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旅立ちは秋風と共に

 今回の件はさすがのアユも衝撃が大きかったのだろう。気丈にふるまうことはできず、リュザールの傍を離れたがらなかった。

 アズラはメーレと伝書鳥で連絡を取り合い、調停の場にはユルドゥスの若い衆を向かわせたと返ってくる。現地での侵略者の一族に襲われた遊牧民は無事、助け出されたという。そのため、リュザールはアユの傍にいてもいいことになった。

 ヒタプも、数日で帰って来るようだ。その話を聞いたシトラは、ホッと胸を撫で下していた。


 真夏の風に、ひんやりと冷えた風が混じることがあった。

 草原は季節の変わり目を迎えようとしている。

 そろそろ夜間放牧も終了させ、秋営地ギュズレへ向かうための準備をしなければならない。

 アズラはリュザールの羊を集落へ送ることを引き受けてくれるようだ。


「あなた達は、温泉地にでも寄って、しばしゆっくり過ごしてください」

「しかし母上──」

「挨拶回りが早まったと思えばいいのです。しかし、早く戻ってくるのですよ」

「あ、ああ」


 挨拶回りとは結婚した若い夫婦が、世話になっている商人や別の集落に顔を出すユルドゥス独自の習慣だ。通常は、冬に行われる。冬季はできることが少ないので、このような行事を行うのだ。

 他の地域では、新婚旅行とも呼ばれている。


「この近くに、温泉地帯の綿の城パムッカレがあったはずです。温泉に入ったら、元気になります」

「そうだな」


 結婚してから、アユは働き詰めだった。息抜きが必要なのかもしれない。

 リュザールはアズラの言葉に甘え、温泉地帯に立ち寄ることに決めた。


 ◇◇◇


 四日ぶりにヒタプが戻ってきた。

 彼の不在中、襲われてしまった話を聞いて憤っていた。

 同時に、若い男衆を連れて行くという判断を下したのはヒタプだったので、自己嫌悪に陥っているようだった。

 当然、シトラやアユにかける言葉は謝罪以外見つからない。


 悩んだ結果、ゴーズの集落と合流することを決意したようだ。

 夕方には、この地を発つという。

 リュザールとアユも、途中まで一緒に行くことになった。


 ヒタプが戻ってきたからか、シトラは早い段階で元気を取り戻した。

 一方のアユは、まだ全快ではない。


「アユさん、綿の城、とっても綺麗なのよ! 私も挨拶回りの時に立ち寄ったの」

「そう」


 少しずつ、シトラがアユを元気づけてくれる。表情も、僅かに明るくなっていた。

 そして、荷物を纏め移動式家屋を畳んだ職人達は夏営地ヤイラをあとにする。


 アユは驢馬ジャンに跨り、リュザールは馬の手綱を引いて歩く。

 空は晴天。雲は穏やかに流れている。

 暑くもなく、寒くもなく。

 夏は終わり、秋が訪れようとしている。

 遠くに見える山の葉は、ところどころ鮮やかに染まっていた。


「ねえ、リュザール」


 アユが、独り言呟くような小さな声で話しかけてくる。

 リュザールも同じように、独り言を言うようにぽつりと返した。


「なんだ?」

「侵略者の一族に襲われた時、精霊の力を使おうとした」

「知ってる」


 その当時、リュザールはアユの感情が精霊石を通じて流れ込んできていた。

 全身鳥肌になるほどの悪寒と言葉にできない恐怖が、一気に襲いかかってきたのだ。

 けれど、リュザールはその感情に流されず、あくまでも調停者として風の精霊の力を揮った。


「そっか。あの時の風は、リュザールの起こした風だったんだ」


 あそこでアユの感情に同調していたら、巻きあがっていたのは嵐だったかもしれない。

 そして、リュザールの怒りは自ら射る矢に込めて放った。


「精霊の力は使わないって、約束していたのに……ごめんなさい」

「別に、最終的には使わなかったから、約束は守ったことになる」

「でも……」

「お前は無事だった。他の人も、怪我はない。それで、いいじゃないか」


 過ぎてしまったことを、あれこれ気にするのは時間の無駄だ。それよりも、未来について考えるほうが建設的である。


「ユルドゥスの集落に戻ったら、秋営地へ移動する準備で忙しくなる。だから、休んでいいと言われているうちに、元気になれ」

「うん」


 果て無い草原を歩き、途中からヒタプやシトラと別れて温泉地帯である綿の城を目指す。

 綿の城は温泉の白い成分が固まり、棚のように何段も連なっているという。

 温泉の色は澄んだ空色で、白い石灰棚に溜まる様子は溜息が出るほど美しいらしい。


「ケリア義姉さんが年に五回くらい、綿の城に行きたいと言っていたような気がする」

「そう」


 家族の話をすると、アユは淡い笑顔を浮かべる。

 元気づけるコツを掴んだので、リュザールは次々と家族の思い出話をした。

 中でも、イミカンの話が受けていた。

 イミカンがケリアの失敗したパンに鎮魂歌を捧げる話を聞いたアユは、声をあげて笑っていた。


 今日ばかりは、イミカンに心から感謝する。


「そういえば、今回の危険を知らせてくれたのは、三兄さんにいなんだ」

「へえ、そうだったんだ」

「たまに、こういう不思議なことをしてくるんだよな」


 以前も、こんなことがあった。

 普段は寝転がって楽器ばかり弾いているイミカンであるが、空に浮かぶ黒い雲をぼんやりと見上げ「川が氾濫するほどの雨が降りそうだ」と呟いた。

 誰も真に受けてなかったが、リュザールはなんとなく引っかかったので買い付けに行く際川を避けるコースを選んだ。

 その結果、川は本当に氾濫した。架かっていた橋は流され、通行しようとしていた旅人や商人が数名流されてしまった。その話を聞いた時は、ゾッとした。

 戻ってくるなりイミカンを問い詰めたが、「そんなこと言ったっけ?」と自らの発言を忘れていたのだ。


「私も、三義兄は不思議な人だと思っていた」

「イヤ、実際不思議な人なんだけどな」


 イミカンについての謎は深まるばかりであった。


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