残された女達
アユはリュザールが見えなくなるまで見送りたかったが、今の状況がそれを許さない。
集落の男達の半数が出て行ったため、残った者達の表情には焦りが滲んでいる。
「なんで、この忙しい時に……!」
ヒタプの妻シトラはわかりやすいほど焦っている。
というのも、もうすぐ品物を注文した客が来るというのだ。
予定よりも早く受け取りにくるようで、シトラは額に汗を浮かべながら仕上げ作業を行っている。
それは、他の者達も同じだ。
アユは自分に何かできたらと、集落の小さな子どもを集めて面倒を見る。
幸い、手のかかる一歳から六歳までの子どもは四人しかいなかった。
外に出かけ、なるべく作業の邪魔をさせないように遊ばせる。
昼寝をさせたあとは、食事の準備を行った。
宴で使うような大鍋に、レンズ豆のスープを作る。食事を抜いて作業すると言っていたので、腹の足しになればと思いシトラから材料を貰って調理した。
途中から、作業を終えた女達が手伝ってくれる。
スープ鍋から漂う湯気は、夜まで立ち上っていた。
「アユさん、ありがとう!!」
シトラは床に額を付けて、感謝の言葉を繰り返す。
「こういう時の炊き出しも、あたしが率先してしなきゃいけなかったのに」
「品物を作らないといけないから、仕方がない」
「うう……、アユさんが、奇跡の大精霊に見える……」
集中して作業を行ったので、なんとか間に合ったようだ。明日の朝から昼頃に、取りに来るという。
「ありがとう……アユさん、心強かっ──」
話しながら、シトラは突然泣き始めた。アユはぎょっとする。
「え、どうしたの?」
「あ、明日の客……し、侵略者の、一族、な、なの」
「そう、なんだ」
リュザールから客は商人から侵略者の一族までと幅広いと聞いていたが、まさか、明日の客がそうだとは思ってもいなかった。
当初の交渉相手は商人だったらしいが先ほど伝書鳥が到着し、受取人が侵略者の一族であると判明したようだ。
今まで、シトラ一人で侵略者の一族に応対することは、なかったらしい。
ヒタプの不在が、不安でならないのだろう。
普段、妻達は取引相手の前に出て行くことはないらしい。
そのため、余計に恐ろしいのだろう。
「大丈夫。侵略者の一族は、職人は襲わない」
「そ、そうなんだけど……あたし……」
震えるシトラを、アユは抱きしめた。リュザールがアユにしてくれたように、優しく背中を撫でる。
「あたしの家族は、侵略者の一族に、こ、殺されて……」
「そう」
シトラもまた、侵略者の一族に家族を殺された者達の一人だった。
「怖くて……怖くて……。ほ、本当は、作業も、できない、くらいだったんだけど」
アユがせっせと働いていたので、自分も頑張らなければと奮い立たせていたようだ。
シトラの眦から零れる涙は、両親を喪った悲しみと恐怖心が溢れたものだろう。
「ご、ごめんな、さい……私が、こんなに怖がったら、他の女達も、恐ろしく思う、のに」
シトラは集落を取りまとめるヒタプの妻だ。何があっても、毅然としていなければならない。しかし、夫が不在という状況の中、侵略者の一族を受け入れるということは今までなかったのだ。
「大丈夫。私も、怖い」
「アユさん……」
シトラのベールの付いた帽子に触れ、耳元で囁く。
「きっと、精霊石が護ってくれる。一人じゃない」
「そ、そっか。そう、だったね……」
夫婦は婚儀のさい精霊石を交換し、一心同体となる。常に見えない糸のようなもので繋がっている状態なのだ。
「怖がっていたら、相手にも伝わる。野生動物も、そうだった」
「ええ」
「難しいかもしれないけれど、私達は一人じゃない」
草原の精霊が、護ってくれる。
だから、毅然とした態度で、客を迎えなければならない。
しばらく背中を撫でていると、シトラは落ち着いたようだ。
「ごめんなさい、アユさん」
「平気。私も、そういう時があるから」
「アユさんも?」
シトラから見たら、アユは何事にも動じず、何があっても泣くことはないと思っていたようだ。
「私、実家で、不当な扱いを受けていた。その時は、それが当たり前だと思って、働いていたんだけれど」
しかし、リュザールは「それは違う」とはっきり述べた。そこでアユは、普通がなんたるかを知ったのだ。
「リュザールは、普通じゃない私を受け入れて、味方になってくれた。それを思うと、いつでも泣けてくる」
「そう。ユルドゥスの女達は、幸せよね」
「シトラさんの育ったところも、ユルドゥスと違ったの?」
「もちろんよ」
家事、工芸品作り、子育て──女達は一日中働き、男達に奉仕する。
それが当たり前で、抗議をしたら逆に怒られてしまうのだ。
「夜、男達が宴会している間も、女達は子どもを寝かしつけながらせっせと羊毛を紡いでいたわ」
「同じ。私の所も、そうだった」
「でしょう?」
しかし、ユルドゥスは違う。
男達が宴会をする時は、女達は働かずゆっくり過ごしていいのだ。
双方の立場は平等で、互いに助け合いながら生きている。
「そっか。アユさんも、似たような境遇だったんだね」
「うん」
「もしかして、アユさんの集落も襲われたの?」
「いや、私は、叔父に売り飛ばされそうになって……そこを、リュザールに助けてもらった」
「え!?」
シトラはしばし、言葉を失う。口をパクパクと動かしていたが、どういう反応をしていいのかわからないのだろう。
「ご、ごめんなさい。そんな目に遭っていたなんて……」
「大丈夫。今は、幸せだから」
ここで、軽く当時の状況を説明した。シトラは再び、目を潤ませる。
「そう……そんなことが……」
叔父に売り飛ばされそうになっている中、絶望しか抱いていなかったアユはリュザールと出会った。
「私は運がよかった。リュザールと逢えたから」
これも、大精霊の導きだったのかもしれない。
アユは心から、感謝する。