どうか彼女を助けて
「そ、そんな事っ……!
イヤですっわたしには出来ません!」
「リズル……そんな事を言ってもいいのか?
なんなら今すぐクビにしてもいいんだぞ?それとも不敬罪で牢獄に放り込んでやろうか?」
「そ、そんなっ……!」
「孤児院にも毎月仕送りをしているんだろう。
仕事が無くなったら、それが出来なくなるな」
「っ……!」
「なに、別に王族を貶めるわけではない。
お前は、私が用意する菓子をハイラント国王に届けて、その前にイズー嬢に菓子を毒味させるだけでいい。王太子の侍従は買収済みだ。ヤツが上手く事を運んでくれる筈だから、お前はイズー嬢の警戒を解くだけでいいんだ」
「でもっ……でもっ……!」
「拒否権はない。やれ、これは命令だ」
「……っ」
「いいな」
「…………承知いたしました……」
◇◇◇◇◇◇
イズミルは夢を見ていた。
まだ幼い日の自分。
遠くに父や母、そして兄の姿が見える。
ここは……大公家のプライベートガーデンだ。
懐かしさが込み上げる。
幼い自分がブランコに乗っている。
父がイズミルの為に作ってくれたブランコだ。
あのブランコは今どうなっているのだろう。
城と共に燃えてしまったのか。
そんな事を考えながらブランコに乗っている。
気付けば今の成長した自分になっていた。
家族がいた方を見ても、もう誰もいない。
心に寂しさが去来する。
それを振り切るようにイズミルは
ブランコをこぎ続けた。
いつの間にか涙が流れていた。
その涙の温かさにふいに意識が浮上する。
だけどぼんやりとした意識しか保てない。
柔らかく、とても暖かな場所にいる。
ベッドの上なのだろうか。
誰かが側にいるような気がした。
イズミルはうっすらと瞼を開けるも
視界がぼやけてはっきり見えない。
とても大きな体が見える気がする。
男の人だろうか……。
〈グレアム……様……?〉
とても近くに感じる。
触れられている。
いや、包み込まれている。
やはりまだ夢を見ているのだ。
グレアムに優しく包み込まれる夢を。
彼の体温を感じる。
あんなに遠かった彼が、今はこんなにも近い。
それが純粋に幸せだった。
もっと近くにいたい。
許されるなら、もっと、もっと近くに。
イズミルは手を伸ばし、
その逞しい首に腕を回して縋り付いた。
急に浮遊感を感じた。
まるで抱き抱えられているようだ。
いつまでもこうしていたい。
好き。やっぱり好きだ。
どうしようもなく好きなのだ。
イズミルはその名をもう一度口遊む。
「グレアム様……」
「なんだ、起きたのか」
…………え?
「え?」
夢にしてはやけにリアルな声に、
イズミルの意識ははっきりと覚醒した。
慌てて顔を上げる。
とてつもなく至近距離にグレアムの顔があった。
どうやら横抱きに抱き抱えられているようだ。
「え?陛下!?な、なぜっ!?」
何故このような状態になっているのか
イズミルはわけが分からず狼狽える。
確かリズルが運んできた菓子を食べて
急激な眠気に襲われたはずだ。
それから次に気がつけばこんな事態になっている。
一体、何が起こったのか。
時を遡る事、今から1時間前のことである。
毒見を終えた菓子を乗せたサービスワゴンを押し、
グザビエの専属侍女のリズルは
王太子夫妻とグレアムが昼食を共にしている
部屋へと入った。
先ほどイズミルと毒見をした
侍従の姿はもう見えない。
グザビエが菓子に盛った薬は、
イコチャイアにだけ自生する植物の根から抽出された睡眠薬だ。
その睡眠薬は、女性にしか効能を示さない。
女性の体内に入り、女性ホルモンと結び付いて初めて効果を示すという独特な薬なのだ。
男性である侍従には効かず、
グレアムが食べても問題はない。
姑息なグザビエが考えつきそうな手である。
王太子がイコチャイア伝統の菓子の説明をして
侍従たちが菓子を皿にサーブしてゆく。
〈イズーさん……〉
彼女はどうなったのだろう。
大丈夫なのだろうか……。
リズルの心に不安が広がる。
転倒した自分に優しく声をかけてくれた。
まだ働き出したばかりの自分を心配してくれた。
一緒に国歌を歌ってくれた。
イズーの優しい笑顔で頭がいっぱいになった。
自分は、なんて愚かな事をしたのだろう。
あんなに優しい人に、なんて事を。
〈誰か……誰か彼女を助けてっ……!〉
しかし相手はこの国の王子。
この国の恥を晒す事になるのに王太子殿下は
助けてくれるだろうか……。
ダメだ、時間がない。
こうしている間にもグザビエがイズーに何をしているかわからない。
今ここで、イズーを助けられるのは……
彼女を助けられる力を持つのは……!
リズルは有りったけの勇気を振り絞って
声を張り上げた。
「ハイラントの国王陛下さまっ!!」
リズルの小さな体からは想像もつかないような
大声に、この部屋にいた皆が仰天した。
リズルはなりふり構わずグレアムの元へと駆け寄る。
しかしすぐにグレアムの側近に取り押さえられた。
それでもリズルは精一杯叫んだ。
「国王陛下さまっ!お願いですっ!
どうか!どうかイズー様をお助け下さいっ!このままでは、イズー様がっ!イズー様がっ……!」
リズルは泣きながらも必死になって訴え続けた。
「そのお菓子にはグザビエ様の指示で女性にしか効かない睡眠薬が入っています!それを先ほどイズーさんは毒味の為に食べられました!きっと今頃、薬のせいで強制的に眠らされているはずですっ!でもそれがグザビエ様の狙いなんですっ!!だからどうか!どうかっ……どうか彼女を助けて下さいっっ!!」
それを言い終わる頃には
リズルを取り押さえていた側近の…マルセルの
拘束は解けていた。
それどころか倒れ込みそうな
リズルの体を支えてくれている。
険しい顔をしたグレアムが椅子を倒す勢いで
立ち上がった。
そして王太子夫妻の方へ向き直る。
グレアムから発せられる怒気に
二人とも気圧される。
そしてグレアムが怒りを露わにして言った。
「……第二王子の、グザビエの部屋はどこだっ!?」
◇◇◇◇◇◇
気を失うように眠ったイズミルを抱き抱え、
グザビエは自身の寝室の扉を開ける。
侍女たちに決して誰も部屋に近づけるなと告げ、
寝室の扉を閉めた。
そっとイズミルの体を大きな寝台の上に寝かせる。
力無くしなだれる体、汗で額や頬に張り付く髪、
全てが扇情的で唆られる。
こんなに美しい娘を見たのは久しぶりかもしれない。
化粧などで作られた美しさではない。
真の造形美だ。
この娘がとうとう自分のものになる。
グザビエは高揚感が抑えられそうになかった。
焦るな、じっくり楽しめばいい。
眠った女を弄ぶのは慣れている。
グザビエはまずイズミルの衣服を脱がそうと
手を伸ばした。
が、その時、一瞬何かが空を切った。
途端にグザビエの指先から血が滴る。
「!?」
驚いたグザビエが思わず指を抑えると、
イズミルを守ろうとする風の精霊達が飛び交う姿が見えた。
「この娘……エンシェントブラッドかっ」
精霊に加護されるなど並の人間ではない。
グザビエはまたほくそ笑んだ。
エンシェントブラッドならば愛妾などではなく、
この娘を側妃に出来る。出自は大した事なくとも、
その尊い血筋というだけで妃にする価値があるのだ。
「うるさい蠅どもだ」
そう言い放ち、
グザビエは精霊たちを吹き飛ばした。
そして寝台の上に結界を張る。
王族であるグザビエも
もちろん魔力を持つエンシェントブラッドであった。
これで風の精霊がどんなに騒ごうと
邪魔はされない。
グザビエが改めてイズミルに手を伸ばす。
「ふ、ふは、ふはははっ……」
思わず笑いが込み上げる。
グザビエの手がもう少しでイズミルに
届こうとするその次の瞬間、
けたたましい爆音を上げ、
寝室の扉が吹き飛んだ。
「っなっ……!?」
凄まじい魔力を感じる。
驚き、慄くグザビエが背後を振り向いた。
そこには、
怒りで頭髪が逆立った
ハイラント国王の姿があった。




