3)ジェームズの思い出
庭師の朝は早い。
「なぁ、やっぱりあの二人」
「黙っとけ」
庭師の親方ジェームズは、見習いを無理やり引っ張り、その場を後にした。
「いいか、あと五年は黙っとけ」
「なんだ、その五年って」
首を傾げる見習いの勘の鈍さにジェームズはため息をついた。
「あのなぁ、あのおチビちゃん相手じゃ、一年二年じゃどうにもならんだろうが」
「えー、あの二人ってそういう関係」
やはりこいつは目が悪いのかもしれない。ジェームズはため息をついた。
「でもそれなら親方、おチビちゃんはともかく、あの鉄仮面だよ。五年で足りる?」
意外とこの見習いは、人をみているのかもしれないと少し見直してみた。
「さすがに十年はかからんと思いたい」
ジェームズとしては後押しのつもりで、ロバートに礼拝堂のマグノリアの小道を教えてやった。開花を告げたら、ロバートは、翌朝にローズを連れてきた。ロバートがローズを憎からず思っている証拠だ。マシューの墓に報告にいかないといけない。マシューもきっと喜ぶだろう。
王太子様とあの鉄仮面と呼ばれる近習ロバートのことは、この王太子宮に来たころから知っている。ジェームズの今があるのは、ロバートの祖父と大叔父のおかげだ。
今の王太子様が王太子宮にお住まいを移してこられたころ、次々と襲ってくる刺客の血で、庭は何度も赤く染められた。
あの日は、丹精込めた花壇を踏み荒らされ、さすがにやる気が失せた。あと数日で、球根から育てた花がようやく咲く頃だったのだ。何から片付けようかと、ぼんやりしていた時だった。
「せっかく手入れしてくださっているのに、すみませんでした」
声の主が誰かはすぐわかった。アリアによく似た少年がいた。アリアの息子のロバートだ。包帯を巻かれた痛々しい姿に、文句を言う気も失せた。
「いや、まぁ、お前さんが無事で良かった」
「ありがとうございます。どんな花が咲くか、見てみたかったのですが」
ロバート自身、残念そうにしていた。母親であるアリアの小さい頃を思い出した。王子たち、兄達と一緒に庭を駆けまわる元気な少女も、花が好きだった。
「まぁ、どれかは無事だろう。球根は無事だ。今年駄目なら、来年咲かせたらいい。お前さんはせいぜい養生することだ。けしからん奴らをお前さんたちが片付けてくれたら、庭を踏み荒らす奴らも、いなくなるだろうさ」
この国のたった一人の王子、王太子様のお命を狙って、王太子宮に忍び込んでくる刺客が悪いのだ。
「確かに、おっしゃる通りです。お邪魔しました」
一礼するとロバートは去っていった。怪我をしているのに、腰に長剣を佩いていた。また、何かあればあの少年は剣をふるうのだろう。怪我が治る暇などあるのだろうか。
「因果なことだ」
可愛かったアリアの息子が、返り血を浴びるようなことになるとは思っていなかった。もっとも、自らの血に染まり命を落としたと聞く、彼の伯父達よりは、はるかにましだ。
そのうちに、刺客達の雇い主の身元が割れ、大きな貴族が取り潰され、王太子宮の庭が血に染まることは、ほぼなくなった。
貴族が刺客を雇った理由など、一介の庭師となってからのほうが長いジェームズには関係ない。だが、王太子様に刺客を差し向けていた連中が、すべてを失ったと思うと、痛快だった。
今、王太子宮にある温室は、その貴族の庭にあったものを移築したものだ。
「庭を荒らしたお詫びの品です。壊してしまうのはもったいないですし、あなた方なら有効に使っていただけると思いました」
他にも沢山の球根や種を、ロバートは、せしめてきていた。
「何が咲くかはわかりません。自身の財力もわきまえず見栄を張る方でいらっしゃったので、珍しいものもあると思います。お考えがいささか浅い方でしたから、薬草などは期待できません。万が一あれば、教えていただけますか」
丁寧だが棘のある言葉に、腕白だったロバートの伯父達を思い出し、懐かしくなった。
変わっているが良い少年だった。多感な時期に、返り血を浴びながらも生き残ったことにほっとした。
かつて三人の王子たちと三人の乳兄弟達の六人が仲良く駆けまわっていた庭も、血に染まることはなくなった。その庭で、アリアの息子が、少女の手を引いて歩く姿を見たとき、ジェームズの胸の内に熱いものがこみあげてきた。
あの可愛らしかったアリアの息子が、成長したと思うと、感慨深いものがあった。