わたくし、お側にいたいんです
主人公イズミル、
とうとう後宮を出ます。
春特有の白っぽく霞んだ青空。
空気全体が暖かな光を孕んでいるかの様な穏やかな風が吹く。
そんな麗らかな春の日とは似つかわしくなく、緊張で眉間にシワを寄せ唇を固く引き結んだ娘がいた。
娘の名はイズミル。
先日十九歳になったばかりだ。
正式な名はハイラント・オ・イズミル。
この国ハイラントで一応、妃の称号を得ている。
もっとも「妃」の前に「忘れられた」という単語が付くらしいが…。
そして一年後には廃妃となり、旧姓のジルトニア・オ・イズミルに戻る予定だ。
「タ、ターナ…!本当にこの服でおかしくはない?八年ぶりに御前に出るのよ、見苦しい女が来たと思われないかしら?」
イズミルは姿見の前で心配そうに鏡の中の自分を見つめている。
この日彼女が着ているのはここ数年流行中の少し長めのふくらはぎ丈のワンピースドレスだ。
昨今ではコルセットやパニエを身につける豪奢なドレスは夜会や式典など改まった席でしか着られなくなっている。
ひと昔前までは人目に晒すのはタブーとされていた足首を見せる服装が若い女性だけでなく、ある一定の年齢の淑女達にも支持されている。
爪先まで覆い隠された長いスカートに行動を制限されていた時代はもう終わりを告げようとしていた。
イズミルがこの日のために選んだ落ち着いた濃紺のワンピースドレスは彼女の艶やかなシルバーベージュの髪と淡いスミレ色の瞳をより一層際立たせていた。
ワンピースドレスの装飾は華美にならないよう小さなパールの飾りボタンのみである。
足元は歩きやすいようローヒールのパンプスだ。
もともと背の高いイズミルはヒールを必要としていない。
ごく控えめな装いだが、彼女の類稀なる美しさをより一層引き立てていた。
「大丈夫ですよ、大変お美しゅうございます」
幼い頃より仕えてくれている壮年の侍女のターナが宥めるように言った。
「美醜の問題ではないのよっ……陛下のお嫌いな派手すぎる装いにはなってないかしら……ちゃんと礼節を弁えた、仕事の出来る人間に見えるかしらっ……」
緊張からか、普段の彼女らしからぬ泣き言だ。
それでも朝から何度目かわからないやりとりに辟易したターナは言った。
「どこからどう見ても完璧な淑女にあらせられますよ……」
「だからっ……淑女らしさが全面に出過ぎていてもダメ……
コンコンッ
「あ、ホラ姫さま!太王太后様のお迎えがいらっしゃいましたよ!」
丁度イズミルの声に被せるように叩かれたノックにターナは救いを求めたようだ。
イズミルは目を閉じ、深呼吸をした。
「……行ってくるわ。ここまで来たら女は度胸よ。門前払いや執務室から追い出されない事を祈っていて……!」
「太王太后様のご推薦という形なのです。門前払いなどあり得ません」
ターナが目を眇めて言う。
「そうね、それよりも十数年ぶりに#公__・__#に城の中を歩くのだもの。迷子にならないようにしなくては」
気を引き締めるようにつぶやくイズミルを見ながら、ターナは揶揄う様に言った。
「後宮から張り巡らされた隠し通路なら、姫さまは目隠しをされてても迷いませんのにね」
「ふふ、ほんとね」
イズミルは悪戯っぽい表情を浮かべながら微笑んだ。
ターナがドアを開けると、そこには太王太后宮から遣わされた侍女が立っていた。
「お迎えに上がりましてございます」
侍女は礼を取った。
ターナに導かれ室内に入ると、侍女は再びイズミルに恭しくお辞儀をする。
「イズミル妃殿下におかれましてはご機嫌麗しく…執務室の傍のお部屋にて既に太王太后様がお待ちでございます」
その声にイズミルは背筋を伸ばした。
「わかりました、これより参ります。ではターナ、行ってくるわね」
先程まで泣き言を言っていた気配など微塵も見せず、凛とした姿でイズミルは部屋を出て行った。
ターナはその後ろ姿に深々と御辞儀をし、見送る。
「行ってらっしゃいませ。どうか姫さまの努力が実を結びますように……」
後宮を出るどころか部屋を出ただけ…。




