1.
『共通部分』の章は『私に似合う武器は』と同じ話になります。『個別』の章から分岐します。
「ごめん、ミッシュ」
「クラウス兄ちゃんが謝ることじゃないでしょ! だから頭をあげて?」
「でも……」
「いいから!」
膝の上に手を乗せて、頭を深く下げる幼馴染のクラウス兄ちゃん。そんな兄ちゃんに私は頭を上げてくれと必死に懇願する。
こんなの、別に兄ちゃんが謝る必要はないのだ。
昔から続いている『とあるもの』にたまたま? いや幸運にも、選ばれたのが兄ちゃんだっただけだ。
それによって、とある慣習の一つが私達に適応されただけ。それもこの国どころかこの大陸中に古くからある慣習。
そんなの逆らえるわけがないし、逆らうなんて馬鹿らしい話だ。
ほら、やっぱり兄ちゃんは悪くない。
それで兄ちゃんを恨んだり、怒ったりするほど私の心は狭くないのだ。
それに兄ちゃんが選ばれなかったら、田舎暮らしの私が、こんなフッカフカなソファに身体を預ける機会なんてなかったはずだ。
大量の牧草の上にダイブした時よりもずっと気持ちいい。
これはこのタイミングで存分にいい気分を味わっておかなければ!
ソファの上で軽く跳ねてその柔らかさを存分に堪能しておくことにしよう。
それに、来客扱いされている私に用意されたのは赤く透き通ったお茶と、白い生クリームに真っ赤なイチゴが良く映えるショートケーキ。
これは『私の人生で一番幸せだったこと』の記録を更新したと言っても過言ではない。ちなみに今の一番は、人生で初めて骨付き肉にかぶりついた瞬間である。
あのお肉は確かに美味しかったが、仕方ない。
美味しさとフカフカのコラボレーションには勝てなかったのだ……。
こんなに幸せな私に、なぜ兄ちゃんが何度も謝るのか――。
それは私と何年も前から結婚をする約束をしていて、実際に結婚するまで1ヶ月を切っていたクラウス兄ちゃんが『勇者様』に選ばれたからである。
『勇者様』はその人が所属する国の『お姫様』と結婚して『王族』の仲間入りをする――私達が生まれるよりもずっと昔から大陸中で決められていたことである。
そして『勇者様』と『お姫様』が結婚するということは、もちろん兄ちゃんと私の婚約はなかったことにされる。
つまり兄ちゃんは私と婚約を解消をした後、魔王討伐という面倒くさい役目を負わなければならないが、その代償というか報酬として逆玉の輿が約束されたというわけだ!
さすが、クラウス兄ちゃん!
今の私は、誰かにポッキリと折られてもグングンと伸びてしまうほどには鼻が高い。
自分のことじゃないのに、って気にしたら負けである。
結婚なんてしなくとも、クラウス兄ちゃんは私の兄ちゃんで、幼馴染で、家族みたいなものなのだ。
結婚がなくなったくらいで、私達の16年間の絆にはキズすらつくわけがない。
そんなに柔なものだったら、そもそも婚約なんてしていない。私のオヤツを奪った時点で破棄している。間違いない。食の恨みというのは恐ろしいのだ。
そんな自慢の兄ちゃんだが、昔からものすごく運が良かった。
20年に一度しか咲かないと、何かの図鑑に書かれていた花を私の6歳の誕生日に見つけて来てくれた。
それに山に入って石を拾ってきたかと思えば純度の高い『魔石』と呼ばれる魔界にある珍しい石だったこともある。
『美味しいからミッシュも食べてみろよ』
そう、兄ちゃんから渡された陽だまりみたいにポカポカしている木の実は、学者さんが何年もかけて探していたものだったこともあった。
2人揃って手に、腕にと果汁を垂らしながらかぶりついていたら、いきなり知らない人が駆け寄ってきて……。あの時は何事かと驚いたものだ。
その他にも、兄ちゃんが狩りに出れば必ずと言っていいほど大物が取れるからって、兄ちゃんが12歳になった年から、お祭りなどの行事以外は狩り禁止令が出たほどだ。
可哀想ではあるけれど、仕方ないことだったのだ。
だってあのまま兄ちゃんが狩りを続けたら、周りの動物がいなくなっちゃうから。
そんなことになったら、お祭りや結婚式に食べるお肉が無くなっちゃう!
それだけは避けなければならなかった。目先にある大量のお肉よりも将来継続的に食べられるお肉の方が重要なのである。
思い返せば兄ちゃんとの生活は色々とあった。
今からもう一度やり直したとしても、また同じように楽しめるだろう。そのくらい飽きない日々を送っていた。けれどそれはあくまで田舎の村の普通の生活。
――そんな日々が大きく変わったのは、つい3週間ほど前のことだ。
国王様から『大陸中の12歳から30歳未満の男性を集めて勇者の選定を行う』という内容の手紙が届いた。
そしてその手紙が届いてからすぐに王都から派遣されたのだという、綺麗なコートに身を包む騎士様達がやって来た。そして兄ちゃんと、一応選定条件に入っている弟のレオンは、馬車に乗せられて王都へと行ってしまった。
その光景を間近で見ていた私も、うちの父ちゃんと母ちゃんも、兄ちゃんのとこのおじさんもおばさんも、何なら村中の誰もがきっと兄ちゃんは勇者に選ばれるだろうって薄々気づいていた。
その一方で、レオンはしばらくしたらすぐ帰ってくると思っていた。誰もがそう思っているのと同じくらい、レオン自身も思っているようで、緊張は全くしていなかった。
むしろレオンは全員の選定が終わった後に、家に返される人全てに渡されるのだという手土産に心を躍らせていた。
「レニィ。お土産、楽しみにしていてくれ」なんて窓から手を振っていたくらいだ。
けれど兄ちゃんはもちろん、レオンは帰ってこなかった。