表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
98/117

猫に導かれて

 ドクン、ドクンと胸がイヤな感じに高鳴る。

 今までアユは街で一人歩きをしたことがなかった。いつも、リュザールが一緒だったのだ。

 いつだって前を歩き、アユを導いてくれた男性ひとの姿はない。

 暗闇の中を、灯りもなしに歩いているような感覚に陥る。


 しかし、ここで立ち止まるわけにはいかなかった。

 リュザールを捜して、合流しなければ。

 きっと、叔父や兄、姉妹たちがアユのことを捜し回っていることだろう。それを考えたら、ゾッとする。


 今、歩き回るのはよくないのかもしれない。


 かといって、このままではリュザールと合流できないだろう。

 どうすべきなのか。

 リュザールを捜している間に、ハルトスの兄弟や叔父に見つかったら大変だ。

 むやみやたら歩き回るのは危険か。

 そんなことを考えていたら、額の精霊石がジワリと熱くなる。

 以前、リュザールが精霊石を通じてアユとの繋がりを感じたと話していた。精霊石に触れたら、リュザールの居場所がわかるかもしれない。

 だが、人目のある場所では精霊石を出さないほうがいいだろう。額の精霊石を見て、ユルドゥスの者であるとバレたら大変だ。

 人目のないところを、探さないといけない。

 ふと、どこからか視線を感じ、肌が粟立つ。

 もしや、見つかってしまったか。

 視線を感じた路地裏のほうを見たら、先ほどアユが撫でた灰色の猫がじっと見つめていた。

 アユを見ていたのは、猫だったようだ。

 目が合うと、こっちへ来いと訴えているように思えた。

 アユは猫を追い、路地裏を駆けた。


 猫は低い塀を超え、民家を横切り、誰も通らないようなくさむらを走る。

 羊を追うことに慣れているアユは、難なくついて行くことができた。

 街の喧騒から離れるようにして辿り着いたのは──白煉瓦の一軒家。周囲には木々があるだけの、不思議な空間である。

 木漏れ日が、白い煉瓦に葉模様を作っていた。出入り口には、看板がかかっている。


喫茶店チャイハネ大きな海老ウスタコズ?」


 おかしな名前の店だった。

 灰色の猫は入口に座り、にゃあと鳴く。まるで、中に入れと言っているかのよう。

 足下には、営業中の看板が置かれていた。

 小さな窓から店の内部を覗き込む。

 店内には、モザイクランプがいくつも吊り下げられており、丸い円卓が置かれていた。

 幸い、客は誰もいないようだ。

 この辺りは人が来そうにない。しばし、ここに姿を隠すことにした。


 扉を開くと、カランと音が鳴る。


「おや、いらっしゃい」


 店の奥から出てきたのは、腰の曲がった老婆である。アユを見るなり、すっと目を細めた。


「たくさん、連れてきたね」

「え?」


 振り返ったが、誰もいない。

 老婆には目には見えない何が視えるのか。と、思っていたところに、アユが開いた扉から猫が入ってくる。灰色と黒とぶちの三匹だ。

 いつの間にか、仲間を増やしていたようだ。老婆には猫が見えていたのだろう。


「あんた、ワケありだろう」

「え?」

「うちの猫に言っているのさ。困っている人がいたら、連れてくるように、と」


 アユは灰色の猫を振り返る。ゆらゆらと尻尾を揺らし、にゃあと鳴いていた。


「好きなところにお座り。ミルクたっぷりの、チャイを淹れてあげるから」


 そう言われ、アユは三匹の猫が円卓に座っている椅子に腰かけた。

 老婆がこないことを確認すると、アユは大判の布と頭部と口元を隠していた布を取った。

 そして、帽子を脱ぎ、額の精霊石に触れた。

 すると、脳裏にここではない映像が浮かんでくる。

「──ッ!?」


 赤い煉瓦で造られた薄暗い部屋の中に、兄と叔父がいた。手には、ナイフを持っている。

 リュザールはハルトスの家族に捕まっているようだ。

 急に息苦しくなる。額から手を離し、胸を押さえる。


「はっ、はっ、はっ……!」


 どれだけ息を吸っても、上手く呼吸できない。額には大粒の汗が浮かび、木製の机に水滴の跡を作った。

 急に降り出した雨のように、アユの汗はポタリ、ポタリと滴っていく。

 熱く、強い感情に支配されそうになる。

 外では強い風が吹いているのか、窓枠がガタガタと音を鳴らしていた。

 ここで、腰の鞄に入れていたカラマルが這い出てくる。アユを心配そうに見上げていた。

 ふわふわもこもこのカラマルを抱きしめる。すると、幾分か落ち着くことができた。


「お待たせ。ミルク入りのチャイだよ」


 チューリップの花の絵が描かれた陶器のカップに、チャイがなみなみと注がれていた。

 それから、老婆はゴマのパンシミットと真っ赤なスープも出してくれた。


「ゆっくりおあがりよ。ここには、あんたを害す者はこないから」


 アユはコクリと頷き、チャイのカップを手に取る。

 今まで汗を掻いていたのに、指先は驚くほど冷たくなっていた。

 チャイのカップで、手を温めながら飲む。

 ミルク入りのチャイを、リュザールは買ってきてくれると言った。

 人混みの中で疲れたアユを、気遣ってくれたのだ。それを思ったら、眦にじわりと涙が浮かんだ。

 甘いはずのチャイは、しょっぱい味がした。

 続いて、ゴマのパンを齧る。

 リュザールと出会った日に、食べたパンだ。当時、空腹よりも恐怖が勝っている状況の中、ゴマのパンを食べた時「もう大丈夫だ」と言ってもらえたような気がして泣けてきたのだ。

 初めて、リュザールの優しさに触れた瞬間である。

 スープはレンズ豆が入っていた。言わずもがな、リュザールの好物である。

 大好物のスープを前にすると、リュザールは笑顔になる。また今度、作ると約束したのだ。

 もう一度、チャイを飲む。今度はしょっぱくない。

 ここで、憤って、泣いている場合ではない。リュザールを助けに行かなければならなかった。


 チャイを飲み干し、料理を完食したら、モヤモヤとした言葉にできない感情は吹き飛んでいた。


 アユは大判の布を纏い、立ち上がる。


「すみません、お代を」

「もう、もらっているから必要ないよ」

「え?」

「行きな」


 しっしと、猫を追い払うように老婆は手を振る。


「あの、でも……」

「聞き分けの悪い子は嫌いだよ。いいから早く行くんだ」


 扉が勝手にキイと鳴り、大きく開いた。

 外は強い風が吹いている。


 アユは一礼し、外に出た。数歩進むと、嵐のような強い風が吹いた。

 砂煙が巻きあがり、木々の葉が散り散りになって飛んで行く。

 目を開けることも、立っていられることもできず、その場にしゃがみ込んだ。


 風が止み、アユはキョロキョロと周囲を見る。そして、背後を振り返った瞬間、ぎょっとした。


「な、なんで!?」


 先ほどまであった老婆の店がなくなっていたのだ。

 チャイを飲み、ゴマのパンを食べ、レンズ豆スープを食べたのは精霊石が見せた不思議な光景だったのか。


 今は、それを深く考えている場合ではない。

 リュザールのもとへと行かなければ。

 赤煉瓦の家を目指し、アユは再び街へ戻る。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ