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記憶のない僕が君に出来ること  作者: 宮日まち
1章 目覚めてからの1年間
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-喫茶店-

 喫茶店で出会った女性と初めて会話をした日から二ヶ月が経とうとしていた。

 あの日以来、僕は休日に喫茶店に行くことが習慣となっていた。今まで狭い世界で生きていた僕だが、少しずつ周りの世界へと足を運び出している。(かわず)が大海へと泳いでいくかのように。

 唯、お小遣いを貰っている身ではあるのであまり贅沢は出来ない。長居が出来ない為、喫茶店で出会った女性・山中さんに会えない日も多々あった。何故、偶然出会った彼女に僕は執着しているのか。そんな疑問を持つことは毎週のように頭の中に出てきては消えている。


二〇二〇年二月一日土曜日。目覚めてから十一ヶ月弱。月日が経つのは五十メートル走の様にあっという間で、季節は冬。その日は都心では珍しく雪が少し積もるほどの降雪が前日から続いていた。


 既に聞き慣れた音、喫茶店に入った僕は指定席の様な感覚でいつものカウンター席へと進む。決して指定席では無く、たまに他の人が座っているのでその時は渋々違う席へと座るのだが。

 つい最近まで喫茶店の名前を知らなかった。どのお店にも名前はあるもので勿論このお店にも名前はあったのだ。こんなことを言うのも、このお店には看板は無く店の名前が書いていなかったのだ。

 ふと気になり、僕はマスターに尋ねてみる。


「そう言えばマスター、このお店って名前とかあるんですか?」

 一呼吸置くかのようにマスターは洗っていたカップをその場に置き、僕の座っている席へと歩き出し丁度目の前でこちらを向いた。

「あるよ。聞きたいかい?」

「ええ。」

「常連しかこの店の名前を知らない。私は聞かれた人にしかこの店の名前を言わないんだ。名前を聞きたいということは興味を持ったと言うことだろ?」

「そうかも、知れませんね。もう何回コーヒーを飲みに来たか分からないですけど、ここのコーヒーは美味しいと僕の舌がそう言ってます。そんなコーヒーを出してくれるこのお店に興味を持ったんだと思います。」


知らないと言うことは興味が無いと言うこと。興味があるから知りたいのだ。


「嬉しいこと言ってくれるね。まあ俺が聞きだしたみたいなもんだけど。脱線はここまでにして、肝心の名前だったな。この店の名前は、憩次(けいじ)だ。喫茶店・憩次。」

「憩次ですか・・。由来とかって聞いても良いですか?」

「ああ、構わないよ。次なる人生の憩いの場。新たに歩みだす者、疲れて一休みする者、そんな人らが休める場所を目指してる。ちょっとかっこつけすぎかもしれないがね。」

 新たに歩みだす者、疲れて一休みする者。どちらも僕に当て嵌まっていた。僕は第二の人生を歩んでいる、そう自分で思っている。十歳までが第一の人生。順風満帆だった人生。そして目覚めてから何かを求めている今の人生。

「良い名前ですね。」

 月並みの返事しか出来ない僕は歯がゆさを感じたが、そう素直に思ったんだ。

「どうも。」

 短くそう答えてマスターは仕事に戻った。その後ろ姿はどこか嬉し気で、僕もつい嬉しくなる。良い店に出会えたなと。


 最後の一口を飲み、マスターに美味しかったと伝え店を後にする。今日は彼女と時間が合わなかったようだ。

 外に出ると雪がまばらになっていた。

 街に来た日は喫茶店の他に行くところを探している。僅か二ヶ月でも街は変わる。店は潰れては新しい店が出来る。一期一会、そんな四字熟語が頭に浮かんだ。一期一会は元々、茶道に由来する言葉だと知ったのは母親から勉強中にお茶を入れて貰った時のことだ。

「お疲れさま、今は何を勉強しているの?」

「国語だよ。」

「そう。じゃあお母さんから一つ豆知識を教えてあげる。一期一会って四字熟語知ってる?」

「一生に一度しかない機会とかだったかな。」

「そうね。由来は茶道から来てるのよ。私が茶道を習ってた時に先生から聞いたの。「一生に一度の出会いであることを心得て、誠意を尽くす心構えを持ちなさい」ってね。」


 母との会話を思い出していた。何気ない会話でも得るものはある。

「あても無く歩いているこの瞬間にも意味はあるのだろうか。」

 雪が軽く積もった歩道をしばらく歩き、僕は本屋に寄ることにする。本との出会いも一期一会。


 ウィーン。自動ドアが開き、本屋独特の匂いを感じる。本の匂い、印刷された紙の匂い。ベストセラー小説、自己啓発本、雑誌、何でも揃っている。この本屋には何冊本があるのだろうか。数えたら日が暮れる所の話じゃ無さそうだ。

 店の端から見て行き、気になる本があれば手に取る。少し覗き見し元に戻す、それを繰り返す。

 本屋に来てから一時間ほど経っただろうか。締め切った店内。静かな空間に不釣り合いな声が聞こえて来た。



最後まで読んで頂きありがとうございました。

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