”何か"の出現
"まつだや"は一階が店舗で、二階に広々とした宴会場になっている。俺は龍吾と一番奥の席に座った。
松田は着物を着替えていて、店の手伝いをしている。成人式なのにかわいそうだ、と俺は思った。
「みんな着替えねぇのな」
パーカーになった龍吾がひもを触りながら言った。
「なんか恥ずいね」
「ごめん」
「いいよ別に」
言われるがまま着替えた俺も、革靴からスニーカーに履き替えていた。
「では、第74期の成人を祝して」
カンパーイ、と実行委員の女が言った。俺は名前を覚えていなかった。
すぐに酔いが回らないように俺は食べた。
つやつやの唐揚げ。醤油のかかった豆腐。
むしゃむしゃと食べる。居酒屋で食べると味が二割増しになる気がする。
黄色いポテトフライ。きゅうりの漬物。
飲めないぶん、食べなきゃ損だと思う。
軟骨の唐揚げ。ドレッシングがかかり過ぎているサラダ。
野菜ってこんな美味しかったっけ?
そして人間の生肉。
ボリボリして、新鮮な血が滴っている。
え?
人間の生肉?
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
音響弾を打ったような悲鳴が俺の耳をつく。耳の奥が揺れて、脳みそまでえぐられそうだ。
「見て、龍吾、やばい、やばい」
龍吾は撮影をしている。最新式のスマホは、手ブレを制御し、人間の悲鳴を高音質で収める。
「撮ってんなよ! 早く逃げるぞ」
「うん」
やはり龍吾は顔を上げない。こっち、と俺は腕をつかもうとする。ほら―
「痛い痛い痛い痛い!!!!!」
噛んでいる。振り袖を着た女子。だった何かが龍吾の腕を噛む。
俺は声を出すこともなく、後ろに下がった。清潔な畳に、赤黒い血液がポタポタと落ちる。黒っぽい色に、畳が変色する。
「ミヤジマダイスケ!」
トントンと肩を叩かれた。振り返る。
「松田」
「早く、出ないと!」
"まつだや"の二階は、出入り口が一つしかない。ガコン、と仕切のふすまが倒された音がする。
「ああ」
「ねぇ! 早く!」
まるで両脚への回路が遮断されてしまったようだ。俺の脚なのに、俺じゃない。机を隔てて、女だった何か、がこちらを見る。
ガシャン! 何か、が机につまずいた。
同時に大きな音が俺の脚を突き刺した。遮断されていた回路が直り、ようやく自由になる。俺は落ちているスマホを掴んだ。
「先、降りて、早く!」
「さっきまでビビってたくせに」
松田に続いて階段を降りる。"まつだや"の階段は狭くて急だ。手すりがないので、壁に手を伝う。ぬちゃり、という感覚が血だとわかっても、俺は驚かなかった。