お前らの小説つまらなすぎ。どうすれば面白い小説になるか教えてやるから、ちょっと見ていけ。
異論反論は受け付ける。
なろうにはつまらない作品が多すぎる。
それはまあ、プロでもないし、お金がもらえる訳でもないから、全体的に質が低いのはある意味当たり前なのだが、ランキングにのるような作品どころか、書籍化している作品の一部でも、私的には低品質と思える作品が多いので、そこら辺はもう少し改善して欲しいと思う。
なので、私が考えた小説が面白くなる要素をいくつか挙げていく。このエッセイを見た人が、自分の小説を執筆する時は、これらの点を吟味して小説を書いてくれると嬉しい。これにより、私が楽しめる作品が増えると期待して、このエッセイを投稿する。
割と重要なのは、私が面白いと思う作品が増えることを期待することだ。つまり、これから挙げる要素は、なろう読者全般、もしくは一般的に受けるものであるかはよく分からないということである。それなりに説得力があるように説明はするつもりだが、特に熱心に研究をしているというわけではないので、確度に保証があるものではないということを頭に入れておいて欲しい。
さて、このエッセイでこれから挙げる要素以外にも、小説を面白くする要素は色々とあるのだが、これから挙げるものは、最近のなろう小説に特に欠けている要素をピックアップしていくことにする。
まず始めに、簡単に私が考える小説を面白くするために盛り込んで欲しい要素を紹介しよう。それは以下のようなものである。
1.登場人物を魅力的な人物にしよう。
2.熱い展開を作ろう。
3.できるだけ違和感のない世界を作ろう。
である。概要は伝わったと思うので、これから詳しく解説していこう。
1.登場人物を魅力的にしよう。
これは言われるまでもなく、だいたいの作者が心掛けていることであると思う。だがしかし、実際のなろう小説の中にはそこまで魅力的な人物はいない(私がそう感じないだけかもしれないが)。
つまるところ、作者の頭の中にある人物像を、上手く小説の中に表現できていないとか、そもそも魅力的な人物を思い描けていないなどの問題なのだ。よってそれらの対処法を二つに分けて紹介していこう。
①魅力的な人物を描写する。
どんなに魅力的な人物を頭の中に思い浮かべても、作者の表現力や展開作りが拙いとそれは十分には伝わない。よってこれから話すのは、小説を書く時の方法論になるが、まあ聞いて欲しい。
表現・・・というのも、すごく単純に言ってしまえば、登場人物の描写をしっかりしていれば、魅力はわりと伝わってくる(魅力的な人物ならの話だが)。
注意したいのは、私の言う描写は、登場した時に描かれる人物の容姿などの情報ではない。心情や行動、ちょっとした仕草など、そういった細かい描写をしっかりやれ、という話であることだ。少し長くなるが、具体的な例を挙げよう。これから適当に会話文を作るが、内容はともかく、描写というものに関して気をつけて会話を見ていって欲しい。
○例示その1:一人称適当会話シーン《変態な幼女先輩と俺》
描写不足バージョン
放課後。部室での、ある日の出来事。
「おっぱいを飲みたい」
「は?」
急に何を言っているんだこの先輩。
「最近の社会は私に対して当たりが強すぎるんだよ。冷たい・・・冷たいよなぁ、社会は」
「は、はぁ」
「ちょっと授業中に本を読んだくらいで、どうしてあの馬鹿どもは私の本を取り上げるんだ。そもそも、もとを正せば生徒に聞く価値もないと思われるような授業をしていた方が悪いんじゃないか。自分の能力不足を生徒の怠慢のせいにしようなんて、責任転嫁が酷すぎるね!」
相変わらずこの先輩は馬鹿だなぁ・・・。しかしまあ、ちっちゃい容姿でぷりぷりしている様は、小型動物のようなアホ可愛さを感じる。
「まあ、そうですね」
「ちょっと返事が雑すぎるんじゃないかキミ!?私は先輩だぞ!!」
「そうですね。――で、どうして先輩は、…えー、おっぱいを飲みたいんですか?普通に女性同士でもセクハラですよ。容姿と同じように、心と頭脳まで幼児になってしまったんですか。通報します?病院と警察、どっちがいいですか?」
「弾劾されるべきは国、だね。これは私個人の問題よりも、社会全体の問題だ。何もかも政治が悪い」
「おっとやべぇやつかな。やべぇやつだった・・・」
携帯を取り出す。
「通報は待ちたまえ。とりあえずおっぱいだね。そう、私は社会の歪みにひどく傷つけられた。だから、おっぱいを飲んで癒やされたいのだ。この前友人にお世話になったことがあるのだが、あれは良いものだった。あの時の安らぎは天にも昇るようだった」
既に前科持ちだった。やべぇよやべぇよ。
「抱きしめられるだけであれほどだったのだ。口に含んでばぶばぶしたら、きっともっと心地よいに違いない。待て。そんな目を向けるのは止めたまえ。これは変態的な性衝動ではなく、傷ついた精神が母性を求める非常に自然的な欲求であると同時に、どうして母性に包まれることがここまで安心感をもたらすのかという学術的な探究心も含めた非常に健全かつ合理的な・・・・・・」
今日も先輩は頭がおかしいのでした。まる
○例示その2:一人称適当会話シーン《変態な幼女先輩と俺》
描写しっかりバージョン
放課後。部室での、ある日の出来事。
「おっぱいを飲みたい」
自分よりも一個上の先輩のくせに、小学生のように小さな体躯の先輩は、いつもの眠たげな瞳のまま、急に血迷ったことを言い出した。
「は?」
急に何を言っているんだこの先輩。
平坦かつ唐突に告げられた変態的な欲望に、俺の口からは呆気にとられたような声が漏れ出た。
「最近の社会は私に対して当たりが強すぎるんだよ。冷たい・・・冷たいよなぁ、社会は」
「は、はぁ」
ふてくされたような声を出しながら、頬杖をついて愚痴を語り出した先輩。ふむ。これはまあ、いつもの妄言か。
「ちょっと授業中に本を読んだくらいで、どうしてあの馬鹿どもは私の本を取り上げるんだ!」
握り拳を作って、ぷんすこといった擬音が聞こえそうな様子で、先輩は文句をいっている。うわぁ・・・この人、また授業中に本を読んでいたのか・・・。
「そもそも、もとを正せば生徒に聞く価値もないと思われるような授業をしていたやつが悪いんじゃないか。自分の能力不足を生徒の怠慢のせいにしようなんて、責任転嫁が酷すぎるね!」
キミもそう思わんかね!?ズビシッと人差し指を突きつけてくる先輩。相変わらずこの先輩は馬鹿だなぁ・・・。しかしまあ、ちっちゃい容姿でぷりぷりしている様は、小型動物のようなアホ可愛さを感じる。
「そうですね」
いつもの先輩の錯乱なので、ぽけーっと窓の外を見ながら出した相づちは、どうにもやる気がなかった。案の定、先輩もその適当さに気づいたのか、ぷりぷりと怒り出す。
「ちょっと返事が雑すぎるんじゃないかキミ!?私は先輩だぞ!!」
先輩。先輩・・・?これが?
・・・・・・。
ふむり。いやまあ、年齢的な意味では確かに、先輩ではあるな。
「そうですね」
むむむむ・・・!二度目の適当な相づちに、先輩の怒りのボルテージが上がるのを感じる。何というか、相変わらずのかまってちゃん。先輩は適当なことをよくいうくせに、適当な対応をするとすぐに怒り出す。それはまるで、小学校に通っていない、幼児ごろの子どものような・・・。いやこれ以上は止めておこう。先輩の名誉に関わる。俺はひとまず疑問に思ったことを口にした。
「――で、どうして先輩は…えー、おっぱいを飲みたいんですか?」
おっぱい。ついポヤッと言ってしまったが、それを口に出した瞬間、羞恥に包まれた。…うん、まあ、こんな先輩でも一応は女性なので、女性の前でそういった性的なことを口にするのはどうにも…恥ずかしいのだ。良かった。これが普通の女性相手に発した言葉だったら、即死だった。
ひとまず、恥ずかしさを振り払うように咳払いをする。
「それ、普通に女性同士でもセクハラですよ」
・・・・・・。あれ?おっぱいって女性の前で言うのも実はセクハラなのでは?言ってから、自分にブーメランが突き刺さる光景を幻視した。いや、でも先輩から言い出したことだし…。
まあ、それはともかくとして、ふと別のことを考えたのだが、変人で名高いこの先輩でも、一応容姿はとても可愛らしい小学校中学年くらい…といった感じのものなので、子どもの我が儘的な捉え方をするならば、母乳をねだる行為でも案外許してくれる人がいるのではないだろうか。それならセクハラではない・・・?
いや、それはそれとして問題があるか。この人高校生だし。
「……もしかして、容姿と同じように、心と頭脳までロリになってしまったんですか?通報します?病院と警察、どっちがいいですか?」
おっと待ちたまえ、キミは誤解をしている。妙にクールを気取った先輩は、片手で俺を静止するような仕草をして、謎のどや顔をする。
「弾劾されるべきは国、だね。これは私個人の問題よりも、社会全体の問題だ。何もかも政治が悪い」
意識高い系?いや、この先輩のことだからなんか賢そうなことが言えて満足!といった感じなのだろうか。言ってやったぜ。そんな満足感を先輩から感じる。中二病、もしくは高二病。この症例は少し線引きが難しい。
やべぇやつかな。いや、言うまでもなくやべぇやつだろう。
先輩、おいたわしや。彼女にはもっと相応しい居場所があるのだと感じ、俺は携帯を取り出す。
「おっと、通報は待ちたまえ。とりあえずおっぱいの件についてだね」
ペチッと、先輩は携帯を握る俺の手を叩く。はー・・・柔らかい。なんとなく癒やされた。女の子的、というより幼児的柔らかさ。本当にロリだなこの先輩。
「そう、私は社会の歪みにひどく傷つけられた。だから、おっぱいを飲んで癒やされたいのだ。この前友人にお世話になったことがあるのだが、あれは良いものだった。あの時の安らぎは天にも昇るようだった」
思い出すように、上を見上げて眠そうな瞳をキラキラさせる先輩。
それはともかく、教師の真摯な注意がどうして社会の歪みに繋がるのだろうか。どっちかというと理系の俺には分からない。多分文系のやつでも分からない気がするが。・・・体育会系なら分かるのだろうか?いやそれも無理か。
ってちょっと待って先輩。友人に、お世話・・・?既に前科持ちだったのか。やべぇよやべぇよ。
「抱きしめられてあれほどだったのだ。口に含んでばぶばぶしたら、きっともっと心地よいに違いない」
ああ、抱きしめられる、ね。未遂だった。完全にアウトなラインまでは堕ちていなかったようだ。
でもばぶばぶしたいのか・・・ヤバイ人だと知ってはいたが、ここまでやばい人だったとは・・・。
「待て。そんな目を向けるのは止めたまえ。これは変態的な性衝動ではなく、傷ついた精神が母性を求める非常に自然的な欲求であると同時に、どうして母性に包まれることがここまで安心感をもたらすのかという学術的な探究心も含めた非常に健全かつ合理的な・・・・・・」
うん、はいはい。そうですね。
先輩の戯れ言を聞き流しながら、思う。
今日も先輩は頭がおかしいのでした。まる
というのが例示である。なんとなく雰囲気は掴めただろうか。内容は即興で作り上げた適当なうんこなので、あまり気にしないで欲しい。内容よりも、注目していただきたいのは二つの差異だ。
例示1が、全体的に描写が足りていないのに対し、例示2は、会話の狭間に区切りを入れ、どのような表情をしながら話しているのか、どのような仕草をしながらその言葉を言ったのか。そしてそれらに対して主人公がどのようなことを考えているのか。そういったものを台詞の前後で補完するようにしている。
これは文字数が増え、手間が増える・・・という面倒な点はあれど、私は後者の方が圧倒的に登場人物に血が通っているように感じる。言い換えると、登場人物がどのような人物なのか、はっきりと伝わるようになるということだ。
前者の時はよく分からない変態な先輩と主人公のなんか変な会話・・・といった感じだったが、後者の場合は、変人かつロリっこの先輩とダウナー系の俺といった、とりあえず彼らの個性がきちんと伝わる会話だったと思う。たぶん。
つまり、こういった些細な描写を多くすることで、話している場面がより鮮明に想像できるようになり、その人物たちがテンプレ的な記号ヒロインやなろう主人公というよりも、より具体的で存在感のあるキャラクターとなることができ、結果良い感じの小説ができ上がるのではないだろうか。詳しくは知らんけど。
ただ一つ気を付けたいのは、会話のテンポを崩さないようにするのが少々難しいということだ。台詞の合間にいちいち語り部による補完を入れると、流れる会話における自然さ、まあ、会話のテンポが悪くなる。
実際、例1と例2で、付け足した描写以外に少し文が変更してあるところがあるのだが、それは会話のテンポを上手く調整するために変更した箇所であったりする。細かい所は、実際自分で書いて、場面を描写しようとすると分かると思うが、この問題に上手く対処するコツは、正直私は持ち合わせていないので、各自よりよい形を探って欲しいと思う。自分の好きな小説などを読んで、それを参考にするのがいいのではないか?(投げやり)
真面目にポイントを話すなら、やはりペース配分の問題である。どうでもいい描写は極力省きつつ、主人公やヒロインなどの、魅力を伝えたい人物の会話の描写はしっかりやる。ある程度彼らの個性が伝わったら、少し描写を省いていくなど。
ここらは純粋な技量の問題でもあるので、ここら辺をしっかり学びたい人は、プロのラノベ作家とかが作った小説の書き方講座的なやつで学べば良いのではないだろうか?そういうのがあるかは知らないが。
さて、魅力的な人物の表現の次は、それを引き立てる展開作りの問題だが、ここはぶっちゃけると熱い展開、エモい展開を作れってことになるので、そこら辺の話は、2.熱い展開を作ろうの解説をする時に一緒にするので、今は省略する。
では次のポイントとして、どのように魅力的な登場人物を作るかについて解説していこう。
②魅力的な登場人物を作る。
登場人物・・・はまず、主に主人公とヒロインに分けてその作り方を解説していこう。むしろここをやっておけばだいたいはオッケーだと思う。ということで解説だ。
初めは主人公についてだが、主人公はだいたい3タイプに分かれる。もっとあるかもしれないが、パッと思いつくのは3タイプだ。
一つ目。凡人系主人公。
二つ目。格好良い系主人公。
三つ目。面白い系主人公。
ではそれぞれの主人公のタイプでどのように魅力を引き出していくのかについて解説していこう。ますは凡人系主人公について。
始めに考えてもらいたいのは、魅力的かはおいておくとして、なろう主人公には割とこの形の主人公を目指した人物が多い。言ってしまえば、なろう主人公にもテンプレ的主人公というのが存在する。
平凡な感じで、黒髪の中肉中背で、目立ちたくなくて、でもチートをもらって、不思議とハーレムを築いてしまう。まあ、よくあるなろう主人公であるが、こいつらの大半はそんなに魅力的ではない。断言しよう。
は?こんな感じの主人公でも面白い作品は俺めっちゃ知っているから。と思う人もいるかもしれないが、そういう人には改めて問いたい。その作品が面白いかはともかくとして、主人公は魅力的か?と。まあ、大半はそんな魅力的ではないだろう。魅力的ならその小説はだいたい名作だ。参考にしよう。
ちょっと趣旨から外れるが、主人公が魅力的と思えなくても、面白いと感じる作品はある。だがしかし、それはあくまで慣れの問題であると言っておこう。例えば、初めて触れた主人公最強ものの作品は、あんまり主人公が魅力的でなくても、その展開を真新しく感じ、面白いと思えるのだと思う。
同じように、真新しい展開の作品は、読者がその展開に慣れを持っていない限り、多少色々な所が稚拙でも、面白いと思ってしまう。
まあ、だからこそ慣れてしまうと、慣れていない人に絶賛されているような、なろうテンプレ作品がクッソつまらないものに感じるのだが。これ、今の私である。そしてこのように展開に慣れてしまうと、展開以外の面白い要素が欲しくなるのだ。これがつまり、主人公の魅力である。
少々脱線したが、改めて、凡人系主人公が魅力的になる要素を紹介していこう。
ズバリ、それはリアリティーであり、喜怒哀楽であり、成長していく展開である。
ちょっと何言っているか分からないと思うが、割とガチでそんな感じだ。解説していこう。
まず端的に言うと、このタイプの主人公は基本的に俺らである。そう、画面の前にいる貴方たちだ。俺らのような感受性、価値感を持ち、そういった主人公に対する感情移入や同情、もしくは自己投影できるような人物として描かれたのが凡人系主人公だ。
では、ここで一つ質問をするが、お前らが魅力的な人物であるだろうか?うん。まずNOだろう。つまりそういうことだ。俺らのようで、共感できるような価値感をもった主人公だからこそ、魅力的な人物にするにはどうするか。それすなわち成長であり、それを促すのが物語の展開である。
つまり、凡人である俺ら主人公は、作者の描くストーリーを通して、人間的に成長して、魅力的な人物に成長しなければいけないのである。ちょっとあれかもしれないが、考えてみれば当たり前である。自分にチート能力が備わったからといって、自分が魅力的な人物になれると思うだろうか?いや、なれないだろう。
だからまず悲しいことを言ってしまうが、このタイプの主人公で、魅力的な主人公を描こうとすると、ノンストレスな展開は致命的に相性が悪い。凡人タイプの主人公なら、チートをもらってもいいが、しっかり主人公を人間的に成長させろ。それが鉄則である。言い方を変えると、読者に、まるで成長していない・・・とか思われないような主人公にしようね、ということだ。
このタイプの主人公で、有名かつ特徴を解説しやすいのは、ダンまち・・・ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうかの主人公のベルだろうか。そして意外かもしれないが、ここにはソードアートオンラインの主人公のキリトも入ってくる。
このタイプの魅力的な主人公は、だいたいどこか共感できるところがあり、弱いところがあり、応援したくなるような魅力がある。
ではこういった主人公をどのように作り出していくかというと、重要なのは喜怒哀楽の表現であり、リアリティがある、人間味だ。
何を喜び、何を楽しみ、何に怒り、何に哀しむのか。それらをしっかりと思い描き、等身大の人間を作ろう。それが重要である。至極当たり前の普通のことを言っているが、これが意外と蔑ろにされているなろう作品が多い。
何に喜ぶのか。ハーレム展開や俺TUEEE展開を作りたいばかりに、主人公に様々な展開を押しつけ過ぎて、主人公がやれやれ…や、目立ちたくないのに…とかのたまってばかりで、何かに対して喜びを表わすにするシーンが少なくなっていないだろうか?まあ、若干偏見込みの指摘だが、割と思い当たるところは結構あるだろう。
何を楽しむのか。喜びとけっこう似ているが、こちらで重要なのは、楽しいと感じる主人公の内面をしっかり作ることだ。釣りを楽しむなら、釣りがどうして楽しいのか、それに対する理由付けをしっかりすることで、主人公の人間性がより深みを増すことになる。つまるところ、主人公の内面を掘り下げろということだ。
何に怒るのか。これは主人公の人間性の発露・・・というか、人間味に関することなのだが、主人公が怒る一幕をしっかり描写することで、より親近感が湧くというか、人物像をより多角的かつ深く知ることができるといった感じだろうか(意識高い系?)
簡単言うと、人間色々な一面がある。現実に置き換えて考えると分かりやすいだろう。友人と接する時の自分、家族と接する時の自分、先輩や上司と接するときの自分、一人の時の自分、悲しいときの自分、怒った時の自分。全ては同一でありながら、違う色を放つのだ。これらの厚みを増すことが、人としてよりリアルな人物を描くことができる。
怒った時の主人公の様子は、日常のそれとはひどくかけ離れたものだからこそ、新しい一面、普段見られない様子を見ることができ、より主人公を等身大の人間として感じることができるということだ。
と言いつつ、実は怒るので一番良い点は、読者と同調しやすい点にある。とんでもない腐れ外道キャラとかに対して読者がヘイトを抱くとしよう。その後にその外道キャラに対して主人公が激昂して、殴り倒したりすれば、いいぞ!もっとやれ!とか、そんなことを読者は思うはずだ。つまり、読者が抱く怒りと主人公の怒りを同調させることで、主人公に対して分かる・・・といった親近感、シンパシーなどが湧くのである。
分かりやすい単純な怒りの感情だからこそ、色々と複雑な性癖・性格が異なる人でも共通で共感しやすい。それをもって読者に主人公に対する親近感を湧かせることができるのだ。特にこの凡人タイプの主人公は共感できる、といった点が重要なので、怒りの感情はことさら大切にするべきだろう。
何に哀しむのか。これは何に哀しむというより、主人公が哀しむシーンを感動的に描写することで、読者の応援したい気持ちや、親近感がグッと上がるとてもとても重要な一幕だ。
例えばだが、ネットではイキリトと馬鹿にされることが多いSAO主人公のキリトくんだが、私が彼を魅力的な人物だと感じているのは、小説版を読んで、彼がサチの死後、彼女を蘇生させることができるアイテムのために必死に頑張り、取り乱し、聖夜の別れに机に蹲る彼の姿が鮮烈に残っているからであり、他にもゲームに閉じ込められた不安でホームシックを起こし、幼女NPCによしよしされるシーンなどがひどく心に残ったからだ。
つまり、彼が活躍するシーンだけでなく、情けないけど同情できるような一面も見てきていたから、彼には頑張って欲しいし、好きだと言えるような魅力を感じることができたのだと私は思う。
まあ、完全無欠で完璧な主人公をダメというわけではないが、そこは必要な演出が違うと言える。欠点がなく最強な主人公の面白い作品は・・・まあ、なくはないと思うが、少なくとも凡人系主人公でいくのなら、やはり欠点は必要なのだと思う。
そういった意味で、異世界転生・転移などでは割と損をしている一幕がある。それは何か。端的に述べるなら、ホームシックの有無だ。
なろう系主人公は、凡人凡人言うくせに割とリアリティーというか人間味のない奴らが多いが、大きくそれを損なっているのはホームシックにかからないことだ。
異世界きた。やったぜ!
は?
いや、割とガチでそんな感じだ。自分が異世界にきたら、どう思うか想像して欲しい。受験勉強とか就活とかしなくて済むし嬉しい?いや、想像力が足りなすぎる。第一にあるのは不安であるはずだ。
異世界転移なら、少なくとも勉強さえしていれば敷かれたレールに沿ってそこそこに生きていられる安全な日本社会から、社会福祉さえまともに機能しているか分からない中世ファンタジー風の謎の異世界に連れてこられたのだ。リアル風に置き換えるなら、寝て起きたらアフリカのどこかにいたレベルのとんでも事態である。
どのように生きていけばいいのか、そもそも常識は通じるのか、友達や家族と連絡は取れるのかなどなど、様々な不安が考えられるはずだ。普通の人なら。
特に、自分にチート能力や才能などがあると発覚するまで、主人公の内心に渦巻く不安は絶大であってしかるべきだ。異世界にきた・・・これは最近流行の異世界転移か?とか冷静に考えているやつは、平凡を自称する資格はないと思う。割とガチで(まあ、脳天気なアホならそれもありかもしれないが)。
異世界転生も同じである。死んだ衝撃や、戸惑い。初めて見る風景。ここら辺の導入は、速く主人公の俺TUEEEEやヒロインとのいちゃこらを書きたい作者方はおろそかにしがちだが、最初に戸惑い、冷静さを欠いている状態だからこそ、主人公の人間性、リアリティーや弱みを晒すことができる、凡人系主人公の絶好のアピールポイントである。ここで存分に主人公がどういう人物なのか、読者にしっかり伝えて差し上げろ。
とまあ、色々いったが、凡人系主人公を描くなら、転移転生直後は主人公がどんな人間なのかアピールする絶好の機会だから、できるだけ想像力豊かにして、リアリティーをもって描写した方が良いという話である。
そしてまあ、ホームシックという話だが、これは究極的には主人公の弱みの発露であり、簡単に主人公に同情を得られる素敵な素敵なポイントだ。
異世界にきたぜ!異世界最高!とか言っているふわふわした主人公よりも、時折故郷を思い出して愁いを見せる主人公の方がこう…格好良い気がする。しない?(個人の感想です)
最終的には主人公がどういった人間なのか、作者が描いた設定でホームシック関連の描写は上手くやればいいと思うが、覚えておきたいのは、前の世界に未練も何もないという設定よりも、前の世界で色々な絆や思い出があった方が、良い話を作りやすいということだ。
例えばである。可愛い女の子を頑張って助けた時に、その理由はまあ色々と考えられると思うが、前の世界の妹に似ていて、見捨てられなかったとかだったら、格好良い気がする。しない?
狼を仲間にする理由が、前の世界で飼っていた犬に似ていたからとかも良い気がする。龍の場合は飼っていたトカゲとか…それはないか。
使いすぎると設定が下手くそな作者だと思われるかもしれないが、やはりホームシックに関連した感動系の話は、入れておいた方が主人公の魅力を醸し出すと思うので、私的には安直に前の世界への未練を捨てないような主人公の設定が良いのではないかと、提案しておこう。
さて、そろそろ魅力的な凡人系主人公に関する解説をまとめよう。
魅力的な凡人系主人公に重要なところは、一つ、物語を通して人間的に成長させること。二つ、喜怒哀楽がしっかりと描写される、人間味や親近感を感じる主人公にしよう。だいたい以上の点が、凡人系主人公に必要な要素である。
では次に、格好良い系の主人公に関して解説しよう。
これは正直、ジャンプとか、色々な作品に触れてその主人公の格好良さを学べ…という話なのだが、そういった格好良さは説明するまでもなく諸君の心の中にあるだろう。なので少し話が変わるのだが、主人公最強ものに関するお話をするとしよう。格好良さと強さは似ているからね。ここで少し主人公最強ものについて解説しておきたい。
まあ、最終的に格好良さの演出と繋がるので、少し黙って聞いていてくれ。これは格好良い主人公の話ではなく、主人公を格好良く魅せるためにはどうするか…という話だ。
主人公最強はつまらない。これはまあ、なろう界隈というよりは、一般論的な話だ。そしてなろうの主人公最強は…まあ、質の良いものと悪いもの、非常に幅があるというか、書籍化作品でも主人公最強はたくさんあるわりに、クソみたいな作品が山ほどあるのが主人公最強ものだ。ぶっちゃけると地雷作品の温床である。
まあ、なろうの主人公最強もののつまらないものの多さといったら、かなりやばいレベルで、何がやばいのか語り尽くせないので、端的に主人公最強ものを面白くする手法を提示しよう。
それすなわち、主人公以外の人物、サブシナリオの充実であり、すぐに俺TUEEEEに走るな、ためて出せということだ。
どういうことか?説明するなら、ワンパンマンを見るのが非常に分かりやすい。
あの作品はこれでもかというくらい主人公最強要素を詰め込んだ作品なのだが、世間ではかなり良い評価を受けている作品だ。なぜ、あれほど人気なのか。色々と要素があると思うのだが、特筆すべきは主人公が敵をワンパンするまでの過程にある。
もし、なろう駄作風にワンパンマンを構成したら、滅茶苦茶強い怪人が出てきて、そしたらすぐに主人公が目立ちたくないとか言いながらワンパンし、ヒロインがさすがサイタマとアゲまくり、民衆はサイタマSUEEEEEEと熱狂する。そんな感じである。言いたいことが分かっただろうか?
ワンパンマンが面白いとされる由縁は、サイタマが怪人をワンパンするまでに、しっかりとしたストーリーがあるところにある。
いや実際はそれ以外にも色々とあるのだが、駄作なろう主人公最強ものとの一番の違いはそれだろう。
ワンパンマンにおいて、最終的に主人公サイタマが敵をワンパンするといっても、それまでにかなり多くの物語が積み重なっている。
強い怪人が出てくる、ちょっと強そうなヒーローが立ち向かう、怪人にぼこぼこにされる、とても強いヒーローが怪人に立ち向かう、かなり多くの戦闘描写の後にとても強いヒーローも敗れる、市民を守るために弱いヒーローが勇気を振り絞り、ぼこぼこにされながらも死力を尽くして怪人に立ち向かい…ようやくここで主人公が登場する。
サイタマがその弱いながらも漢を見せたヒーローに、よくやった、ナイスファイトと声をかけ、そして拳を一発――無事怪人はワンパンされ、ここにワンパンが成された…ということなのだが、分かるだろうか。この前振りの長さが。
長い…しかしながら、それまでに抑圧された溜めがあるからこそ、主人公が来て、ワンパンするシーンに解放感があり、そしてあんなにも強い敵を倒す主人公って格好良い…みたいな感じになるのである。詳しくは知らんけど。
これが主人公最強設定を活かした、魅力的な主人公の演出法その一である。まとめると、相手を倒すまでに、十分なシナリオを重ねるということだ。重ねるシナリオに関しては、それ次第で色々と好みの設定ができるので、作者個人の性癖に合わせて好きなものを積み重ねれば良いと思う。
例えば、巨悪が念入りに用意した壮大な計画、それにまつわる正義側の対策。そういった攻防を丁寧に描写していった上で、唐突に現われた主人公というジョーカーに、ピンチに陥った正義側が救われ、巨悪がぐぬぬぬ…となるみたいな。こういうの、スカッとする。…スカッとしない?まあ、そんな感じである。
あと、やはり意識したいのはワンピース方式である。参考になるのは…ナミ編とか、そんな感じだろうか?ヒロインなどの救われる者の苦境、過去。そういったものをしっかりと描写した上で、最強系主人公がその苦境を打ち砕いてくれたことが、どれだけ救いであったか…。そういった描写を丁寧にすることで、主人公以外の視点を通して、主人公を見たときの格好良さというものがしっかりと伝わってくるようになる…参考になるのは、そんな感じだろうか?私も「助けて・・・」と懇願するヒロインに対して、主人公に「当たり前だ!!!!」と言わせてみたいものである。
まあ、色々と付け足したが、改めて格好良い系主人公の魅力の描写法は、主人公が活躍するまでの積み重ねをしっかりと作り、解放感ある展開を意識する…といった感じだろうか。
次は面白い系主人公なのだが…これに関しては理論と言うより、作者のギャグセンスと…ギャップである。
ギャグセンスに関する説明は省略しよう。それに関しては、面白いものを見て、それがなぜ面白いのかを分析して、学んでいけというか…サクッと解説して伝わるものではないし、私自身もかなりフィーリングでやっている部分なので、言語化して教授するといった方式はできない。そもそも私自身そんなにギャグセンスがあるわけではないので、無理である。
では、ギャップについての解説なのだが…これは銀魂が一番分かりやすいと思う。
魅力的な面白い系主人公は、ギャグに走る場面は多々あれど、シリアスな場面ではしっかり漢を見せる。そしてそれこそが、普段とのギャップが、その主人公の魅力に転化するのである。
普段はギャグばかりでクズさが目立つテンパの主人公が、シリアスな回では血みどろになりながらも譲れないもののために命がけで戦う。実に格好良い。そういったギャップこそが、面白い系主人公の持つ強い魅力なのだと私は考える。
他にも、ギャップが印象的なのはクレヨンしんちゃんの映画版とかもだろうか。大人帝国のやつは凄かった。普段あれだけケツ出してぶりぶり言っているクソガキが、転んだりしてボロボロになりながらも東京タワーを駆け上がったシーン。あれは実に感動的であり、しんのすけを魅力的な人物に仕立てた一幕なのである。個人の感想だが。
というわけで、少々短い解説だったが、面白い系主人公の重要なところは、シリアスとギャグのギャップを意識する…といった感じだろうか。
ただし、ギャグ作品の中で流れの変わるシリアスを入れるのは、充分な構成の練りと、読者に対して納得感を与えられるようなものをしっかり準備してからにしよう。出ないと、甘いものを食べたくて訪れた客に、脂っこい豚骨ラーメンを出したようなミスマッチになる。そこら辺に対する具体的なアドバイスは私には難しいので、とりあえず名作に学べと言っておこう。銀魂はいいぞ。
さて、これでようやく魅力的な主人公作りに関する一幕が終わったのだが、これから魅力的なヒロイン作りに関して解説していこうと思う。
魅力的なヒロインとは何か?これは正直性癖次第……というのもあるが、これに関して、なろうにはひどく難しい問題が一つある。適当に言うなら、記号ヒロイン問題だ。
記号ヒロイン問題(私が今適当に名称した)とは、ヒロインが持つ属性ごとにヒロインがテンプレ化され、魅力的ではない存在になってしまう問題だ。実際、思い浮かべればかなり思い当たる節があるはずだ。ヒロインの個性が、ツンデレやクールデレといった一言に集約され、他には巨乳やロリといった、属性の複合で構成され、そのヒロインの人となりが属性を言えば完結してしまうような、厚みが欠けてしまう実にゆゆしき問題だ。
この問題は挿絵がない、声がないなど、ネット小説特有の環境故の問題でもあるのだが、実はこれに関してはひどく単純な解決法がある。
それを教授する前に…急に変な話をするが、ちょっと自分にとって一番魅力的なヒロインを思い浮かべて欲しい。
思い浮かべただろうか。では、問いかけたい。どうしてそのヒロインを選んだのか、と。
容姿?性癖的な問題があるだろう。しかしながら、似たような容姿のヒロインなら、膨大な創作が蔓延るこの現代社会において、そのヒロインが本当に完璧に性癖にマッチしたものなのだろうか?
声?性格?選べる要素は色々とあるだろう。だがしかし、やはり問いかけたいのは、その選んだ要素において、もっと上回るようなヒロインがいたのではないか。だからこそ改めて問いかけたい。なぜ、彼女を選んだのか?と。
問いかけておいてあれだが、私が諸君の答えを当ててみせよう。これが大概の人物の答えのはずだ。
すなわち、そのヒロインと育んだシナリオが、ストーリーが、イベントが、とても素敵なものだったから…だと。
少し、魅力的なヒロインの条件が見えてきたのではないだろうか。そしてこれが、記号的な二次元ヒロインに命を吹き込むそれであり、記号ヒロイン問題に対する簡単な解決法なのである。
つまり、ヒロインを魅力的なヒロインたらしめる条件とは、ヒロインに付随されたなんらかの属性などではなく、物語を通してヒロインと育むシナリオであり、ストーリーであり、イベントであり、総称すると、思い出なのである。
ヒロインとの思い出…?なんとなくピンと来るような来ないような。諸君はいまそんな感じだろうが、理論はともかく、やり方は非常に単純である。すなわち、ヒロインと主人公とのイベントをたくさんこなせ。ただそれだけである。
まあ、数だけじゃなく、質的にも充実を図った方がヒロインは魅力的になるし、一発の心に残るイベントが10のイベントにも勝る魅力を引き出すこともあるのだが・・・それはアドバイスでなんとかなる分野ではなく、作者のシナリオメイクの力量の問題なので、頑張れとしか言い様がない。解説は面倒臭いし、私自身もそんなに掴めていないので、指標となる簡単なアドバイスは、文字量を増やせ、ということである。
さて、非常に単純ながらも実践するのは割と難しいアドバイスをしてしまったが、実はもう一個魅力的なヒロインに関する要素がある。
それすなわち、主人公に恋愛的に惚れているのかよく分からない曖昧さ…である。
???? 首を傾げる諸君は多いだろうが、まあ、聞いていけ。
ちょっと話題は変わるが、諸君には好きな女の子はいるだろうか?もちろん、リアルでの話である。おっさんまでなってしまったり、お嫁さんがいる人は中々難しい話になったりするので、少年時代を思い出して欲しい。
諸君は好きな子の一挙一動にドキドキし、時にこいつ俺のこと好きなんじゃね?と勘違いしなかっただろうか?うん。重要なのはこの勘違いである。
いやまあ言い方が悪いが、勘違いが重要なのではない。言い換えるが、勘違いが発生するような、好きな子が自分を好きか好きじゃないのかという曖昧さ。それが何よりもヒロインの魅力となり得るのである。
すまない。何よりもは少し言い過ぎた気がする。まあいい、解説を続けよう。諸君は初めてラノベを読んだとき、どの女の子も魅力的に感じなかっただろうか。私はそうだった。なぜこんなにもヒロインが魅力的に感じたのか。私なりの分析では、ラノベヒロインはだいたい主人公に惚れるという法則を知らなかったからだ。
だからこそ、ヒロインが主人公に気があるような素振りを見せると、こいつ主人公のこと好きなんじゃね!?とドキドキし、それが明らかになったときには、おおおおおお!!と興奮した。だが今となっては、気がある素振りをヒロインが見せれば、あ(察し)となり、それが明らかになっても、知ってた(乾いた目)となるだけである。
つまり、ラノベ中級者にとって、ヒロインが堕ちるのは既定路線であるからこそ、そこに何の期待や興奮といった感慨が浮かばず、ヒロインの魅力を削いでしまうのである。だからこそ、ヒロインが堕ちるのか堕ちないのか不透明にすることで、現実の恋愛と同じように未知に対する期待やドキドキが発生するようになり、よりヒロインを魅力的に感じるようになるのである。
メインヒロインよりもサブヒロインが人気なことが多かったりするのは、実はこの法則が結構関係していると思う。メインヒロインはだいたい主人公への恋慕が透けているけど、サブヒロインとかは主人公に惚れているのかはよくわからないことが多かったりするからね。つまりそういうことであると思う。
曖昧さ。これについて解説すると、単純に主人公に惚れているような、そういうものを匂わせる言動、行動がない・・・というのもあるが、恋愛的な意味で好きなのか、単に人として好きなのか、もしくは家族として好きなのかなど、色々な誤魔化し方があることも押さえておきたい。
誰にでも気があるように振る舞っているような、ちょっと大人なお姉さんみたいなスタイル。主人公以外の別の人物のことが好きだと受け取れるような描写をしつつ、いつの間にか主人公に惚れているような、少女漫画スタイル。男キャラだと思っていたら実は女だった。もしくはTSさせるとか?まあ、思いつくのは色々とあるので、作者のグッとくる性癖を丁寧に描写すればよいだろう。
まとめると、ヒロインの魅力に関する私のアドバイスは二つ。一つはヒロインとのイベントを増やせ。二つ目は主人公に惚れているのかは曖昧にしろ…ということである。
あとはちょっと説教臭い話になるが、ハーレムはダメとは言わないが、ハーレム要員はゆっくり増やせ。と、いいたい。前述しているように、ヒロインの魅力は、ヒロインと積み重ねたエピソードが大きく関係する。だからこそ、あまり序盤からガンガンヒロインを増やしていると、魅力的なヒロインを作る前に記号ヒロインが量産されて、結果つまらない作品の烙印を押されやすい。
他にも、ヒロインのイベントを作るにしても、惚れていない状態と惚れている状態。その二つには大きな差異があるからこそ、多種多様なイベントが作れる。例えばだが、公園に行くにしろ、惚れている前と後では、イベントの内容が全く違う。つまり、蓄えられる思い出の量は、惚れる前の状態をしっかり描写することで、かなりたくさん増えるのだ。
ついでにギャップもある。惚れる前のヒロインをよく知っているからこそ、惚れた後のヒロインのギャップが可愛いとか…。まあ、解説できることは結構あるが、ざっくりまとめると、簡単にヒロインを主人公に惚れさせるな。もったいないぞ。ということである。
2.熱い展開を作ろう
くっそ長かった魅力的な登場人物を作ろうの項目だが、これ以降はかなりスムーズに進む予定なので、気を抜いてくれてもいい。ぶっちゃけ、私が言いたかったことは8割くらい言ったんじゃね?と思っているまででもある。
熱い展開がない、スローライフのような小説は…まあ、たまにある。そういうのは大抵、最初は面白くても読んでいると徐々に飽き始めて、気づいたら読むのを止めているのが大半だが。
そもそも熱い展開がなくても面白いと思う小説というのは、その大半が小説に付随された嗜好に支えられているものだ。例えばヤンデレのヒロインといちゃいちゃする日常だったり、TS娘がちやほやされたり、ダンジョンに潜ってチートで徐々に強くなっていったりなどなど。
これらは、例えばヤンデレやTSものが好きな人にとって面白い作品であったり、ゲームのように膨大なスキルやレベルが上がっていくシステムを好む人にとっての面白い作品であったり・・・と。言ってしまえば、特定の嗜好の人にしか面白いと思ってもらえない作品なのである。だからこそ、ある程度一般に一定の評価を受けるような小説を作るには、熱い展開という、嗜好関係なく一般的に面白いと思われるようなものが必要なのである。
さて、熱い展開の必要性については分かってもらったと思うが、この項目において私がくっそつまらない小説を書くなろう作家たちに言いたいことは、どんなチートで無双するかに思考を巡らせるより、どんな熱い展開にするかを考えたら?という話だ。
なろうのランキングを見ると、ガチで思う。あいつらは奇想天外な方法でチートをするかには結構な創意工夫があるが、それ以降はテンプレばっかで出オチ感半端ないゴミが多い。色々と拙いのだ。だからこそもう少し、展開を練れと言いたい。
そもそもである。熱い展開を作れというのは言うまでもなく、なろう小説というよりは物書きとしての最も基本的なものなのである。いわゆる、起承転結という基本的なテンプレを守って小説を作ったら?というものすごく普通なことを私は言っているのだ。
その上でやはり気を付けてもらいたいのは、強敵と戦うのと、熱い展開を少々履き違えていないか?ということである。
起承転結における転。それこそが熱い展開というものの極意であり、基本的に熱い展開というのは積み重なった結果に熱量を発揮するのであって、それ単体で成立しえるものではない。
例えば、ダンジョンの最下層に来ました、ダンジョンのボスが出てきました、チートの主人公でも少し苦戦します、今までのやり方では倒せませんでしたが、チートの使い方を少し変えたらボスを倒せました。これを自分の小説における熱い展開と位置づけるなら、それはやはり転という構造そのものを勘違いしているとしか言いようがない。
起承転結における転とは、ただ高い壁に挑んで乗り越えるだけのものでない。転とは物語が積み上げてきたものの総決算なのだ。どういうこと?単純に言ってしまえば、事前に伏線を張れ!ということである。
例えば、強敵を倒す必殺技のようなもののヒントや修行を事前に散らばらせておいたり、戦いの転機となるアイテムを入手する展開を事前に入れておいたり、仲間が新しい力を発揮するために、人間関係において問題を発生させておき、強敵との戦いの中でその人間関係の問題を解決させたり、主人公に悩みを抱えさせておき、強敵との戦いでその悩みに対する答えを見つけたり・・・など。
強敵との戦いにおいて、事前に仕込んでおいた伏線を回収しまくった結果、展開は色々と熱くなるのだ。単純に強い敵が出てきて、それをちょっと工夫して倒しました、といった程度を物語の転というのは、流石にお粗末にもほどがあるだろう。
さて、色々と言ってきたが、要は伏線を意識して、起承転結をしっかり守って小説を作ろう。ただそれだけの話である。熱い展開というのもパターンが色々あるが、内容の方に対する具体的なアドバイスは各々の好きな熱い展開を作れとしか言い様がない。ここは割とガチで好みがあるし、作者本人の書きたい展開が明確に存在すると思うからだ。
ついでに言うと私は覚醒が大好きなので、熱い展開を作るとするならラストバトルで主人公を一度追い詰め、覚醒させる展開になると思う。この場合、伏線としてバラ撒いておきたいのは覚醒する理由だろうか。負けられない理由であり、他のキャラクターと紡ぐストーリーだ。
具体的にどんな感じにするか・・・と言ったら、事前にヒロインの辛い境遇を主人公との絡みで伝えておいて、そこから救われることをヒロインに諦めさせる。主人公はそれを見て、ヒロインを無理矢理救う決意をして、ヒロインを苦しめる元凶に対峙する。しかしその敵はとても強く、主人公は負けそうになる。ヒロインは、ボロボロになるもそれでも諦めない主人公を見て、どうして主人公がそこまで頑張るのか、もういい、止めて欲しいと願う。もういいから、私のことなんて放っておいて。そんな懇願をするヒロインに対して、主人公はうるせぇ!と一喝。そして、お前のためじゃない、俺が俺であるために、負けるわけにはいかないのだと吼える。
なおこの主人公の性格にしっかりとした整合性を持たせるために、主人公は英雄のような格好良い男に憧れている。ジャンプ主人公のように格好良い自分になりたいという描写をしっかり挟んでおくことにする。などを伏線としつつ、主人公は再び敵に挑む。ぼこぼこにされながら、それでも立ち向かっていく主人公の熱い姿をヒロインは見つつ、様々なことを考える。主人公の信念。自分の苦境。どうして、どうして。彼のために、自分が今何をできるのか・・・など。
そしてその末に、止まることを願っても決して止まってはくれない主人公の意地を受け止めたヒロインは、葛藤の末に、自身の願いや主人公への思いが溢れ、身勝手で我が儘なものだと知りつつも、長い間言えることができなかった我が儘を口する。主人公に対して、頑張れ・・・ッ!と。なお伏線としては、ヒロインがその苦境から救われたら、どれほど素敵な生活が待っているのか、そういったことを夢想する描写を入れておくことにする。そしてヒロイン自身も、主人公との関わりの中でひどく抑圧的で、我が儘を言わない性格だということをしっかり描写しておく。そうすることで、ボロボロの主人公に対して、もっと頑張れという、ものすごく身勝手ながらも、初めて言えた助けて欲しいという願望の尊さがアゲアゲになる。
そして、頑張れという声援を受けた主人公は、ボロボロで、流れる血で満足に表情を浮かべることができない状況でもなお、その声に対して不細工ながらも、大きな笑みを浮かべる。そして叫ぶ。応ッ!まかせろっ!と。背負ったものの重みを改めて再認識し、ヒロインのその叫びがどれだけ主人公が望んでいたものなのか。様々な思いが主人公の内を駆け巡り、それはついに主人公を新たな階位へ押し上げる。固有能力の、英雄としての力。背負った思いに応える力。圧倒的なチート能力を開花させた主人公は、その力をもって苦戦していた敵を打ち破る・・・。
とまあ、かなり長くなったが、このように熱い展開は作者の嗜好が大きく出る所なので、しっかり起承転結を意識しろ以外のアドバイスは特にない。頑張れ、という話である。
3.できるだけ違和感のない世界を作ろう。
この要素は・・・まあ、作者本人が客観的及び主観的な視点で、筋道立った論理的な思考ができるならあまり問題ない要素であるが・・・できていない作品を時々見かける。
これがなぜ問題になるかというと、単純に言えばやりたい展開をやろうとした結果、もともとの設定から逸脱してしまったり、主人公などの人物がただの馬鹿になってしまったりする・・・みたいなやつだ。目立ちたくないと言っているくせに、やらかして目立ってしまった主人公や、周りと自分の比較ができずに、また俺何かやっちゃいましたか・・・?とかのたまっている主人公とか。
作者がやりたい展開、主人公に与えたい評価をきちんとした整合性なく押しつけた結果、何か変な感じになるといったことがなろう小説にはよくある。イキリ主人公、展開のために鈍感にされる主人公、単純に馬鹿な主人公。
当然、作者は意図的に主人公を変な人物にしたくて書いていることはないと思うので、こういった評価は不本意なはずだ。しかし、なぜこういった差異が生まれるのか。そこはまあ、単純に言えば作者の能力・人格の問題なので、根本的な対処法はリアルでの自己の成長だ。色々と難しい問題でもある。
だからこそ大切にして欲しいのは、こういった作者と読者との評価の差は、基本的に外部の人から批判されて初めて気づくことが多いので、そういった意見をしっかりと受容して、改めて自分の作品を見返すことだ。
私の場合は、初めてノートに書いた小説を母親が見て、お前の主人公なんでそんなに偉そうなの?と言われた衝撃が未だに思い出深いものなので、まあ、そんな感じだ。
批判的な感想をアンチとして受け取るか、真剣に受け取って改善を図るかの違いだろう。どうしようもないアンチもたまにはいるだろうが、基本的につまらないなどの指摘は割とありがたいものなのではないかと私は思う(作者として成長したいならの話だが)
基本的に私はつまらないと思った作品は、何がダメだったかと感想で指摘することはあまりない。というかない。精々一部面白いけど、一部惜しい点があるという作品に、やる気があるときに、もっと面白くなって欲しいという願いを込めて、ガチ感想を送るくらいだろうか。つまらない作品は速攻で切って、その作品が面白く改善されることに期待をしない。
だからこそ、ガチでどういったところがダメなのかと指摘する感想はものすごく貴重で有り難いものだが、つまらないという単純な指摘でも、結構有り難いものだと私は思う。
さて、まとめると、違和感のない作品を作るには、批判をしっかり受け止めるということと、自分の作品を作者という最大の色眼鏡を抜いて、客観的に自己の作品を見返すということを大切にして欲しい。
そういえば違和感のない作品にすると、どうして面白くなるかをあまり語っていなかったので、簡単に補足する。
違和感がない作品をどうして作ろうとするのかというと、違和感があると作品が面白くなくなるからである。
まあ、加点を増やすというよりは、減点を減らそうという発想だ。どうして違和感があると面白くないかについては、特に細かい理論を語らなくてもなんとなく伝わってくれるだろう。たぶん。
さて、ようやく面白いなろう小説を作るためのポイントを解説し終えたので、最後に後書き的なことを言って終わりにしよう。
なろう作家は、基本的に欲望に基づいてお話を書く。面白い作品を作ろうとするのではなく、チート主人公が爽快に無双するのだったり、モテモテな主人公を書きたかったりするのだ。その本質にあるのは、やはり読者にとって面白い展開を作ろうというものではなく、自分が面白い展開を、望ましい主人公の在り方を文章化することにあるのだと思う。たぶんだが。
私が散々つまらないと罵る駄作なろう小説でも、おそらく作者は面白いと思ってその小説を執筆しているのだろう。だからこそ、なろう小説で最も大切なことは、自分の面白いを他人にも面白いと思ってもらえるように、いかに分かりやすく丁寧に表現するかだ。
なろうに溢れるつまらない作品であろうと、しっかりとした技量をもって適切な表現をすれば、面白くなる作品はもっとたくさんあるはずなのだ。諸君の内面にある面白いがしっかりと伝わないことが、私は残念でならない。
だからこそ、なろうで小説を執筆する諸君には、自分の面白いを他人にしっかりと伝える努力をして欲しい。このエッセイでは面白いそのものの質を上げることと、面白いを伝える手段、だいたい二つの手法を解説してきたが、より重視して欲しいのは、自分の中にある面白いをちゃんとこちらに伝わるようにすることだ。
自分の欲望を我武者羅に叫んだって、こちらには上手く伝わってはくれないのだ。そういったことを踏まえた上で、自分の小説と向き合っていって欲しい。
Q.「色々偉そうなことを言っているけど、お前の小説は上記のことを守って書いているのか?」
A.「今日は良い天気ですね(震え声)」