望まぬ再会
アユは胸に手を当て、ホッと安堵の息をはく。
リュザールの上着を肩にかけてもらい温もりを感じた瞬間、やっと心の奥底に渦巻いていた恐怖を手放すことができた。
革職人の集落で起きた出来事は、今まで遭ったことがないほど衝撃的なものだった。
今まで、侵略者の一族の恐ろしさは聞いていたのに、いざ目の当たりにした時のことをまったく想定していなかったのだ。
ユルドゥスの男の妻になった以上、覚悟をしていなければならなかったのに。
気丈にふるまうことができなかった上に、寝込んでしまった。リュザールにも心配をかけてしまったのに、こうして元気づけるために観光地に連れてきてくれた。
体だけでなく、胸もじんわりと温かくなる。
夫となったリュザールやその家族、ユルドゥスの民達は皆優しい。アユの心を蔑ろにする者は、一人としていない。
家族から見捨てられ、叔父に売り飛ばされそうになったアユであるが、奇跡的に幸せを手にできた。
アユは草原の精霊に心から感謝する。
幸せな気持ちに浸っているところに、背後からアユの名を呼ぶ者が現れた。
「──アユ!! 本当に、アユなのね!?」
それは一番年の近い、アユの姉チチェクのものだった。
アユはゾッとしながらも、振り返る。
胸で襟を合わせ、腰に布を巻くハルトスの民族衣装を纏った姉の姿があった。
なぜ、ここに?
その疑問は、驚愕のあまり言葉に出ず。
ハルトスを出てどれだけ経っていたのか、混乱状態にあるアユにはわからない。
記憶の中のチチェクよりも、げっそりとしていた。
「アユ、無事でよかった!!」
そう言って、チチェクはアユを抱きしめる。
「……無事?」
掠れた声でチチェクが言った言葉と同じものを、信じがたい気持ちで返した。
チチェクは気が強く、姉妹の中でもアユにキツく当たっていた。
このように、優しい声で話しかけてきたことは、一度もない。
彼女の織物のほとんどは、アユ個人の作ったものだった。
父親や兄達が、チチェクをハルトス一の織り手だと言っていたのは聞かない振りをしていたのだ。
「あなたがいなくなってから、家族みんな心配していたのよ?」
「いなく、なった?」
「そう! アユ、あなた、侵略者の一族に連れ去られていたのよね?」
その言葉を聞いた瞬間、アユはチチェクの体を押し返す。
チチェクの細い体は投げ出され、地面に伏した。
「きゃあ!」
「チチェク姉さん!!」
「大丈夫ですか!?」
駆け寄ってきたのは、アユの双子の妹、ウシュクとクシュである。
二人共、頬がふくふくと丸かったが、チチェク同様痩せ細っていた。
「ア、アユ姉さんだわ」
「ど、どうして、チチェク姉さんを突き飛ばしたの?」
チチェクは震える手を地面に突き、起き上がる。
「きっと、洗脳されているのよ……侵略者の一族に」
「なんてことなの?」
「アユ姉さん、可哀想に」
いったい何を言っているのか。まったく分からない。
怒ってはダメだ。冷静になれ。でないと、判断が鈍る。アユは自らに言い聞かせるが、チチェクの言葉を赦すことができず、握った拳がふるふると震えた。
別の話をしなくては。アユは言葉を振り絞った。
「どうして、ここに、いるの?」
「兄さんが、あなたを捜すために山から下りるっていうから」
新婚旅行先として人気があるこの地であれば、アユが来るかもしれない。
そんな希望をもって、やってきたようだ。
「だったら、兄さん達も、いるの?」
「ええ、そうよ」
「叔父さんもいるわ」
叔父──それは命乞いのためにアユを差し出し、自分だけ逃げた最低最悪の男である。
「みんな、あなたを捜しているのよ!」
チチェクは地面を這い、アユにすがりつく。
「あなたがいなくなって、収入が減ったの! 食料を買えなくて、みんな、やせ細ってしまったわ」
「そうよ! 織物だって、一生懸命作ったのに、商人はいらないって言うの」
「もしかしたら、アユ姉さんを攫った侵略者の一族が、ハルトスに圧力をかけたんじゃないかって」
「違う……違う……!!」
アユは首を振り、姉妹の言葉をことごとく否定する。
しかし、そうするたびに向けられるのは、憐憫の視線であった。
「アユ姉さんは、おかしくなってしまったんだ!」
「なんて、可哀想に」
「違う!!」
チチェクはすぐさま、妹達を窘める。
「ウシュクにクシュ、ダメ。あまり強い言葉を使ってはいけないわ。洗脳は、すぐには解けないから」
なんてことを言っているのか。
早く、目の前からいなくなってほしい。
アユは肩にかけたリュザールの上着を抱きしめ、姉妹から目を逸らす。
「アユが大きな声を出すから、注目を集めてしまったわ。どこか、静かな場所で話をしましょう」
「無理。私は、ここで夫を待っているから」
「アユ、お願い、言うことを聞いて」
「イヤ!」
脚を抱くようにしてアユに縋っていたチチェクを、再度押して放す。
「肉親だった人達に、酷い言葉をぶつけたくない。だから、いなくなって、今すぐに」
「アユ……」
「アユお姉さん」
「どうして?」
どれだけ言っても、ここから去らないようだった。
だったら、アユが離れるしかない。
リュザールは紅茶を買ってくると言っていた。きっと、紅茶を売る屋台の近くにいたら会えるだろう。
そう思って踵を返した瞬間、ビクリと肩を震わせた。
アユの叔父が、すぐ背後にいたのだ。
「あ──」
「ああ、よかった、アユ。無事だったんだな」
にんまりと微笑む叔父を見たアユは、全身に鳥肌を立たせた。