隣国への視察
イズミルとグレアムがファーストダンスを披露した
夏の大夜会も盛況のうちに幕を閉じ、
王城はまたいつも通りの日常に戻って……
はいなかった。
「……なんだか今日、城内が冷えてません?」
イズミルが腕を摩りながら言うと、
ゲイル=ロッドが言った。
「あぁ、なんかまたどこかの貴族が令嬢を伴って
陛下に謁見を求めて来たらしいですよ」
「あら」
あの夜会でグレアムが
どこかの年若い女性とダンスを踊ってからというもの、
「もしや陛下は女嫌いを返上されたのでは?」
などと真しやかに囁かれ、ならば我が娘を……
と、謁見を申し込んでは娘をグレアムに引き合わせるという者が増えていた。
認識阻害でイズミルに対する記憶は曖昧になったが、
グレアムが誰かと踊ったという事実は人々の記憶に残っている。
そのため
今朝も隣国への視察の際に通行する街道の領主が
警備について話があるとグレアムに謁見を求めて来たのだが、蓋を開けてみれば単なるお見合いであった。
そこからグレアムの機嫌が急降下し、
城内に冷気が漂っているというわけなのである。
「機嫌が悪くなると冷気が漂うなら、
夏の間中ずっと機嫌が悪くなってて欲しいよね」
そう軽口を叩きながらマルセルが後ろから
やって来た。
「じゃあ冬の間は激怒させていたら、
ずっと暖かいのでしょうか?」
イズミルも軽口に付き合う。
「あははっ、この城は国王の冷暖房完備だ」
「ふふふ」
「あ、そういえば今度の隣国への視察、
イズーも同行するんだって?」
マルセルがゲイルの持つ、視察の行程関連の
書類を覗き見て言った。
「ええ。侍従さんや騎士さん達の通訳としてご
一緒させて頂く事になりました」
隣国のイコチャイアは独自の言語を用いている。
イコチャイアの王族や上位貴族、それに高等官吏などは大陸公用語のハイラント語を話すが、
それ以外の者はイコチャイア語しか話せない。
グレアムを始めとする
ランスロットやゲイルやマルセルなど側近や官吏は皆、イコチャイア語も話せるが、
ハイラントから同行する従者のための通訳が
必要になってくるのだ。
その役目を今回、イズミルが引き受ける事となった。
「イコチャイアは初めてなので楽しみです」
マルセルが眉を顰めて言う。
「でもあそこの第二王子、女好きで見境がないって
いうから、イズーは気をつけなよ」
「まぁ、女好きですか?」
「そう。絡まれたら誰かに助けを求めるんだよ」
その言葉にゲイルも同意した。
「そうですよ。なるべくお一人で行動するのも
控えた方がいいです」
「……一国の王子がならず者みたいな警戒の
されようですわね」
「「まったくだ……」」
〈まぁでもきっと大丈夫なのではないかしら?〉
今回は従者側で働くし、
王族との接点がないと思う………と
イズミルは考えていた。
それからは視察に向けての準備で忙しくなった。
〈しばらくは王室規範の解読作業はお休みね〉
今回の視察は、
ハイラントが多額の資金援助をして整備された
貯水工事の途中経過を実際にこの目で見たいと
グレアムが希望した事により、
執り行われる事となった。
行程は十日間。
でもイズミルには計画があった。
イコチャイアと亡国のジルトニアとは
隣接しているのだ。
せっかく近くまで行くのだから
視察が終わり次第、数日暇を貰って、
家族の墓参りがしたいと思っている。
ジルトニア大公家の墓所は
イコチャイアとの国境付近にあるから。
これを逃せば、
次に機会が巡ってくるのはいつかわからない。
せめて一目、
一輪の花を手向けられるだけでもいい。
〈でも今はとにかく視察を無事に終える事ね〉
後宮どころか城外へ、
しかも国まで出る事になるなんて。
イズミル自身もビックリである。
視察出発当日はなんの問題もなく定刻での
出立となった。
天候にも恵まれ、行程も順調に進んだ。
そして予定通りの日程で
隣国、イコチャイア王国に到着した。
馬車はイコチャイア国王の居城、
ヤスリム宮殿で停車する。
玄関ホールではイコチャイア国王とその正妃、
そして王太子夫妻がハイラント国王を出迎えた。
グレアムと側近達はイコチャイアの王族達と
移動する。
イズミルは従者達とイコチャイア側の侍従達との
通訳に奔走していた。
「………」
何やら先ほどからやたらと視線を感じる。
人の大勢いる所だから
気のせいかと思ったが、やはりなんだろう、
こう…纏わりつくようなイヤな視線を感じるのだ。
気になって辺りを見回りしてもこちらを
見ているような人物はいない。
〈……変ね、気持ち悪い〉
不審に思って周辺に気を配っていたその時、
「キャーーッ」
イズミルの目の前で侍女の一人が派手に転んだ。
手に持っていたトレイが床に落ちて
これまた派手な音を立てている。
イズミルは思わずその侍女に駆け寄った。
「だ、大丈夫!?」
侍女は擦りむいたのか鼻先が赤くなっていた。
「イタタタ……も、申し訳ございませんっ!
とんだご無礼をっ!!」
侍女は慌てて身を起こし、謝罪してきた。
「少しも無礼などではないわ。わたしはただの通訳なのだから気にしないで」
「は、はいっで、でも……」
「あら、あなた……」
イズミルはその侍女の訛りを聞き、
気付いた。
「もしかして、出身はジルトニア?」
侍女はぱっと表情を明るくして答えた。
「は、はいそうです!
よくおわかりになりましたね!」
「わたしもジルトニア出身なの」
それを聞き、侍女はますます顔を綻ばせた。
「そうなんですね!久しぶりに同郷の方に
お会い出来ました!」
「ふふ、わたしもよ」
その時、一人の男性の声が聞こえた。
「おい、リズル」
その声を聞いた途端、侍女の肩は跳ね上がった。
「っグ、グザビエ様っ!」
〈グザビエ……?確か第二王子の名が
そうだったはず。ではこの方が?〉
イズミルは声の主、グザビエと呼ばれた男の方を
見た。
イコチャイア王国第二王子グザビエ。
マルセルやゲイルが言っていたように
いつも女性問題で周りを賑わせて、
あまり良い評判はないようだ。
グザビエは舐めるような目つきで
イズミルの全身を見て、そして言った。
「私の侍女が失礼した。
美しい人、あなたのお名前は?」
この目つき……
間違いない。
先ほどから感じていた嫌な視線。
この男から向けられていたのだろう。
イズミルは胸に手を当て会釈をしてから答えた。
「ハイラント国王の近習の末席を汚しているだけの身、名乗るほどの者ではございませんわ。
どうかご容赦くださいませ」
「またまた。貴女ほどのお美しい方が
ただの従者なわけはないでしょう。
……ひょっとして国王の愛妾か何かかな?」
それを聞き、イズミルはカッと頭に血が上った。
確かに視察などに愛妾を連れて行くような
王族が多いというのは聞いた事がある。
だけどグレアムはそのような事をするタイプの
人間ではないのだ。
〈ウチの陛下を見くびらないで貰いたいわっ!
女性不信拗らせ歴8年なんだからっ!
そんな不謹慎な事をなさるものですか!〉
自分が愛妾に見られた事よりも、
イズミルはグレアムがそんな男だと思われた事が
何よりも腹立たしかった。
しかし、それを噯にも出さず、
イズミルは表面上だけの笑顔を貼り付けた。
腹の中は煮え滾っていても
極上の笑顔を見せるべし、
これも後宮処世術48手の一つだ。
「とんでもない事でございます。
我が国の国王陛下は誠実なお方ですから。
愛妾を持つようなお方ではありませんの」
暗にお前とは違うと匂わせてやった。
グザビエには複数人の愛妾がいると聞いていたから。
するとグザビエは鼻で笑うように言った。
「貴女のような女性が側にいて、食指が動かないとは…ハイラント国王は男としてどうかと、心配になりますね」
「………御前、失礼致します」
カチンときた。
これは本当にカチンときた。
ハッキリ言って大きなお世話である。
イズミルはこれ以上この男の戯言を聞きたくは
なかった。
〈何よあれ!グレアム様は確かにおポンコツだけれども、女たらしより全然、遥かに、もの凄くマシよ!〉
イズミルは怒りに任せてずんずんと歩いて行った。
その足早に去って行くイズミルの後ろ姿を、
グザビエは不敵な笑みを浮かべながら見つめていた。




