいの時間はある。仕事の方を待たせておくさ」
「陛下、本当に妃殿下を部屋に送るだけにしておいて下さいよ、そのままお茶を飲むとか言い出さないで下さいよ」
ランスロットがグレアムに書類の束をこれ見よがしに見せつけた。
「政務の女房はうるさいな」
「旦那さまが我儘ばっかり言いますからね」
グレアムとランスロット、二人の軽口にイズミルとエルネリアが笑った。
「ではグレアム様、お送り頂くのはお部屋の前までで結構ですわ」
「可愛い王子達の顔を見ずに引き返せというのか?」
「夕食の時に会えますわよ。今日のお戻りは早いのでしょう?」
「速攻で切り上げて帰る」
「ふふふ」
グレアムに促され、イズミルが自室に向けて歩き出す。
その時、後ろで軽く悲鳴が上がった。
「きゃっ!」
「おっと……!」
小石を踏み、足を取られて転びかけたエルネリアをランスロットが後ろから体を支えて助けたのだった。
「大丈夫ですか?」
ランスロットがエルネリアに問いかける。
あまりもの至近距離にエルネリアが驚き、顔を一気に染め上げて礼を言った。
「も、申し分ございませんっ…助かりました、あ、ありがとうございますっ……」
「……いえ」
エルネリアから身を離しながらランスロットが
返事をした。
それを見ていたグレアムがイズミルをぐいっと
引き寄せる。
「見ろ、小石を踏んで転ぶ危険性もあるのだ。当分中庭の散歩は禁止だ」
過保護の再燃にイズミルが懸念を示す。
「芝生の庭園では、今度は滑るといってまた禁止されるのでしょう?どこも歩けなくなってしまいますわ」
「……中庭の小石を全て取り除かせるか。それとも芝生の上に絨毯を敷かせるか」
「もう、グレアム様ったら」
そんな事を言い合いながら歩き始める国王夫妻の後に側近と侍女たちが着いて行く。
ランスロットはちらりとエルネリアの方を伺った。
先ほど支えたエルネリアの腰の細さに驚きを隠せなかった。
〈ちゃんと食べているのか……?〉
中身が詰まっているのか心配になる細さだった。
彼女の身の上はもちろん知っている。
奇しくも自分の母親と同じ境遇の女性だと。
母が太王太后リザベルに拾い上げて貰ったようにイズミルに手を差し伸べられた未亡人。
乳飲み子である自分を抱えた母がどれだけ不安だっただろうと考えない日はなかった。
しかし母には爵位を襲爵出来るほどの大きな息子が二人もいたが、エルネリアはたった一人で子どもを守り育ててゆかねばならないのだ。
自身の母を重ねたランスロットは、可能な限りは力になってやりたいと思うのだった。
◇◇◇◇◇
瞬く間に時は過ぎ、イズミルは第三子となる王女を産んだ。
イズミルと同じ髪色と瞳の色を持つ愛らしい姫を、グレアムはシャルロットと名付けた。
黒髪にアメジストの瞳を持つ王太子レオナルド。
黒髪に青い瞳のプチグレアムこと第二王子アルベルト。
そしてイズミルに生き写しの第一王女シャルロット。
イズミルとグレアム、二人のこの上ない宝もの達だ。
丁度リュアンの断乳の時期がシャルロット王女誕生と重なり、エルネリアはなんの憂いもなく乳母として務め始めた。
しかし王宮内で出回り始めたある噂がイズミルの耳に入る。
誰かが故意に流した噂なのかどうかは
定かではないが、誠しやかに囁かれているらしい。
そしてその噂が出始めた頃からエルネリアの表情が曇りがちになる。
その噂とは、乳母を務める未亡人が国王の侍従や側近を色仕掛けで誘惑し男漁りに耽っている、
という心無いものであった。




