宴のあとしまつ
リュザールの姿を見た瞬間、アユはぐったりと脱力し、その場に倒れ込んでしまった。
張りつめていたものが、一気に解けたのだ。
「アユさん!」
シトラが抱き上げようとするが、アユ以上に小柄なため難しい。
ここで、リュザールがやってきて、馬から降りる。
軽々と、アユを抱き上げた。
「おい、アユ! しっかりしろ!」
「……」
リュザールがアユを抱き上げた瞬間、ぷっつりと意識を失う。
湖の中に沈んでいくような、深い眠りの中に突き落とされたようだった。
◇◇◇
リュザールは兄ヒタプと襲われた遊牧民の夏営地へ向かっていたが、ぐうたらの兄イミカンから伝書鳥が届く。
緊急事態に何用なのか。ヒタプはイミカンの言うことなど、放っておけと言った。
しかし、今までイミカンがこのように手紙を送ってきたことなどない。
リュザールは馬を止め、手紙を読む。
そこに書かれてあったのは、イミカンが商人から聞いた噂だった。
なんでも、隊商の遺体が発見されたと。どうやら、侵略者の一族に殺されていたようだ。
商人らは剣と弓と斧で傷つけられていたらしい。
もしかしたら、ヒタプの集落へ革製品を注文していた商人かもしれない。気を付けたほうがいいという忠告であった。
ヒタプは、イミカンの情報なので怪しいと言った。
一方、リュザールは不可解な胸騒ぎを覚える。
なんだか気になるので、集落へ戻りたいとヒタプへ懇願した。
少々渋ったものの、集落に戦える若い男を残さなかったので許してくれた。
リュザールは馬を走らせ、来た道を戻る。
そして──やっと職人達の集落に戻ったかと思えば、アユが襲われているところを目撃してしまったのだ。
褐色の肌に、剣と弓、斧を持った三人組。間違いなく、隊商を襲った侵略者の一族の男達だろう。リュザールは容赦しなかった。
続けざまに矢を射ち、額に的中させる。
同時に、アユの体がガクリと傾き、倒れてしまった。もしや怪我でもしたのではないか。
そう思って慌てて駆けつけたが、緊張の糸が切れて気を失っただけだった。
◇◇◇
侵略者の一族の男達の額に、矢が深く突き刺さっている。頭蓋骨を貫通しているように見えた。一撃で絶命させることに成功していた。
リュザールはシトラから事情を聞き、腸が煮えくり返るような怒りに襲われる。
しかし、アユは無傷だった。他の者達にも、怪我はない。
イミカンが殺されていた商人について知らせてくれなかったら、大変なことになっていた。
今日だけは、イミカンに感謝した。
リュザールは横たわった侵略者の一族の男達を見下ろす。
「殺したのですか?」
「ああ、殺した──ってうわあ!!」
この日一番の、叫び声をあげる。なぜかと言ったら、リュザールの母アズラが背後に立っていたからだ。
「は、母上、なぜ、ここに!?」
「我が愚息イミカンが、我が息子リュザールのもとへ行くように言ってきたので、来たのですよ」
「三兄が……?」
「こんなことなど今までになかったので、おかしいと思って駆け付けたのです」
「そうか」
アズラもリュザールと同じ理由で、やって来たらしい。
ここに辿り着くまで、三日もかかったという。
「さっき、四兄のところに、三兄から伝書鳥が届いて」
「おかしいですね。我が愚息イミカンは、伝書鳥なんて持っていませんよ」
「誰かから借りたのか?」
「どんな鳥でした?」
「白い羽根に、尾が黒い鳥」
「そんな鳥、誰も持っていないはずです」
親子は揃って、首を傾げる。
「いや、三兄のことは今はどうでもいい。アユが倒れたんだ」
「なんですって!?」
アズラはすごい剣幕でリュザールに詰め寄り、どこにいるのかと質問する。
「あそこの、白い屋根の家屋だ」
「そうですか。すぐに様子を見に行きたいところですが──今はこの者達を埋葬しましょう」
「ああ、そうだな」
死した者の罪は、等しく洗い流される。皆同様に、土へと還るのだ。
それが調停者の一族、ユルドゥスの教えである。
集落から離れた場所に深く穴を掘る。
来世は悪さをしないようにと願いを込め、大地に横たわらせた。
アズラは、種を蒔く。それは、石榴の種だった。
リュザールは死した者達に土を被せる。
「母上、なんで種を埋めたんだ?」
「草原の民、全域に伝わる風習です。この前、商人に聞きました」
草原に自生する果物の下には、人が眠っている。
種と共に埋葬するのは、死者を悼み、追悼する意が込められている。
「旅人は道中の果物に、感謝します。その者が生きた欠片が、実となっていつまでも残るのですよ」
「……」
「我が息子リュザール。なんですか、その微妙な表情は?」
「いや、それって死体の養分で樹が育っ──」
「死者を忘れないようにするための、草原の民の風習です!」
できれば、知りたくなかった……。
リュザールは青空を見上げ、切ない想いを噛みしめた。
◇◇◇
アユはすぐに目覚めた。リュザールが手を取ると、ポロポロと涙を流す。
皆、気を遣って二人きりにしてくれた。
リュザールはアユの体を抱きしめる。すると、小さな子どものように、アユは泣き始めた。
「大変だったな」
そう言って背中を撫でると、アユはリュザールの体を強く抱き返す。
アユは無傷だった。奇跡のようなことだろう。
しかし、リュザールが到着するまで、怖い思いをしたに違いない。
今は、ひたすらアユを慰め続けた。