幸せな夜
この頃、リズルがおかしい。
うわの空でぼーっとしている事が増えたし、
急に真っ赤になったり泣き顔や怒り顔になったりと、表情が目まぐるしく変わる。
それにリズルを伴って執務室に行くと、なんだか
そわそわとし出して落ち着かなくなるのだ。
ターナもリズルがおかしいと言っていたので
イズミルの気のせいではないだろう。
〈どうしたのかしら?〉
リズルは侍女だが、妹のように可愛がっているイズミルにとって、彼女の様子が変な事に心配せずにはいられなかった。
そんなイズミルの様子を
更に心配するこの国の王様。
イズミルが懐妊してすぐに、
グレアムから階段禁止令を発令された。
イズミル一人で階段を昇り降りをしてはならないという法令だ。(公的ではない)
イズミルが階段を使う時は必ずグレアムを呼び、
グレアムに横抱きにされて登ったり降りたりしなくてはならないらしい。
〈ご政務でお忙しいのに、普通に考えて無理だわ〉
その他にも公務は全面禁止だとか、
面会は一日一人だけだとか、
書類仕事は妊娠中の視力への負担が掛かるからダメだとか、とにかく過保護なのだ。
最愛の妃が待望の世継ぎを身籠ったとなると
こうなってしまっても仕方ないか、と周りも諦めてはいるが。
グレアムは生まれた子が男でも女でも
次の後継に定めると公表した。
もし女児であればハイラント初の女王の誕生となる。
これは王室規範大法典を改訂したおかげでもある。
今まではよほどの理由がない限り、
直系の嫡男しか王位は継げないとされていたのだが、今回の改訂で嫡子であれば男でも女でも王位を継げると改めたのである。
おかげで男児を産まなくてはならないという
プレッシャーから、イズミルは守られた。
グレアムの正妃となり、イズミルは隅から隅まで
王室規範を熟読した。
廃妃となるはずで、決して見る事は叶わないと
思っていたのに。
嬉しかった。
自分も微力ながら力を尽くした規範の新しい姿を
見る事が出来て、本当に嬉しかった。
◇◇◇◇◇
イズミルがリズルとソフィアを連れて散歩しようと庭園へ向かっている時の事だ。
回廊の向こう側で数名の令嬢に囲まれたマルセルの姿があった。
令嬢たちは皆、頬を赤らめウットリとした表情で
マルセルを見つめている。
フェミニストでどんな女性にも分け隔てなく親切なマルセル。
侯爵家の次男坊で、家督を継いだ年の離れた兄には
既に二人の息子がいる。だからマルセルが侯爵家の
跡を継ぐ事はない。気楽な身分なので一生独身を
貫くと本人が言っていたとグレアムが話していたのをイズミルは思い出した。
〈それはまだ結婚したいと思うような女性に出会っていないから、一生独身でいいなんて言えるのではないかしら〉
なんて事をイズミルが考えながら歩いてゆくと、
ふいに後ろにいるリズルの妙な気配を感じて振り返り、リズルを見た。
リズルは暗い顔をして俯き加減で歩いている。
「リズル……?どうしたの?」
イズミルの問いかけにリズルははっとして首を横に振る。
「なんでもありません、
さぁイズミル様、参りましょう」
「え、ええ……」
何かを振り切る様に笑顔を見せるリズルに違和感を感じるも、イズミルはとりあえずそのまま歩き進めた。
マルセルを見るまでのリズルはいつも通りだった。
〈そういえばリズルの様子がおかしくなる時って、
必ずマルセルがいるのよね……〉
イズミルはおそらく自分の考えは間違っていないのだろうと予測する。
〈リズルはマルセルに恋をしているのだわ……
ではマルセルは?マルセルはリズルの事をどう思っているのかしら……。よくリズルに話しかけているようだけれど、他の侍女もいるというのにリズルにだけに……〉
イズミルは二人の様子を見守る事にした。
でもそれと同時に調べておきたい事がある。
その夜、
イズミルは就寝前にグレアムに話してみる事にした。
「……と、いうわけなのです」
イズミルの話を聞いて、グレアムは顎に手を当てながら言った。
「ほう……マルセルとリズルがなぁ。
イズミルは二人が想い合っているのではないかと考えてるんだな?」
「はい。マルセルの真意はよくわかりませんが、
リズルは間違いないかと」
「ふむ……」
「そこでグレアム様にお願いがあるのです」
「珍しいな、なんだ?なんでも言ってくれ。俺はキミの願いならなんでも叶えてあげたいんだ」
キリリとした顔をしながら甘やかす様な事を言われて、イズミルはなんだかくすぐったくなった。
「ありがとうございます。
ではリズルの出生記録を調べていただきたいのです。イコチャイアの孤児院の出だとは本人から聞いているのですが、どのような経緯で孤児院に預けられたのか、両親はわかっているのか等を知りたいのです」
「リズルの?それはどうして」
「もし二人が結ばれるとして、障害となるものが何なのか知っておく必要があると思いますし、その上で出来る事もありますから……」
「なるほどな。わかった、調べさせよう。
キミは本当にリズルが可愛いんだな」
グレアムに言われ、イズミルは微笑んだ。
「ええ、可愛いですし、大切に思っていますわ。
でもそれは陛下もマルセル様に対して同じでしょう?」
「確かにそうだな、しかしなんだか妬けるな」
「リズルにですか?」
「あぁ。キミにそんなに思って貰える彼女に妬いてしまう」
そう言いながらグレアムはイズミルを
抱き寄せる。
イズミルは硬い胸に顔を埋めながら
くすくすと笑った。
「いやですわ、リズルを思う気持ちとグレアム様を想う気持ちは別のものですわよ?」
「それでもキミの心に俺じゃない誰かがいるのは
なんだか許せないんだ」
イズミルは顔を上げ、グレアムを見つめた。
「まぁ、一国の主ともあろうお方がそんな狭量ではいけませんわ」
「仕方ない。俺はキミを独占するためならどんな心の狭い男になっても厭わないと思っているのだからな」
「まぁ」
こうやってグレアムはいつもイズミルが欲しい言葉を与えてくれる。
優しく包み込んで甘えさせてくれる。
最愛の夫とお腹の中にはその夫との子どもがいる。
今イズミルは心から幸せを噛み締めていた。
穏やかで優しくて、幸せな夜だった。




