-花火を見た夜-
季節は夏、水族館でのデートから二ヶ月弱が経過していた。二度目の夏を経験している僕だったが、高校生になったと言っても劇的な変化は訪れることは無く、勉学と仕事の日々に明け暮れていた。
変わったことと言えば、芳川さんとは前よりも連絡を取り合うようになった。彼女自身から仲良くなりたいと言って来てくれたので、僕も気兼ねなく接することが出来ている・・と思う。
だがあの日以来、彼女と会うことはもちろんデートもしていない。甲斐性なしと言われても仕方が無いが、僕らは仲の良い友達止まりで頻繁に会う関係にまで進展はしていなかった。それに僕も彼女も忙しいから中々都合が合わないのだ。互いにやるべきことがあるから、僕は学費を稼ぐこと、彼女は文化祭ライブを成功させるために日夜練習を重ねているのだとか。
だから今日会うのは久しぶりのことで、彼女と会う前から僕は緊張していた。前までの僕であったならば平然としていたのだろうけれど、彼女と会ってからは感情が揺さぶられることが多くなっていた。
「お待たせしました!」
その声と共に今まで見たことの無い姿の彼女が現れた。去年の夏はどこにも出かけずに勉学に勤しんでいたため、浴衣姿を拝むことは無かった。だから僕にとっては人生で初めて友達の浴衣姿を見ることになる。浴衣は夏の風物詩と言っても過言ではない、そう翔太に聞いていたが目の当たりにした僕も翔太と同じ感想を持つ。水色の浴衣に麻の葉模様、描かれている花は桔梗と藤だろうか。透明感があり派手すぎない可愛さの浴衣姿は、芳川さんにとても似合っていた。
「芳川さんにぴったりの浴衣だね。」
夏祭りや花火大会で男性百人に女性に浴衣を着て欲しいかを聞くと九十七人は着て欲しいと答えるそうだ。僕も彼女の浴衣姿を見たから次からはそう答えるだろう、私服姿とはまた違った日本人女性の良さが出ているように思えた。どうやらいつもと違うのは服装だけじゃなくて髪型も違っていて、髪の毛をサイドからロールして後ろでまとめている、あまり詳しくは知らないけれどギブソンタックに近い髪型なのだろうか。
いつもとは違った雰囲気の彼女に見惚れていた僕は彼女の言葉を聞き逃していた。それよりもしっかり髪型を決めて来ているのに、後れ毛が見えていたりして、そんな無防備で少し抜けたところも良いなって思っていると。
「優真さん!後ろばっかり見過ぎですよ!」
「ああ、ごめんごめん。見惚れてたよ。」
「褒めればなんでも許されるって訳じゃないですからね。」
そう言ってはいるものの、彼女も褒められて悪い気はしていないようだ。なんでか分からないけれど、彼女をからかうと楽しくて仕方が無い。彼女の反応の一つ一つが見ていて微笑ましい、母性本能とやらの逆だろうか。ただ、やり過ぎると拗ねてしまう時もあるから程々が良いみたい。
どうやら夏祭りは僕が思っていた以上に人気のイベントらしく、二人で並んで歩くのも一苦労な程だ。急いで歩くことも出来ないほどの混雑具合だが、彼女の服装からしてゆっくり歩く方が良いだろうし理に適っているのかも知れない。
いつも食べる食事とは違った物が屋台には並んでおり、どれもが魅力的に見えてきた。最初に食べたのは、じゃがバターとやらで、新ジャガイモを加熱した後に熱いままバターをのっけているのだとか。単純な料理なのにやみつきになる味に僕は夢中になっていた。今度は彼女の言葉を聞き逃さないようにはしていたけれど。
「優真さんって、食べる時ってすごく楽しそうに食べますよね。」
「そうかな?あー、多分どれも新鮮に思えるからかな。」
「新鮮ですか?」
「うん、初めて食べる物ばかりだからね。」
不思議そうにしている彼女に、僕は隠し事をしているつもりは無いけれど、どこか申し訳ない気持ちになる。記憶が無いと言ったところで、彼女に何か押し付けるつもりもないし特に変に気を遣われたくも無い。だから言わなければこのままの関係が続く、それで良いと思っていた。
「ちょっと座ろうか。」
「あ、じゃあその前にイチゴ飴買って来ても良いですか?珍しいから食べてみたくて!」
「それなら僕が買って来るから、座って待ってていいよ。」
「・・、いえ一緒に買いに行きます。」
「そう?じゃあ一番大きいイチゴ飴探そうか。」
屋台のおじさんに一番大きいのを頼みますって言ったら、思っていた以上に大きいイチゴが出てきて、僕も彼女もあまりの大きさに共に呆気に取られていた。その顔を見て互いに笑いだす、些細なことなのに自然と笑みがこぼれる、そんな関係は素晴らしいなって僕は一人達観していた。僕は彼女が幸せを願っている特別な存在じゃなくても、僕にとっては特別だから伝えるんだ。芳川さんだけじゃない翔太や真理さんにも知ってもらいたい、僕のことをもっと、そう強く思うようになってきている。
イチゴ飴を彼女が美味しそうに舐めている間、僕のこれまでの経緯を全て話した。突然に事故に遭い僕の日常は崩れ去ったこと、カフェで偶然出会った女性のこと、翔太と親友になったあの日のこと。話せば長くなると思っていたけれど、実際はそう長くも無く、僕の生きて来た一年半はまだまだ短いことに気付いた。こんな突拍子もない話を聞いた彼女はどう思っているのだろうか。同情しているのか、それとも戸惑っているのか。僕は彼女から発せられる一言を待っていた。
「優真さん、つぎ行きましょつぎ!もっとお祭りの良いところ教えてあげますね!」
芳川さんの一言は、同情でも哀れみでもない、彼女の純粋な想いだった。右手を引くその手は、男の僕の手よりも小さくそして柔らかい、強く握ったら折れてしまうのではないかと不安になるほど。でも彼女の心はその柔らかい手に反して強く硬いのだと知った。
夕飯を食べていなかったが、屋台のありとあらゆる食べ物を食べ尽したと言っても過言ではないほど食べ歩いた僕らは、逆に苦しみで後悔していた。そんな僕に謝ろうとしていた彼女の言葉を遮る。食べすぎたかもしれないが、どれも美味しいと感じたから。こんな失敗も時にはしてみるものだなと僕は悟っていたが、彼女の指さす方向の建物には行かなければ良かったと本当に後悔している。
今から二十分ほど前、芳川さんがどうしても行きたい場所があると言うので、お腹を擦りながら目的の場所へと歩いて行く。その建物に近くなるにつれて、周りの温度と人の雰囲気が変わって行くのが分かる。楽しそうな笑い声の中に怯えた悲鳴が聞こえてくるのは気のせいだろうか。いや気のせいなんかじゃない、なぜなら見るからに恐ろしい建物が目の前に聳え立っていたから。
「芳川さん、本当にあれが行きたい場所?」
「はい!わたし、お化け屋敷好きなんですよ!」
「あれお化け屋敷って言うのか。凄く雰囲気出てるね・・。でもさ、別に今日じゃなくても。」
「え?」
彼女はもしかすると本当に強引な性格なのかも知れない。連絡先を聞いて来た時も、初めてのデートに誘われた時も彼女からだったし。そんな強引さのおかげで、自分では入ることの無い世界へ足を踏み入れているのだから感謝するべきなのかも知れないが。
ちなみに今日の夏祭りは僕から頑張って誘ってみたのだけれど、まさかお化け屋敷に来るとは思いもしなかった。
「無理!こわい!」
感謝など到底できる気分じゃない、一歩進むだけで感じたことの無い気持ちが込み上げてくる。どうやらこれが恐怖感と言うものらしい。僕からしたら芳川さんは何でも知っている人で、彼女からしたら僕は何も知らない人なのだろうか。
冷静になろうと難しいことを考えていたが、それも長くは続かない。前から後ろから一体何が出てくるのか分からないこの空間で、僕は必死に彼女にしがみついていた。翔太に言ったら笑われるのは間違いない、それほどみっともない姿を晒していた。男としてこの姿はどう映っているのだろうか、やはりかっこ悪く見えてしまうのか。それは嫌だなと思いつつも叫びが止まらない。
今日の天気は晴れだっただろうか曇りだったのだろうか、それすらも思い出せない。出口はいつになったら現れるのか、もしかしたら道を間違えている可能性だって考えられる。頼りになるのは隣の彼女だけ、そんな彼女の顔は終始笑顔だったのが一番の驚きだ。
「良く出来てますねー。あのお化け、優真さんの顔に似ていませんか?」
そんな身も蓋も無い現実を言われたら、作った人も悲しむのではないか。そうだ、怖がるのが製作者にとっても嬉しいことのはず。だから僕のこの異常なまでの怖がり具合も喜んでくれるだろう。
気に留めていなかったが、彼女は大変失礼なことをこっそり言っていなかったか、お化けが僕に似ているとかなんとか。そんな冗談も言い合える仲になったのだと思えば嬉しくなる、冗談だよね芳川さん。あのお化け凄くグロテスクな顔だけど、あんな顔じゃないよね僕の顔って。
永遠ともいえる時間を歩き続けた僕らは一筋の光を目にする。恐らく僕の精神は限界だったのだろう、あまりの恐怖に怯え一刻も早く出たいと言う気持ちが勝っていた。その光に向かって思わず走り抜けた僕は周りを一切警戒することなく、最後にして一番の悲鳴を上げることになる。
「優真さん、大丈夫じゃ・・なさそうですね。わたし、飲み物買ってくるのでここで待っててください!」
夢か現実か、さっきまでの映像が脳裏から離れない。こんなにも叫んだのはいつぶりだろうか、いや目覚めてからは初めてのことだ。怖いと言う感情を抱けたのも、冷や汗をかいて真夏の夜に寒くなる経験も、彼女と一緒に来れたから味わうことが出来たのだと思う。そうポジティブになろうと必死になるも、最後に見たお化けの鮮烈さは異常でしばらくは夢に出てきそうだった。
神社の近くだからか静けさで満ちていた。周りにはカップルが数組居る程度で、虫の鳴き声が聞こえてくるほど穏やかだ。座って待っている間、彼女のことばかり考えている。今だけじゃない今日のデートが近づいてくるたびに考えては、なるべく考えないように必死になっている自分が居た。
「優真さんどうぞ、お茶で良かったですか?」
その声に僕は顔を上げる、走って来たのか彼女の額には雫が滴り落ちていた。彼女は恥ずかしそうにハンカチを取り出そうとするも焦っているのか中々見つからないようだ。僕は彼女よりも先にハンカチを取り出し、何を思ったのか僕は彼女の額を拭いていた。
「僕のために、わざわざ走ってくれてありがとう。」
「お礼なんて・・。わたしが走りたかっただけですから。」
走りにくい浴衣姿で、走りたくなるそんな彼女の気持ちに僕もいつかなれる時が来るのだろうか。
遠くから大きな音が響いてくる、何かが爆発したかのような豪快な音に僕は身構えてしまう。そんな姿を見た芳川さんは、僕の隣に座って上を見上げていた。それに釣られて同じように上を見上げると、夏の夜空に一輪の花が咲いていた。まるで水を与えられて大きく咲き誇るかのように高く高く打ち上がる。一輪だった花は瞬く間に夜空を覆い尽くす花々になっていた。
「芳川さんは、あれは?」
「花火ですよ。花火がすべて打ち終わったら、このお祭りもお開きです。」
「そうか。あれが、花火なのか。一瞬で咲き誇って瞬く間に消えてしまう。綺麗だけど儚いね。」
「花火は一瞬ですけど、でもわたしは、今日見た花火もお祭りの景色も、一生忘れることはないです。」
「僕も、もう何一つ忘れたくないな。楽しい記憶で一杯になるくらい思い出を作りたい。」
「その記憶の中に、わたしは居ますか・・?優真さんの隣に、居ますか?」
僕は彼女の問いにすぐさま答えることが出来なかった。間違いでなければ、その問いは違う意味が含まれているだろうから。友達としてだけじゃない、一人の特別な存在として一緒に私はいるのかを聞いているのだと。
知識も記憶も無い僕だけど、鈍感では無い。いつからか友達としての好きと言う気持ちが、異性としての好きになっている彼女の内心に気付いていたんだ。でも彼女の気持ちに、どう答えていいのか分からない、なぜなら自分自身の感情が整理できていないから。
それに自分の幸せを願っていいのか分からないのだ。目覚めた時に残っていたのは、誰か自分では無い他人を幸せにするという根底にある意思だけだったから。
「優真さん、わたし、ずっと前から・・。」
僕は自分が告白されている、その状況に気付いていたのに彼女の言葉を遮ることも最後まで聞くことも出来なかった。
気付けば僕は見知らぬ天井を見上げていた。
次の更新は少し間が空きます、お待ち下さい。
最後まで読んで頂きありがとうございました。




