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悪役令嬢になりそこねた少女たちの話

怠惰なネイビー

作者: 水瀬







 貧乏侯爵令嬢のネイビーは死ぬほどの面倒くさがり屋だった。


 どのくらい面倒くさがり屋かというと、


 ベッドから出ると着替えをしなければならないから、

 着替えをするとお腹がすくから、

 お腹がすくとご飯を食べなくてはならないから、

 ご飯を食べるとトイレに行きたくなるから

 トイレに行くにはベッドからでなくてはいけないから、


 という意味不明な理由で、彼女はベッドから出ることをいやがるくらいの面倒くさがり屋だった。


 だから、ベッドに一度入ってしまうと、彼女は身動き一つせず天井を見つめている。

 面倒くさがりだが、ベッドから出ないという目標のために、指一本、瞬き一つ、呼吸数さえも強い意志で制御するという努力をする女なのだ。








 ネイビーの家族は、父と義母、そしてネイビーと同い年の義妹の計四人だ。

 ネイビーの母はネイビーが5歳の時に亡くなり、それと同時に父が愛人だった義母と義妹を屋敷に連れて帰ってきた。

 当然父は義母と義妹を愛しており、挨拶にすら面倒くさがって出て行かなかったネイビーはすぐにいないものとして扱われた。そのおかげで、ネイビーは心行くまで自堕落な、もとい、面倒くさがりの境地生活を送ることができている。


 一応、母の時代からいたメイド頭のメリルが、毎日生存確認と食事の世話はするが、すでにまっとうな生活を送らせることは諦めており、ただ静かにネイビーの様子を見守るだけだった。


 そんなネイビーの生活を脅かす最悪の事態が起こったのは、ネイビーが15歳の誕生日を迎える寒い冬の日―――


「お嬢様、お嬢様、起きてください」

「……」

「旦那様がお呼びです。どうか、起きてください」

「……」


 メリルが、そう言ってネイビーの掛け布団をはぎ取った。

 直立不動の形で横たわっていたネイビーは、眼球だけを動かしてメリルを睨みつける。


「お嬢様、旦那様がお呼びです。起きて着替えをしてください」

「……」


 メリルはしばし無言でネイビーを見つめていたが、大きくため息をつくと、シーツに手をかけた。


「……分かったわよ。起きればいいんでしょ」


 ムッとしたまま、ネイビーはゆっくりと体を起こした。

 シーツごと床に転がされるという荒療治をメリルはためらいなく行うからだ。

 前回その強硬手段をやられた時は、食事も少なくほとんど動かないネイビーの体は対応できず、その後一ヶ月ほど本当に動けなかった。そんなことは一度で充分だ。


「ドレスは……」

「ワンピースでいいでしょう」


 ネイビーは言って、ベッドを下りた。

 ふらふらしながら、開いたままのクローゼットに近付く。

 そこにはドレスなどなく、一枚だけグレーのワンピースがかかっている。ネイビーはそのワンピースをためらいなく手に取り、部屋着を脱ぎ棄て、ワンピースを頭からかぶると、ぼさぼさの髪を適当に手ぐしでまとめ紐で縛り上げた。

 メリルはその間、黙ってネイビーを見つめている。


「お嬢様」

「私に近付かないで、メリル。結構臭いわ」

「……お部屋の掃除をしておきます」


 ネイビーは部屋を出た。








「お呼びと聞いてまいりました」


 父親の執務室のドアを叩いて、ネイビーはそう声をかけた。

 中から入るように言われて、重い扉を押し少ない隙間から、体を滑り込ませる。

 部屋には父と古参の執事がいて、令嬢らしくないネイビーの入室をひどい表情で見ていた。


「ネイビー、そこに座りなさい」


 気を取り直すように咳払いして、父が厳かな顔でソファーを指差した。

 ネイビーにしてみれば、その労力がもったいないのだが、とりあえず指示に従うことにした。


「ネイビー、お前の婚約が決まった」


 前置きも何もなく、父がそう言う。


「婚約ですか。分かりました」

「いやかも知れ……えっ?」

「話はそれだけですか? なら結婚式の日にまた呼んでください」


 ネイビーはそう言うと、立ち上がろうとする。

 父は慌ててそれを制止し、尋ねる。


「ネイビー、お前、相手が誰とか、気にならないのか?」

「……」


 立ち去ろうとすると、父がまた制止する。


「ネイビー、まだ話がある」

「……」

「お前ももう15歳だ。婚約もすることだし、そろそろちゃんとした生活をおくる必要がある。

それで、春から学園に通ってもらう」

「は?」


 流石にネイビーも声をあげた。








 ベッドから出ろという衝撃の言葉で父の話は半分も頭に届かなかった。

 ネイビーはふらふらと自室へ向かった。


 ネイビーの部屋は玄関に一番近い、本来なら客の荷物を入れておく小部屋を改装したものだ。

 階段を使わなくてもいい、あいていた部屋がそこしかなかったから、父親たちが来る前に勝手に住みはじめた。

 父親たちが帰ってきた時、出迎えはしなかったが彼らのはしゃぎぶりはちゃんと聞いていた。

 ネイビーをののしる父親の声と、それをたしなめる義母の声。その二人に甘える義妹の声を。

 いつもは鍵をかけないネイビーだが、その日から一週間はさすがに部屋に鍵をかけておいた。

 まあ、そんなことをしなくても、それから一週間誰もネイビーのところへはこなかったが。

 だが、さすがに一週間もたつと、忙しかったメリルもネイビーのことを思い出したらしく、慌てた様子で部屋へやってきた。

 ネイビーが前と変わりなく、ベッドで横になっているのを見て、安堵の表情と同時にえもいわれぬあきれ顔をした。


「お嬢様、お嬢様は……」


 後は声にならなった。

 ネイビーはメリルを見ることもせず、天井を見つめていた。











「お姉さま!」


 もう少しで部屋だと言うところで、義妹の声がした。

 明るいその甲高い声は、体力が限界のネイビーの耳に痛い。

 振り返ることもなく歩みを進めようとするが、義妹は素早い動きでネイビーの前に回ってきた。

 父親に似た髪の色に、義母と同じ瞳の色。輝くような笑顔の美少女だ。

 父親も義母もまったくネイビーには接触しないが、この義妹だけは年に数回こうしてネイビーへ駆け寄ってくる。

 ネイビーはいつもニコニコしているだけなのに、義妹は構わず何かを話しかけてくるのだ。


「お父様から聞きました。春から一緒に学園に通えるんですね!」

「……」

「私お姉さまとたくさんお話したかったんです。すごく楽しみです!」

「……」


 ネイビーは一応ほほ笑みを浮かべて、義妹を見る。


「お姉さまは……」

「お嬢様、旦那様がお呼びでございます」


 言いかけた義妹をメリルが呼びとめた。


「お姉さま、お父様が呼んでいるみたいなので、また」


 義妹は寂しそうに言って、パタパタと走っていった。

 ネイビーはため息を飲みこんで、そそくさと部屋へ向かった。

 ネイビーはその日からまた一週間、部屋に鍵をかけた。








 春の早い時期、ネイビーはメリルによって布団をはがれ、風呂に入れられ、髪を整えられ、真新しい制服を着せられて馬車に放り込まれた。

 自宅から学園までは30分もかからないが、学園は全寮制だ。

 メリルは専属侍女として学園についてくるらしく、そのままネイビーと義妹が乗った馬車に乗り込んできた。

 義妹はずっともじもじしていたが、そろそろ学園につくと言うころ急に話し出した。


「お姉さま、お姉さまが婚約したと聞きました」

「……」

「お相手はこの国の王子様だって、お父様が言っていました。私も絵姿を見ましたが、素敵な方ですね」

「……」

「私にもお姉さまみたいに、素敵な婚約者が現れるといいんですが」

「……」

「お嬢様がた、そろそろ学園に到着します。身だしなみを整えてください」


 メリルがそう言うと、隣で義妹が制服伸ばしたり引っ張ったりし始めた。

 ネイビーは身動き一つせずに窓の外を見つめる。

 暫くして馬車が止まる。御者が扉を開けメリルが最初に降りて行った。

 続いて義妹が降りようとすると馬車が急に動き、義妹が頭から落ちそうになった。


「きゃあ」


 かわいらしい声をあげた義妹の方をネイビーが見ると、誰かが義妹を受け止めていた。


「大丈夫か?」


 義妹のお尻の上から黒いフワフワした髪が見える。

 通りかかった親切な誰かが義妹を助けてくれたらしい。

 ネイビーは気配を消して、その様子を伺う。


「ありがとうございます。急に馬車が揺れてバランスを崩してしまいました」


 馬車からは見えないところにおろされたらしい義妹が、今までにないくらい甘い声でそう言っている。

 ネイビーは馬車の奥にさらに体を寄せながら、耳だけはそちらに集中した。


「この馬車は侯爵家の馬車だろう? 君は侯爵家の令嬢か?」

「はい、私は……」

「殿下がお待ちだ、ついてきなさい」

「あの」

「早く」


 ネイビーはその会話に心からの笑顔になった。


「お嬢様……」


 馬車の入り口で、メリルが眉をよせてネイビーを睨んでいた。









「お嬢様、今日もさぼりですか?」


 ベッドの上で相変わらず直立不動をしているネイビーに、メリルがため息交じりに声をかけた。

 最近メリルはネイビーへの口調が軽い。

 義妹が殿下に連れて行かれたおかげで、ネイビーは狭い寮の二人部屋を一人占めすることができた。メリルは義妹のメイドとして殿下の寮へ勤めることになったが、実家と同じように生存確認にやってくる。

 ネイビーは、身動き一つせず、メリルを見上げる。


「お嬢様」

「あの子と殿下は上手くいっているの?」

「はい」

「……」

「変な笑いはやめてください、お嬢様」

「……」

「殿下はローズ様にプロポーズを考えているようです」

「!」


 ネイビーが目を見張る。メリルは久々のネイビーのその驚きの感情を見て、笑顔になった。


「お嬢様、今からでも遅くありません。本当の婚約者はお嬢様だと……」

「あの子の名前、ローズって言うの?」

「はい、義妹様のお名前はローズ様ですが……お嬢様?」

「そう、ローズって言うの……」


 ネイビーはそう言って目を閉じた。

 メリルは息を飲んでネイビーを見つめた。








 そうこうしているうちに、夏が来て秋が過ぎ、冬になった。

 ネイビーは、授業はブッチしたが、テストはしっかり受けていた。

 一体どういう理屈が働いているのかは分からないが、ネイビーの成績はすこぶる良く、ほとんど授業に出ていなくてもしっかりと進級していた。

 ネイビーはベッドの上で面倒くさがりの境地生活を楽しみながら、最終学年の終わりまで変わらずに過ごした。









 そして卒業の日、ネイビーはメリルに布団をはがれ、寝巻をはがれ、髪を整えられ、ほぼ新しいままの制服を着せられた。

 そしてずるずると引きずられるようにして、卒業式会場へと連れて行かれた。

 扉の隙間から押しこまれた会場は、皆きらびやかなドレスに身を包み、制服姿の者などいないパーティ会場だった。

 ネイビーは珍しく大きなため息をつくと、会場を見回した。


 ホールの中央あたりに、一段ときらびやかな集団が見える。

 その中心には義妹・ローズ。

 意匠を凝らしたピンク色のドレスに、青い装飾品が良く似合っている。

 その隣には金髪で青い瞳の、たぶんネイビーの婚約者だという王子様だろう。

 その幸せそうに見つめ合う二人を、たくさんの学生が囲んでいた。


「お嬢様、あれを見てどう思われますか?」


 急に声をかけられて振り返るとメリルが立っていた。

 制服姿の女と侍女。明らかに浮いている。


「……」

「お嬢様、あれを見てどう思われますか?」


 メリルがきつい声で再度問うてくる。


「特に、何も?」

「お嬢様はそれで、いいのですか?」


 打って変わって悲壮感漂う声のメリルに、ネイビーは首を傾げた。


「お姉さま!」


 知った声にネイビーはまた振り返る。

 ローズが満面の笑みでこちらへ駆けてくる。

 その後ろには殿下を始めとした学生たちがぞろぞろとつながっている。


「……」

「お姉さま! お姉さまと一緒に卒業できるなんて、私とてもうれしいです」


 あたりを明るくする笑顔でローズはそうネイビーを見つめた。

 ネイビーはいつもの笑顔を顔に張り付ける。


「君が、ローズの姉のネイビーか」

「……」

「はい殿下! こちらが私のお姉さまです」


 無言のネイビーに代わって、嬉しそうにローズが答えた。

 ネイビーはただただ二人を見つめるだけだ。

 殿下はローズをその腕に引き寄せると、ネイビーに向かって話し始めた。


「ネイビー、貴方が私の婚約者だと言うことは知っている、だが、私はローズをいとしく思っているんだ」

「……」

「貴方とローズの母が違い、ローズを認められない気持ちは分かるが、どうか、私たちのことを許してほしい。これからは私を家族と思いローズのことをもう少し気をかけて欲しいんだ」

「……」

「お嬢様、何かおっしゃらないと……」


 無言のまま首を傾げたネイビーに、メリルが後ろから声をかける。

 そして脅すように腰のあたりをつついた。


「お嬢様!」


 ネイビーはメリルを振り返り、今までにない表情で睨みつけた。


「……面倒くさい」

「お嬢様」

「お姉さま!」


 ローズが駆け寄りネイビーの腕を取った。

 ネイビーはまた振り返る。


「お姉さま! そんな悲しいことを言わないでください!」


 瞳いっぱいに涙を浮かべてローズが叫ぶ。

 その声はひどく切なく、誰もがローズに憐みの目を向ける。


「私はお姉さまといつだって仲良くしたかった! 面倒くさいだなんて言って、いつも私を遠ざける。挨拶だってしてくださらない! どうしてなんですか?」

「ネイビー、ローズがこう言っているんだ、どうかローズを悲しませないでほしい」


 ネイビーは、これ見よがしに大きなため息をついた。

 そして、ゆっくりとローズを抱きしめる。


「ネイビー!」

「お嬢様!」

「お姉さま!」


 感極まったような、三人の声が重なった。

 見た目は確かに感動のシーン。


 だが、

 一人は感動の、

 一人は驚愕の、

 一人は不快な、表情をした。


「分かってくれたのか! ネイビー」

「お嬢様、それはだめです」

「お姉さま! …………………………………く、さ、い」


 義妹が苦しげに言って、ネイビーの腕の中で意識を失った。


「……ローズ?」

「死んではいません。お嬢様の臭いにあてられただけです」

「に、おい?」


 メリルはローズをネイビーから引き離し殿下へと手渡した。


「今日お嬢様の準備をする際、湯あみを飛ばしてしまいました。まさか兵器になるまでお嬢様が臭くなっているとは思わず、申し訳ありません」

「湯あみを飛ばす、とは?」


 殿下が青い顔をして、震える声で聞いた。

 たぶんもう聞かなくても分かっているだろう。


「そのままの意味でございます、お嬢様は極度に怠惰ですので、ほおっておくと食事は二~三日に一回、お手洗いは一日一回、お風呂はほぼ入ることは……」


 一生懸命ネイビーの行動を話しているメリルを横目に、ネイビーは周りの様子を見まわした。皆の眼が、殿下とメリルに注がれているのを確認して、少しずつ少しずつ後ずさり、扉までたどり着くとそーっと会場から外へと出た。

 殿下とローズとメリルのおかげで、ネイビーがそこからいなくなっても誰も気がつかなかった。










 ネイビーがいなくなったことに皆が気付いたのは、パーティ会場に保護者達が入場した後だった。

 殿下とローズが、陛下と王妃に挨拶をする、その時だった。


「これはどう言うことだ? お前の相手はネイビーの筈だろう?」


 と、陛下が殿下に問われた。殿下が説明すると、陛下はいまだかつてない怒りを見せた。


「お前は私の話を何も聞いていなかったのか! ネイビーを必ずや妻にしろと言っただろう!」

「しかし父上、私はローズを愛してしまったのです。ローズは義理とはいえネイビーの妹、侯爵家の血を引いているのですから」

「馬鹿もん! あの男は婿だ! ネイビーだけが聖女の血統なのだぞ!えーい、役立たずめ! とっととネイビーを探しに行け! 見つからなければ国が滅ぶぞ!」








 ローズと両親、そしてメリルと従業員たちは身ぐるみはがれて国外追放となった。

 王子とその仲間たちは卒業式会場からすぐさま追い出され、ネイビー捜索隊とともに王都を追われた。

 国は徐々に国力が低下し、隣国の属国となった。







 王子たちは十年以上ネイビーを探し続けたが、噂ですらその姿を見つけることはできなかった。








アルファポリスさんでも公開してます。


最後まで読んでくださりありがとうございました。

またよろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] なるほど。なんで何もしないのに成績いいのかと思ってたら聖女だったのか! 聖女スゴイ!
[一言] コミュ障ですらねぇ
[良い点] 最初から最後まで主人公の行動原理がブレずに初志貫徹する物語は好きです。 正しく『何もしない、をする』を体現するネイビーさんマジリスペクト。 [気になる点] メリルさんは特に悪い事してないし…
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