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新婚旅行

 綿の城に到着する。


「──綺麗」


 それは、真白と空天色の世界だった。

 石灰が陶器の深皿のように突起し、その中に澄んだ青の温泉が湧いている。棚段のように幾重にも重なる光景は、とても美しい。

 アユはしばし、目の前の景色に見入っているようだった。瞳はキラキラと輝いている。

 そんなアユの様子を眺めながら、リュザールは内心安堵した。

 衝撃的な事件だったが、いつまでも引きずるのはよくない。だから楽しいことや綺麗なものをたくさん見せて、忘れさせたかった。


 この辺りは柵で囲まれていて、温泉には近づけないようになっている。

 景観保護の目的と、この辺りは温度が高いので危険なのだ。

 アユは柵に手をかけ、嬉しそうに温泉を眺めている。


「本当に、綺麗……」


 ここで余所見をしながら歩く観光客が、アユのいるほうへと歩いていく。

 ぶつかりそうだったので、リュザールはアユの腰を引き寄せた。


「わっ!」

「危ないな」


 涼しくなってきたので、観光日和だからか。温泉を望める通路には、多くの人通りがあった。


「今日は人が多いな」

「シトラさんが、最近流行りの新婚旅行先って、言っていた」

「ああ、そうだったな」


 よくよく見て見れば、すれ違うのは若い男女ばかりだ。

 隣で温泉を眺めていた夫婦の話が耳に入る。


「ここは炎の大精霊の加護があって、温泉に入ると子宝に恵まれるそうなんだ」

「へえ、そうなの」


 その会話を聞いていたリュザールは気恥ずかしくなる。ここにいる夫婦は皆、炎の大精霊の加護を得ようとこの地に足を運んでいるのだ。


「リュザール、ここの温泉は子宝に──」

「みたいだな」


 アユの言葉を遮るように返事をしてしまった。

 恥ずかしかったのと、どうせ結婚から一年経つまで子宝に恵まれるようなことはない。

 今の自分達夫婦には関係のない話だと思ったのだ。


 ちらりと横目でアユを見る。なぜか、俯いていた。


「おい、どうしたんだよ」

「だって、リュザールは子宝に恵まれたくないようだったから」

「な、なんでそうなるんだよ!」

「仕方なく、私と結婚したから、無理もない」

「いやいやいや!!」


 そんなことはない。一年経ったら、きちんと夫婦としての営みを果たす予定である。

 今話をしても仕方がないと思ったので、さらっと流しただけだ。

 アユにはっきりと伝える。


「リュザールも、子どもが、ほしいの?」

「ああ、ほしい!」

「よかった」

「……」


 アユが淡く微笑んだのを見て、危なかったと胸を撫でおろす。

 しかし、そのあと発せられたアユの言葉はとんでもないものだった。


「きっと一年経ったら、精霊様が子どもを授けてくださるはず」

「ん?」

「子どもは、精霊様が連れてきてくれるから」

「そ、それは……」


 それは、小さな子どもに聞かせる寝物語である。

 もしや、ハルトスのアユの家族は、何も教えていないのか。

 衝撃から、リュザールの体がぐらりと傾いた。


「うわっ、危なっ!」


 危うく柵を飛び越え、沸騰するような温度の温泉に落下しそうになった。


 とりあえず、この件は母アズラに相談しなければ。

 リュザールは挫けそうになった心を奮い立たせ、首を傾げるアユに引きつった笑顔を向けていた。


 ◇◇◇


 温泉を見たあとは、街へ向かった。

 まず、宿屋を予約する。少々値は張るが、良い部屋を選んだ。もちろん、夫婦一緒の部屋である。

 荷物を部屋に置いて、街へ観光にでかけた。

 観光地なだけあって、地方からさまざまな商店が集まった巨大な市場が開かれている。

 市場までの道のりを歩く間、リュザールはアユに商店の紹介を行う。


「あそこは大衆食堂ロカンタ、あっちは夕方から開かれる大衆居酒屋メイハネ

「リュザール、あのお店は?」

菓子専門店パスターネだ。寄ってみるか?」

「うん」


 店内は甘い香りで満たされている。若い女性店員がにっこりと微笑み、客であるリュザールとアユを迎えてくれた。


「あ、ロクムだ」


 イーイトの大好物である、トウモロコシ粉に砂糖を入れて練った菓子が二十種類ほど瓶詰にされ並べられてあった。


 他に、一晩水に浸けた米を臼で挽き、砂糖と牛乳を加えて固めたムハッレビに、麺状の薄い生地に砂糖絡めのナッツを巻いたオットマン・バクラヴァス、揚げたドーナツに糖蜜をかけたロクマなど、見ただけで甘そうだと感じる菓子がところ狭しと売られていた。


 いくつか試食し、アユが気に入った菓子を購入する。イーイトやエリンに土産を買うのも忘れない。


 途中、喫茶店チャイハネに入り、休憩することにした。

 リュザールはヨーグルト飲料のアイランを頼み、アユはリモナタというミント入りのレモネードを注文した。


 店内は満員。並んで席を待っている者もいる。繁盛している店で、ゆっくりできそうにない。観光地なので、仕方がない話だろう。

 たまにはこういう場所もいいが、毎日こうして人混みの中で暮らすのは窮屈だ。

 草原の中で飲むチャイが一番美味しいと思っている。リュザールは根っからの、草原の民だった。


「疲れていないか?」

「ううん、大丈夫」


 アユは楽しいと、笑顔を浮かべながら返してくれた。

 正直に言えば、秋営地への移動前に遊びに行っていいのかと迷う気持ちもあった。

 しかし、アユの心を癒す時間も必要だったのだ。


 酸味のあるアイランを飲みながら、リュザールはアユと共に穏やかな時間を過ごす。


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